第49話 颯月の出生

「――綾……なあ綾、もう魔具は良いんじゃねえか」


 あれから綾那は、颯月にカメラ魔具の使用方法を教わった。実際に触ってみれば良いと勧められて、喜び勇んで試し撮りを始めたものの――久々に触れる本格的な撮影機材に、綾那はすっかり夢中になってしまった。


 魔力を注いで発動するという点以外、基本的な操作は「表」のカメラと同じだ。映像のコントラスト、明度の調節、ズーム機能や暗がりでも撮影できる夜景モード、手振れ補正も搭載されている。しかも広角レンズに変えれば、パノラマ撮影も可能らしい。

 ちなみに撮りっ放しで終わりではなく、「表」でいうパソコンに似た魔具を使えば、動画の編集も可能だそうで――そちらの使い方についてはまた後日、教示してもらえるそうだ。

 説明を聞いた綾那は目を輝かせると、ひとしきりソファに座る颯月を撮影したのち、テーブルの上の茶器を映した。そして今は窓辺に立ち、雨が降る外の風景を撮影している。


 その背に颯月が声を掛けているのだが、カメラに夢中の綾那の耳には一切届かない。少し前まで颯月の執務の待ちぼうけをしていたのは綾那だったが、今は逆に彼の方が待ちぼうけを食らっている。

 颯月はため息交じりに腕を組んで、綾那の背中を眺めていたが――しかし、いい加減待ち時間に飽きたのか、おもむろに立ち上がると綾那のすぐ傍まで歩み寄る。

 そして熱心にカメラの画面を注視している綾那の腹に両腕を回すと、ぎゅうと抱き寄せた。


 突然の事に綾那は肩を大きく跳ねさせて、「――ヒャィヤアッ!?」と素っ頓狂な叫び声を上げる。あまりの驚きで一瞬カメラが手から離れて宙を浮いたが、大慌てでそれを掴み直した。

 ドッドッと色々な意味で早鐘を打つ心臓に、綾那は背後に立つ颯月を振り返り見上げた。


「――も、もう! どうしてそう、軽率に人を懐に招き入れちゃうんですか!?」

「どうしてそう、いとも簡単に人の懐へ引き込まれちまうんだ?」

「なななななんですか、藪から棒に!? 本当に驚かさないでください、危うくカメラを落とす所でしたよ!」

「藪から棒じゃあねえ、ずっと呼んでた」


 思いのほか不機嫌な声を出した颯月に、綾那は目を瞬かせる。慌てて「ごめんなさい、つい夢中になっちゃって――」と謝罪したが、しかし颯月に「これは没収だ」とカメラを奪われて、「あぁ」と切ない声を上げる。


「随分と楽しんでいるようだから、大目に見ようかと思ったが――周りが一切見えてないのはまずい。業務外での魔具カメラの使用は今後禁止する」


 背丈が190センチある颯月の手により、高々と持ち上げられたカメラ。綾那はつい反射的にカメラへ手を伸ばしたが、こうも身長差があっては届くはずもない。


「で、でも、業務で使用するための試用運転だったので、つまりこれは業務に含まれるのでは……!」

「試用運転の域はとっくに超えていただろう、アンタかれこれ一時間は俺の事を無視してたのに」

「――なんと」

「なんとじゃねえ、ちゃんと謝ってくれ。辛過ぎて泣きそうだ」


 言いながら颯月は、綾那の手が届かない高さの本棚の上へカメラを載せた。綾那は彼の言葉を聞いて顔を青くすると、その場で勢いよく頭を下げた。


「わ、私なんかが神に不快な思いをさせてしまうなんて、心の底からお詫びします……! 颯月さんの笑顔を取り戻すためなら、どんな事だって――」

「……どんな事だって?」

「どんな事だってやります! いえ、やらせて下さい!」

「ああ、それは良いな。もう許したぞ、戻ってこい」


 彼の顔に笑みが戻った事にほっと息をついた綾那は、ちらりと本棚の上に目線を送った。


「あのぅ、カメラは……」

「――今は業務外だろうが」

「仰る通りです」


 再び笑みを消した颯月にすげなく言い捨てられて、綾那はしゅんと項垂れながらソファへ戻った。

 撮影するのが楽しくて、つい夢中になってしまった。しかし、一時間も颯月の言葉を無視していたなど、綾那自身「ちょっとソレは、人としてどうなのだ」と思ってしまうため、こればかりは自業自得である。


