第81話 アデュレリア騎士団本部

 王都アイドクレースの騎士団本部は、王の膝元にある。王が住まうのは街の中心で、ちょっとした高地だ。そこをピラミッドの頂点として、全方位に街が広がっている。


 打って変わってアデュレリア騎士団の本部は、街の北端に構えられているらしい。なぜ北なのかと言うと、どうも街の北側に魔物の住処が集中しているようだ。必然的に、魔物が侵攻しやすいのも北から。

 騎士は守りのかなめだ。魔物が街へ侵入しないよう、騎士団本部そのものが防波堤の役割を担っているのだろう。


 これは余談だが、陽香が「奈落の底」へ落とされた場所――古戦場跡地とやらも、オブシディアンから見て北の方角にあるらしい。

 今から三百年以上前。まだ人が悪魔の存在を認知していなかった時代に、人間同士が争い、殺し合いをした戦場跡。ルシフェリア曰く、死んだ人間の怨念が色濃く残る場所との事だから、魔物が多く生息していたとしても不思議はない。


 ――閑話休題。

 綾那と颯月は道中酔っ払いや悪漢に絡まれる事も、「転移」もちの男や悪魔と遭遇する事もなく、無事アデュレリア騎士団の本部前まで辿り着いた。

 暗がりでよく見えないが、三階建ての立派な建物だ。街を囲む外壁と同じ黒色の壁の建物は、まるで夜の闇に溶け込むようである。


 さて、ここまでは良い。問題はどうやって本部の中へ入って、陽香達の行方を聞くのかだ。


 所属は違えども同じ騎士である颯月が居れば、そう大きな問題にはならないだろうが――如何せん、訪ねる時間帯が非常識である。しかもアポなしで他所の騎士団を訪問するなど、なかなかに無礼な行いだ。それは、いまだに騎士についてよく理解していない綾那でも分かる事だった。


 そもそも陽香と右京は、本当にここを訪れたのだろうか。本部へ向かう途中で何者かに邪魔をされて、こちらへ立ち寄っていない可能性だってある。そうだとすれば、突然「二人の行方を知らないか」と尋ねられても、アデュレリアの騎士は困ってしまうだろう。


「ところで颯月さん、普段あまりアイドクレースから離れないと仰っていましたけれど……オブシディアンは訪れた事が?」


 颯月は、迷いなく騎士団本部へ足を向けた。途中案内看板もあったが、それに従うよりもこちらの方が早いからと、横道を選んだくらいだ。街の地図が頭に入っていなければできない事である。綾那の問いかけに、颯月は何故か渋面になった。


「ガキの頃――まだ王太子だった頃に、正妃サマとな」

「正妃様と?」

「俺の存在を陛下に認めさせようと、躍起になられていた時代だ。陛下が頷かないなら、まず外堀を埋めようとでも考えたんだろう。東西南北全ての領を連れ回された挙句、「王太子だ」と触れ回って街を練り歩かされた」

「ちなみにそれ、おいくつの時の話です……?」

「七つか、八つの頃だったか――で、その結果勘当されてんだから、俺は正妃サマのお陰でどこへ行っても笑いモノだ。「やっぱり悪魔憑きじゃあ、国王にはなれんだろう。勘当されて当然だ」とな。全く、本当に有難い事だ」


 悪態をつく颯月に、綾那は「やっぱり正妃様、スパルタ教育が過ぎるのでは――?」と唸った。


 七つか八つといえば、小学生になったかどうかの年齢ではないか。そんな幼子に全国行脚あんぎゃさせて、しかも人前を練り歩かせるとは――そうでもしなければ国王に認められなかったとはいえ、なかなかに過酷な教育方針である。

 いや、結局認められる事なく勘当されているのだから、全て無意味に終わったのか。残ったのは颯月の心の傷と、不名誉極まりない悪評だけだ。


「ただ、あの時の経験があるからこそ、俺は綾にカメラを向けられてもなんともないんだろうな。人目に晒される事に、嫌でも慣れたというか……人の視線に物怖じしなくなった。人前で眼帯を外すのは別として」

「確かに颯月さん、まるでプロのスタチューバーみたいに、終始堂々とされていましたものね」


 これも正妃の教育の賜物なのか。確かに颯月は、正妃のお陰で信じられないほど高スペックな人間に育っている。ただ、スペックの高さに比例して心の傷も多く負っているらしい。

 正妃のように痩せた女性が、スケルトン――骸骨の魔物に見えて恐ろしいと言っていたが、アレは冗談でもなんでもなく本気なのだろう。それほど傷が深いというだけだ。


(それにしても、そんな昔に訪れた街の地理を覚えているってどうなの? やっぱり颯月さんの記憶力って、ちょっと異常な領域――?)


