第74話 痩せこそが至高?
ギクシャクとぎこちない雰囲気のまま、静真に「とりあえず中へどうぞ」と促されて、教会へ足を踏み入れた一行。静真はそのまま茶の用意をすると言い残して、キッチンへ姿を消した。
陽香は興味深そうに辺りを見回して、「外観と内観の差がスゲー!」と感心している。この教会は外観が古く廃れているのだが、中に入れば意外と綺麗なのだ。外観よりも、中で暮らす子供の過ごしやすさに力を入れる――それが静真の方針である。
「――わあ、アーニャ! また来たの~!?」
「朔、こんにちは」
ちょうど、二階の子供部屋から降りて来たばかりだったのだろうか。階段の陰から様子を窺っていたらしい朔が、綾那の姿を認めた途端にテテテーと駆け寄ってくる。
「わっ! あ――」
「朔?」
しかし途中で、来客が綾那と颯月だけではない事に気付いたのだろう。朔はぴたりと足を止めると、小さな両手で口元を押さえて眉尻を下げた。彼は今、身を隠すためのローブを着ていない。彼の『異形』――あの鋭く生え揃った歯を隠すには、口を閉じて手で隠すしかない。
その上、悪魔憑きの証である金髪も赤目も、彼らは隠すべきものだと認識している。軽率にローブなしで人前へ飛び出してしまった事を、これでもかと悔いているのだろう。
「朔、おいで。平気だよ?」
綾那は床に膝をついて目線を合わせると、両手を広げて朔を呼んだ。けれど彼は口元を手で押さえたまま首を振って、一歩、また一歩と後ずさった。その視線は、教会の内装を眺めて回る陽香と、彼女の隣を歩く右京に縫い留められている。
(二人が気付く前に、部屋へ戻ろうと思っているのかな――)
そう不安がらずとも、四重奏のリーダーが逃げ出すのはお化けと対峙した時のみである。怯える事は何一つないのだ。
「朔、アンタよく拒否できるな?
いつの間にか綾那の横へしゃがみ込んでいた颯月に、綾那は苦笑する。恐らく彼は、初めて綾那がこの教会を訪れた日の事を言っているのだろう。
「オウ、待てお前ら、距離が近いぞ! 厳重注意――ん? なんだ、
まるで寄り添うようにしゃがみ込んでいる、綾那と颯月。二人に気付いた陽香が
瞳の色は様々だが、黒髪または茶髪しか居ないリベリアスの住人。悪魔憑きについて説明を受けていなかった事から言って、陽香が「奈落の底」に落とされてから初めて見る金髪に違いない。
もちろん、金メッシュ混じりの颯月は別として。
陽香に声をかけられた朔は、彼女と綾那を交互に見て、オロオロと戸惑っている。認識されたからには今更逃げ出せないし、だからと言って歯を見られるのも困るのだろう。
朔は綾那の胸に飛び込むと、ギュムッと顔を押し付けた。少なくともそうしていれば、己の『異形』が見られる事はないからだ。
綾那はそのまま朔を抱き上げると、小さな背中を叩いた。
「お、悪い。人見知りするタイプ?」
「そんな所かな」
朔の反応に、陽香は一旦足を止めた。しかし朔の事が気になるらしく、じーっと興味深そうに観察している。
「朔、このお姉ちゃんにも歯、見せてあげて?」
「え? でも……アーニャは変だから平気だったけど、普通は――」
「大丈夫。あのお姉ちゃんは、私よりもっとずっと変だから。絶対に喜ぶよ」
「おん? なんだ、もしかして喧嘩売ってるか?」
胡乱な目をして首を傾げる陽香に、綾那は「褒めているんだよ」と笑った。そんな二人のやりとりに、やがて朔はおずおずと顔を上げる。そして、不安げに揺れる眼差しで陽香を見つめた。
「初めまして、ちびっ子。陽香お姉さんだぞ。名前は?」
「…………朔」
大きく口を開き過ぎないよう、もごもごと名乗る朔。そんな朔に、陽香はニッコリと屈託なく笑いかけた。
「さく――じゃあ、さくさくサブレの『サブレ』で行こう」
「それ、あだ名の方が長くなってない?」
「良いんだよ、カッコイイだろ? なあ、サブレ」
「ええ? 変だよ……」
思わず笑みを漏らした朔――その口元から覗いた歯に、陽香は目を丸めた。そして、綾那に抱かれたままの彼の両頬を、素早い動きでグッと両手で挟み込んだ。
「――ぅおい! なんだよ、ソレ!? サブレ! 口開けろ、口!」
「ちょ、い、痛いよ……!」
「スゲー!! どうなってんだ? サメみてえだな!? 超カッケーじゃん!」