 おずおずと正面に座る颯月を見やれば、彼は無表情で窓の外を眺めている。怒らせてしまっただろうか。いちファンとして、神に嫌われたくはない。


「颯月さん――?」


 綾那の弱々しい呼びかけに、颯月がぴくりと反応する。紫色の瞳が窓からこちらに移動したところで、綾那は彼の顔色を窺うように上目遣いになって小首を傾げた。


「颯月さん、あの、本当にごめんなさい」


 落涙するまではいかないにしても、しょんぼりと反省しきりの顔で謝罪する綾那。颯月は綾那の顔を黙って眺めた後に、小さく息を吐いた。


「アンタ、「得な顔をしている」と言われた事はないか? あの恐ろしい破壊力した泣き顔と言い……本気で人に怒られた事がねえだろう。その顔を見て尚いたぶろうなんて思うヤツは、人としてどうかしていると思うぞ」

「え? えっと、いえ、メンバー……家族からは結構、本気で怒られていましたよ」


 主に異性関係で――とは、わざわざ口にせずとも良いだろう。

 確かに師からは「得な顔をしている」と評されていたが、四重奏のメンバーは至って普通に綾那と接していた。思い返せば彼女らは、綾那――そして四重奏のためを思って残念な異性交遊に口出しはしても、しかし綾那が本気で泣くほどの何かをした事はなかった。


 つまり、師から隠しギフトと評された泣き顔を、彼女らに向けて見せた事はないのだ。

 どれだけ顔がタイプで付き合っていた男性でも、皆アリスの「偶像アイドル」に釣られて、いとも簡単に綾那から鞍替えしてしまう。本来ならばそれは「本気で泣くほどの何か」なのだろうが、しかし他の何が許せても、浮気だけは許容できないのが綾那だ。どんなに好きな男でも、鞍替えされた時点で心底どうでもいい男に成り下がってしまう。

 そんな男が己の元から去って行こうとも、遅かれ早かれこうなっていたのだと思えば、悲しむ事もない。


 ちなみに、家族に男を奪うような真似をされて怒りを覚えないのかと問われれば――そこは綾那生来の気質と、「怪力ストレングス」もちとして生まれ、国に育てられた弊害とでもいうのか。

 答えは「それぐらいの事では怒らない。むしろ他所の知らない女と浮気されて惨めな思いをせずに済んだため、アリスに助けられたという思い」である。そもそもアリスは、釣り上げるだけ釣り上げて綾那の目が覚めた途端に、「じゃあ、お疲れ」と男を放逐するのだ。

 己が便利なギフトをもっているからと、綾那のためを思って汚れ役を買って出てくれる彼女に、怒りなど覚えない。


(颯月さんもきっと、アリスに夢中になっちゃうんだろうな)


 綾那は、じっと颯月を見つめた。

 絢葵あやきを超え、綾那にとって「宇宙一格好いい男」となった颯月。顔が整っている事は勿論、高身長で鍛え上げられた体は逞しく、声は低く艶っぽい。まだ性格の全てを把握できるほど長く過ごしてはいないが、態度や口は悪くても不思議と気品があり、騎士団長らしく責任感、そして正義感もある。


 正妃の言う通り、やや意地が悪く性格に難があるようには思うが――その程度の事ならば、綾那にとってデメリットにならない。これだけ素晴らしい男が、本気か冗談かは知らないが綾那を養いたいと言ってくれているのだ。今後の人生で彼以上に綾那好みの男が現れるとは考えづらく、本来であればこの機を逃す手はない――のだが。