 正妃のスパルタ教育を耐え忍んで来た、颯月の事だ。恐らく努力型なのだろうが――努力だけでは説明のつかない素養を持っているのは、確かである。


「――さて。ここで突っ立っていても仕方がない、とりあえず話が聞けるか試してみるか」

「はい!」


 本部の敷地へ足を踏み入れた颯月の後に続いて、綾那もまた足を踏み出した。



 ◆



 結論から言うと、アデュレリア騎士団はあっさりと門扉を開いてくれた。

 アイドクレースの騎士団長颯月は名を知られているし、彼の金髪混じりの風貌はかなり有名らしい。それに何より、彼は所属の騎士服を着ている上――綾那には一つ一つの意味が理解できないが――地位を表す胸章もジャラジャラと付けている。

 綾那はともかくとして、少なくとも彼の身分については疑いようがない。


 本部の宿直らしい騎士に案内されたのは、客間だ。部屋の中央には大きな机とソファ。団長と右京を呼んでくるので、ここで待っていて欲しい――とは、騎士の残した言葉である。


 右京と陽香は、まだ本部に居るのだ。それが分かっただけでも、綾那の心は羽根のように軽くなった。


(ひとまず、良かった。ここに居るって事はたぶん、「転移」もちの人にも、領主さんにも捕まっていないって事だよね――)


 綾那は座り心地の良いソファに体を沈めて、ほうと小さく息をついた。続けて、騎士が用意してくれた茶の入ったカップを手に取る。湯気の上がるそれに息を吹きかけていると、正面に座る颯月から「綾」と呼び掛けられた。

 動きを止めて首を傾げる綾那に、彼は小さく首をる。


「――いや、そうか。、ただの茶か」

「え」


 颯月は深く腰掛けたソファの肘掛けに片肘をついて、じっと綾那を――いや、綾那が持つカップを眺めている。彼の言葉が意味する事は、つまり。


 綾那がこくりと一口茶を飲めば、途端に覚えのある異物感に襲われる。「解毒デトックス」が反応したところからして、まず間違いない。どうやら颯月は、綾那の気付かぬ間に茶を「分析アナライズ」したらしい。


「催眠毒……もしかして、またキラービーですか……?」

「――らしいな。さて、どうやら事態は思った以上に悪いようだ……どうしたもんかな」


 己のカップに手を伸ばす事なく長いため息を吐いた颯月に、綾那は青褪めた。


(どうして騎士団本部の中で、こんな事が起きるの? まさか、陽香と右京さんも同じ目に? だとすれば、二人は今どこに――ああ、もう! こんな事なら、「追跡者チェイサー」の目標を陽香の――火薬の匂いにしておくべきだった! 桃ちゃんの匂いが好き過ぎて、また上書きしちゃってる!)


 綾那は思わず、頭を抱えたくなった。陽香と再会した日、一度は彼女の銃が放つ火薬の匂いに設定したのだが――そもそも火薬の匂いは、四六時中発しているものではない。銃を発砲するか、弾を分解して中身の火薬を出さなければ、強く匂う事のないものだ。


 ただでさえこちらの世界には、銃火器どころか、銃弾、火薬すら存在しない。陽香は「表」から持ち込んだ有限の弾薬を、まるで宝物のように大事に節約して過ごしている。

 例え何かに襲われても、今までは右京が対処してくれていたようだし――まず陽香が矢面に立つ事はなかったのだ。


 綾那と合流してからも、颯月が魔物の相手を引き受けていた。やはり、陽香が銃を使う事は一度もなかった。

 そんなあってないような匂いを、いつまでも「追跡者」の目標に設定しているのは無駄だ。であれば、何かと狙われやすい桃華の匂いに設定していた方が有用だと思った――というのは建前で。


 彼女の匂いが綾那の好みすぎて、会うたびいつも無意識の内に、ついつい上書きしてしまうのだ。


(今更火薬の匂いに設定し直そうにも、身近にないモノを目標にはできないし――)


 半径十キロ圏内の匂いを追えるとはいっても、それはあくまでも事前に目標を設定していれば――の話だ。例え嗅いだ事のあるモノだとしても、事前に設定されていない匂いを、遠く離れている状態で探し出す事はできない。


「綾、どうする? いっそ、ここで俺が大暴れするってのも面白そうだが――」

「え? でもそれ……い、良いんですか? そんな事しちゃって」

「良いんじゃねえのか? 先に舐めた真似をしたのはアデュレリアの騎士だ。「分析」が使える俺にこんなモノ出すなんざ、正気の沙汰とは思えねえが――悪魔憑きを排斥する土地柄、造詣が浅いのか? まあなんにせよ、俺が暴れる大義名分はある」

「な、なるほど――?」


 そんな簡単に暴れてしまって良いのだろうかとも思うが、他でもない颯月が言うのだから、きっと良いのだろう。


「それとも一か八か、毒で昏倒したフリをして――陽香達と同じ場所へ運ばれるか、賭けてみるか?」

「二人で、眠ったフリをするという事ですか? 確かに、リスクはありますけれど――陽香と右京さんの居場所が分かれば、万々歳ですね」

「ああ――ただし、眠っているからと綾に不埒な真似をしようとする輩が現れた場合。即刻暴れるから、そのつもりで」


 きっぱりと断言した颯月に、綾那は苦笑いを浮かべた。そして、「その時は、ちゃんと私も暴れます」と言って頷く。


「一か八か、試してみましょう」


 そもそも、誰の悪だくみなのか。何故こんな事態に陥っているのか――まだ分からない事だらけだ。

 しかし、例えリスクがあろうとも、何もせずに手をこまねいているよりはマシだろう。綾那は「解毒」で毒が効かないのを良い事に、「飲んでいないと怪しいですよね」と言って、颯月の前に置かれたカップに入った茶も一口飲んだ。

 キラービーの催眠毒は、少量でも大型の魔物を昏倒させてしまうほど強力らしいので、一口で十分のはず。


 そうして、綾那と颯月はソファの背もたれに身を預けると、目を閉じて、客間へ訪れる何者かを待つ事にした。

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