「か、かっけー……?」
キラキラと瞳を輝かせる陽香に、朔はぱちくりと目を瞬かせた。その横では、颯月が「こういう所は、さすが綾の『家族』だな」と感心している。
「スマホ! で、写真や動画――は、やっぱダメか? まだ子供だもんな、保護者はズーマさんになんの?」
「静真さんは、いつの間にズーマさんになったの」
「今だよ。なあ、それって歯型はどうなっちゃうんだ? 試しにアーニャの腕思いっきり噛んでみてくれよ、頼む!」
「どうして私なの……」
「でも、人は噛んじゃダメって、しずまが――」
「大丈夫だって、アーニャは人じゃなくて、ほとんどゴリラだから」
「ひとつも大丈夫じゃないし、ほとんどゴリラでもないよ! もう、ホント陽香ってめちゃくちゃだよね――」
綾那は独りごちながら、朔を下ろした。朔は戸惑いの表情を浮かべたまま、じっと陽香を見上げている。まだ不安なのか、胸の前でギュッと固く握られた二つの拳は白んでいる。
「ほらサブレ、イーッてして見せてよ」
陽香は目線を合わせるようにしゃがみ込むと、緑色の猫目を細めて笑った。朔はそこでようやく、どうやら陽香も変だぞ――と気付いたらしい。「変なの~!」と無防備に大口を開けて笑う朔と、「スゲー!」と大喜びの陽香に、綾那もまた笑みを零した。
(陽香って元々、子供に好かれやすいもんね……教会の子、陽香に取られちゃいそう)
朔がなかなか戻ってこない事を心配したのか、他の子供まで階段を降りてくる足音が聞こえた。恐らく、幸輝あたりに「えー! 家族って言う割にムチムチと全然違うじゃん!」と揶揄されるのだろうと思いつつ――綾那は、子供達が楽しければ良いかと笑った。
◆
綾那の予想通り朔だけでなく、幸輝も楓馬もすぐに陽香と打ち解けた。特に幸輝は、正妃そっくりの容貌をした陽香にドギマギと緊張さえしていたように思う。彼はアイドクレース人らしく、正妃に似た女性がタイプなようだ。
右京はどうしているのかと言えば、彼はどこまでも完璧に、
己が悪魔憑きである事も、本当は颯月よりも年上である事も、ここで話すつもりはないらしい。なかなか普通の子供と遊ぶ機会がないらしい教会の子供達は、右京と遊ぶのがとても楽しそうだった。彼らが喜ぶ姿を見るのは、綾那としても嬉しいが――しかし、右京はとんでもない演技派である。
正直綾那も、初対面からこうして猫を被られていたら、本気でただただ愛らしい子供としか思わなかっただろう。アイドクレース騎士団に移籍したら、右京も動画に出てくれないだろうか――と思った事は、まだ秘密である。
そうしてしばらく子供達と遊び、そろそろおやつにしようかという時間帯。子供達がおやつの準備に取り掛かった所で、綾那と陽香は肩を並べて悩んでいた。
「なあ、『四重奏の綾那』が牛扱いの世界、普通にやばくねえ?」
「誠に遺憾であると、言わざるを得ないけれど――」
口元に手を当てて、極めて深刻な表情で悩む陽香。その横で綾那は、幸輝に「やーい牛女! 胃袋四つくらいあるから、そんなムチムチなんだろー!」と言って、散々叩かれた尻や太ももの裏を擦っている。
ちなみに幸輝はその後、珍しく真剣な表情で「今すぐにやめろ」と言って注意する颯月に連れられて姿を消した。どうも、罰としておやつ前に教会の床拭きを命じられたらしい。
「え、どうする? アーニャ、「
「えっ、良いの? あれだけ体形厳守って言っていたのに」
「いやだって、『四重奏』的にメンバーに牛が混ざってるのはNGだろ……あたしら『酢豚』殿堂入り間違いなしって言われたグループだぞ?」
「ゴリラの次は豚で、最終的に牛NGに辿り着く私ってなんなの?」
どこまでも深刻そうに話す陽香に、綾那は遠い目をした。
「ねえ。水色のお姉さんの名誉のために言うけど、こういう風潮って世界的に見てもアイドクレースだけだからね」
右京がため息交じりに綾那をフォローすれば、陽香もまた「確かに」と頷いた。
「アデュレリアには色んな体形の人が居たもんな……でも不思議だ。王都って言うぐらいだから、ここは流行の中心地だろ? ここから全国的に『痩せこそ至高』って考えが蔓延していっても、おかしくねえのに――やっぱテレビやインターネットがないせいで、情報が伝わりづらのか?」