 例え颯月が相手でも、浮気されるのだけは嫌だ。

 アリスの「偶像」には、男女問わず効きやすい相手、効きにくい相手が居る。しかし、それでもギフトに惑わされずに綾那の元へ残った男は、今のところ一人も居ない。綾那だけを一心に愛し続けてくれる、そんな男が居ればどれだけ幸せだろうか。そんな相手ならばきっと、四重奏のメンバーも交際を認めてくれるに違いないのに――。


「また難しい顔をして……今度は何を考えている?」

「へ? あっ、いえ、えっと――颯月さんに、嫌われたくないなって……?」


 ――あなたがアリスにメロメロになる未来を、少々憂いていましたとは、さすがに言えない。

 タイミングよくと言うと不謹慎だが、今は颯月に謝罪している最中である。「嫌われたくない」というのは、会話の流れ的にもおかしくはないだろう。

 颯月は、やや困ったように表情を和らげて見せた。


「それだけは有り得ねえから、安心していい」

「でも、人の心は変わるものだって、他でもない颯月さんが言っていたじゃありませんか」

「それは他人ひとの話であって、俺の話じゃあない」

「ムチャクチャ言ってませんか……?」


 他人は心変わりするものだが、己は絶対に心変わりしないとは、一体どういう理屈なのか。颯月は苦笑する綾那を手招くと、「こっちに座れ」と己の座る側のソファへ呼び込んだ。

 綾那は「神との間には、守るべき距離感というものが――」と思案しながらも、しかし言われた通りに腰を上げた。颯月の座る横に長いソファ。彼はその真ん中に座していて、両脇が空いている。


(颯月さんの右、左、どっちに――いや、ここは右側一択! 近くで眺める権利を得たからには、またあの刺青が見たい! 眼帯で隠れていても、こめかみ辺りは見えるはず!)


 守るべき距離感とは一体何だったのか。綾那はウキウキと上機嫌で、拳五つ分ほどのスペースを空けて颯月の右隣へ腰かけた。


「迷いなく右なんだな」


 ぽつりと呟かれた言葉に小首を傾げながら、綾那はじっと颯月を凝視した。彼はポットを手に取り、空になったカップに茶を注ぎ入れている。


(あ、眼帯で見えないから、もしかしてこっちに座ったのは失礼だったかな? でも颯月さんから私が見えないなら、どんなにだらしない顔で見ていても許される気がする)


 綾那は、ここぞとばかりに颯月を見つめた。

 艶のある黒髪に混じる金髪。顔の右半分を覆い隠すファントムマスクのような黒革の眼帯。それに散りばめられた、アメジストに似た色合いの魔石。

 じっと注視すれば、髪に隠れているが、やはりこめかみから頭皮にかけて伸びた刺青が見える。


(ああ、また見たいなあ、本当に格好良かった。アリスに頼んで、颯月さんと全く同じデザインのタトゥーメイクしてもらいたい)


 彼の素顔を思い出した綾那は、瞳を熱っぽく潤ませて、ほうと息を吐く。颯月は一口茶を飲みカップを机に戻すと、おもむろに口を開いた。


「綾、「水鏡ミラージュ」を覚えているか?」

「へ? え、ええ、それは勿論――竜禅さんから頂いたマスクにも掛けられていますし」


 綾那は、机の上に置かれたマスクに視線を向ける。あのマスクは目の部分に穴がない。しかし、「水鏡」というマジックミラーに似た魔法がかけられている事によって外からそう見えるだけで、実は穴が開いているのだ。


 つまりマスクを付けている者は問題なく視界を確保できているが、外からは装着者の目元が見えない、という訳だ。どうして今そんな話をするのだろうかと不思議に思っていると、颯月がふと口元を緩めた。


「全部、見えてるぞ」

「……うん?」

「俺のも「水鏡」だ」

「…………もぉおおおお! 先に言っておいてくださいよぉ!!」


 これと言って眼帯を指差した颯月に、綾那は両手で顔を覆うとソファ――颯月の反対側――に勢いよく倒れ込んだ。

 ――なんという事だ、全て見られていたとは。それはもう、相当にだらしない顔をしていた自信がある。

 綾那がソファに沈み込んだまま呻いていると、颯月が笑い交じりに話し始める。


「これだから、綾の事は嫌いになれん。アンタ裏表がねえっつーか……本気で俺が――いや、俺の顔が好きなのが分かる」

「最初からそう言ってるじゃないですか、好みド真ん中だって――」

「ああ、そうだったな……綾、この下見たいか?」

「――みっ、見せてくださるんですか!?」


 眼帯の留め具に手を掛けた颯月を見て、綾那はがばりと体を起こして目を輝かせた。その様子に颯月は笑みを深めると、留め具を外して眼帯を机の上に置いた。


「ぁっ……あぁあぁああ~~……っありがたやぁ……!!」


 綾那はまるで祈るようにぎゅうと両手を組むと、恍惚の表情で颯月の顔を眺めた。顔の右半分に刻まれた茨の蔓のような、稲妻のような黒い刺青。紫色の左目とは色の違う、赤い右目。


「人間国宝……っ顔が良いベストオブザイヤー殿堂入り! はあ、好きぃ……っ!」

「――個室で口説くのは、マジになりそうだからやめてくれ」

「あるがままの事実を述べているだけです! だいたい、こんな顔の良い人を口説けるものですか、負け戦にも程がありますよ!」

「いや、要らん心配せずともアンタ相当俺のタイプだからな」


 言いながら颯月は、綾那の髪の毛をひと房手に取ってくるくると弄び始めた。やはり彼は、人の髪の毛に触れるのが好きらしい。綾那は、ふと彼がよく話す女性のタイプがことごとく正妃の真反対である事を思い出した。


「颯月さんは、その――正妃様の事が苦手でいらっしゃるんですよね」

「……苦手なんてかわいいモノじゃあねえ」


 颯月はげんなりとした表情を浮かべると、ソファの背もたれに体を沈めて息を吐いた。そして、ぽつりぽつりと話し始める。


「俺は、曲がりなりにも陛下の子だって話をしただろう? 俺が生まれた時、陛下は他に子が居なかった。元々体質的に恵まれにくかったんだろうが――正妃サマとの間にも、他の側妃の間にも居なかったそうだ。母上に執心するようになってからは、尚更だろうな」

「本当に、輝夜様の事がお好きだったんですね」

「さあ、俺は母上を知らんからなんとも。ただ陛下は、母上が死んだショックでしばらく臥せっていたらしい。その間、俺を育ててくれたのは正妃サマと禅なんだが……王族は血筋が全てだ。他に世継ぎが居ないとくれば、俺を王太子に据えるしかないだろう? その頃はまだ、俺が一生悪魔憑きで子を成せんとは思われていなかったらしいし」

「なるほど……」

「しかし陛下は、俺の事を殺したがっていると来たもんだ。正妃サマは、例え俺が悪魔憑きだろうが母親殺しだろうが……周りが黙るぐらい優秀に育てば問題ないと考えた。あの教育漬けの日々と言ったら――思い出したくもない」


 やや遠い目をして呟いた颯月には、深い哀愁が漂っている。綾那は思わず苦笑を浮かべた。

 正妃の考えも、分からない事はない。実父の国王でさえ颯月の存在を認めないのだから、それは教育熱心にもなるはずだ。颯月がダメなら他の世継ぎを――と言ったって、肝心の国王が臥せっていてはそれも望めない。であれば、颯月を立派に育てて周囲の人間に認めさせるしかなかったのだろう。