「僕としては、圧倒的に水色のお姉さんの方が魅力的だよ。どっかのオネーサンみたく、良い歳して板みたいなのは……ちょっと、悲しくなるよね――ひゃめて」
無言で右京の両頬を引き伸ばした陽香に、右京は眉根を寄せて彼女の手を叩いている。
綾那としては、陽香の名誉のためにも「板みたいなのは、防弾チョッキのせいなんですよ」と教えるべきなのかも知れない。
しかし、既に「
「うーん。いや、迷うな……牛はNGだけど、でも、変に痩せて胸が垂れでもしたら、取り返しつかんし……「表」に戻る時には、やっぱ今のアーニャじゃなきゃ困るし。お前まで痩せたら、男のファン減るよなあ――」
「オイ待て、どうしてそんな悍ましい相談を?」
いつ幸輝の監視から戻ったのだろうか。硬い声色に綾那が振り向けば、やや青ざめた顔をした颯月が立っていた。
「いやあ、アーニャがこの体形で牛って言われてるようじゃあ、プロのスタチューバー的には問題だよな? って話を――」
「牛じゃねえ、天使だ。もちろん今の綾がちょうどいい状態だとは思うが、綾なら、少なくともあと三十キロは太っても天使のままだ」
綾那が今から三十キロ太った場合、優に八十キロを超えるのだが――小首を傾げながら「マジか颯様、その顔でデブ専なのかよ」と呟いた陽香の言葉に、綾那は苦笑いを浮かべるばかりだ。
(珍しく幸輝の事を本気で叱ったと思ったら、もしかして颯月さん、陽香の前で体形の話になったら、こういう流れになると危惧していたとか? なんか、そんな気がする――)
複雑な思いを抱きつつ颯月を見やれば、彼はどこまでも真剣な表情で陽香に力説している。
「良いか。アイドクレースの『美の象徴』がどうかしているんだ、綾はこのままで良い。むしろ、まかり間違っても痩せんよう、多少太った方が良いレベルだ」
「いや、別にあたしもアーニャの体形好きだから、本音を言えば変えたくねえんだけどさ……リーダーとしては、世相を見つつ臨機応変に対応しなきゃならんというか」
「対応する必要はない。綾が骨にされるくらいなら、俺はどんな手を使ってでも『美の象徴』を書き換えるぞ。こんな世界は間違っている」
「あの、颯月さん。そろそろ不敬なのでは……?」
「個人名は出してねえだろう」
わざわざ個人名を出さずとも、この領の『美の象徴』とは正妃の事である。うーんと眉尻を下げて笑う綾那に、陽香は「てか『美の象徴』ってなんなんだ?」と首を傾げた。
「ここが王都で、王様が住んでいるって話はしたでしょう?」
「おー、でも王政じゃなくて、民主主義だっつってたっけ?」
「その王様の正妃様が、アイドクレース領民共通の憧れの存在なんだって。歳は違うけど、ちょうどオネーサンみたいな人だったと思うよ? だから街や宿屋で、やたらと男に声を掛けられるんだと思う」
「え! じゃあ何? もしかして、あたしの時代なのか!? ここなら、アーニャよりモテるって事!? てっきり、うーたんが美少女過ぎるから変な奴が声掛けてくるんだと思って、ガン飛ばしちゃってたじゃん! まともな相手ならファンサするべきだった!」
惜しい事をしたと言わんばかりに、頭を抱える陽香。右京はどこまでも冷静な声色で、「そんな訳がないじゃない」と突っ込んでいる。
「――ん? じゃあやっぱアーニャ、ここで広報するなら痩せた方が良いんじゃね?」
「綾は演者に回らんから問題ない。不特定多数の男を釣る役割なら、アンタが担えばいいだろ」
「へ? あたしも『広報』になって良いのか!?」
「アデュレリアの問題が片付いたらな。綾も元々、そのつもりだろう?」
「ええ、まあ……仲間探しができない以上、しばらくは広報の地盤固めがしたいなとは、思っていました」
「マジかよ! ここでも動画撮って良いのか!」
飛び跳ねて喜ぶ陽香に、颯月は「ただし」と付け足した。
「条件がある。何があっても、絶対に、死んでも、綾の体形は現状維持――いや、
「そ、颯様、動画を人質に取るとは、卑怯だぞ……!?」
「……あれ? 私は人質に含まれていないんだ」
クッと悔しげな表情をする陽香に、綾那は遠い目をして呟いた。
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