 やり方はともかくとして、我が子でもない颯月の事をそこまで手塩にかけて育てたのは――恐らく正妃自身も、亡くなった輝夜の事を好いていたからに違いない。


「物心ついた頃から一般教養は勿論、王族として法律の勉強を強要されて……周りがうるさいから魔法の勉強もして、自衛のために体術の稽古までさせられて。同じ年頃のガキ共は楽しそうに外を駆け回っているっていうのに、どうかしているだろう」

「なかなかのスパルタ教育ですね――ですが、颯月さんがやたらと優秀な理由がよく分かりました」

「まあ確かに、その点は感謝してる。数年はそんな日々が続いたが、結局……復活なされた陛下と正妃サマとの間に、殿下が生まれた。そこで俺はお役御免って訳だ。十になったかどうかって歳に勘当されて、特にやりたい事もなかったから、生きるために騎士団へ入った」


 颯月はたったの十歳でブラック企業に入団したのか――そして四年後には、団長にまで昇り詰めた。

 散々跡継ぎとしての教育を施しておいて、他の世継ぎが生まれた途端に放逐されるとは。なんとも勝手だが――しかし、そもそも国王が颯月の事を認めていないのだから、仕方がなかったのだろう。

 正妃は己の役割を、国王の意に沿う事と言っていた。なんとか颯月の事を認めさせたいという気持ちはあったに違いないが、きっと国王は頑なだったのだ。


「綾は色違いの目も金混じりの髪も、この薄気味悪い模様すら全く厭わん酔狂な人間だから、理解できんだろうが――」

「だ、誰が酔狂な人間ですか! 人を変人みたいに言って……」

「少なくともここじゃあ、十分に変人なんだよ」


 綾那は唇を尖らせて、「誠に遺憾である」と呟いた。颯月は目を細めながら続ける。


「俺のコレは、本気で忌避される。ガキの頃は特にそうだった。世話係の女中には怯えられるし、友人をつくるなんて夢のまた夢だ。悪魔憑きが暴れたら手がつけられんのはよく知られているからな。いつ魔法の暴発で殺されてもおかしくない、そんなガキには近付きたくないに決まっている」

「――こんなに素敵なのに?」

「素敵かどうかじゃあねえ、生きるか死ぬかの問題だ。ただ幸いな事に、母上が半分もって逝ってくれたお陰で、模様と目は隠せる。隠したところで俺が悪魔憑きである事は変わらんが、あからさまに目を逸らされる回数は随分と減った。この魔具を付けるよう勧めてきたのは、正妃サマなんだ」


 言いながら颯月は、外したばかりの眼帯を手に取った。

 やはり正妃は颯月の事を想っているのだ。一生悪魔憑きの彼が、少しでも生きやすくなるようにとの配慮だろう。綾那はじっと眼帯を眺めた後、颯月に視線を戻した。彼はまたしても、表情をげんなりとさせている。


「しかし隠した途端、今度は妙な女共が寄り付くようになった。俺より年の若い女だと、そもそも俺の素顔を見た事がない世代だろう? 桃華にちょっかいをかけていたような女共なんか、正にソレだ。眼帯の下を知らんくせに、周りの大人が「アイツはやめておけ」と言っても聞く耳をもたん」

「ええ、分かります。何せ魔性の男ですものね」

「基本は放置してりゃあ冷めるから、別に良いんだが――たまに熱を上げすぎる手合いが出てくる。そうなったら、アンタの時みたいに……正妃サマがやって来て、「眼帯を外せ」と言ってくる」

「え」

「そうすれば全員、顔色を変えて俺の前から消えるからな」


 颯月の言葉に綾那は考え込んだ。じっと彼の顔を見て、やがてぴんと閃くと、したり顔で頷いた。


「――ははーん、美しすぎて自信喪失という訳ですね!? 分かる~!」

「気味が悪くて引くんだよ、言わせんじゃねえバカ」


 強い語気に反して、颯月は笑いながら綾那の頭を小突いた。綾那は小突かれた頭を押さえながら、「せぬ」と呟く。颯月は綾那にとって宇宙一格好いい男だ。そんな彼の顔を見て「気味が悪い」と思うなんて、綾那には全く理解ができない。


「そういう事が何度も続くと、この顔がどれほど異質なのか嫌でも気付かされる。正妃サマには、割と早い段階から散々注意されていたんだ。「お前の顔は普通じゃない」「いくら隠しても普通の人間にはなれない」「素顔を見れば皆離れていくのだから、初めから妙な期待は抱くな」と。物心つく前からそう言い聞かされて育てられたんだ、そりゃあトラウマにもなるだろう――しかも実際、正妃サマの言う通りに男も女も離れていった」


 ため息交じりに紡がれた言葉に、綾那は「そうなんですか」と答えた。何故そうなるのか理解できずに、不可解な表情しか浮かべられない。

 彼の顔がこの国に住む人間にとって畏怖の対象になると言うならば、恐らく正妃は、彼が深く傷つく事のないようにと考えたのだろう。綾那の時と同じだ。深い仲になる前に、去るならさっさと去ってしまえと。そうすれば、颯月が深く落ち込む事はないと思ったのかも知れない。


(どうやらちょっと、やり過ぎちゃったみたいですけど――)


「だから俺は、あの人に似た女を見るとどうにも恐ろしくなる。強気で口の達者な女も、痩せた女も生理的に受け付けん」


 颯月は声を潜めてそう話した。

 なかなか根が深いトラウマである。しかし、綾那は同時に納得した。道理で彼は、やたらと容姿に対する自己評価が低いはずだ。幼少期より正妃に言い聞かされて育ったから――つまり、悪い方向に刷り込みがなされているのだ。

 これは由々しき事態である。颯月には正しく自己評価をしてもらいたい。


「颯月さんは、とっても格好いいですよ」

「だからそれは、アンタが酔狂なだけで――」

「いいえ。きっとこの国に、顔に刺青を入れる文化がないから、皆驚いちゃうだけですよ。いっそ見慣れるぐらい刺青を普及させちゃいましょう、なんなら私も入れましょうか?」

「――綾の顔に? 絶対にダメだ、その顔を汚すな」

「汚すって……汚れじゃありませんよ。颯月さん、まるで師匠みたいな事言う」


 むうと頬を膨らませた綾那は、じっと颯月の顔右半分に広がる刺青を観察した。すぐさま頬に溜めた空気を抜くと、首を傾げる。


「格好いいけど――なんの模様なんでしょう。颯月さんを呪った眷属は、どんな姿をしていたんですか?」


 確か悪魔憑きは、呪いの元となった眷属の見た目に左右されると言っていた。このような刺青のある眷属だったのだろうか。小首を傾げる綾那を見返した颯月は、なんとも言い難い複雑な表情を浮かべた。


「薔薇らしい」

「ばっ、薔薇がモチーフ!? そんなところまでビジュアル系で攻めますか、さすがですね――!」

「何が攻めでさすがなのか、俺には分からん。俺を身ごもった当時、陛下には母上の他にも何人か側妃が居たらしい。だが、陛下は母上だけ過剰に愛し過ぎた――他の側妃が妬むほどに」

「妬む、ですか」

「母上を妬んだ側妃の一人が、出産祝いと言って特別な薔薇を病室に届けさせた。その結果、生まれたばかりの俺は悪魔憑きになって――ただでさえ出産で衰弱していたのに、無茶して眷属とやり合った母上は呪いの反動で死んだ」

「え……っじゃ、じゃあ颯月さんと輝夜様は、その側妃の方のせいで――」

「ああ、陛下はそれが原因で正妃サマ以外の側妃全員と別れたらしい。これだけ豪華絢爛な屋敷なのに、庭園に花が一つもないと思った事はないか? 雑草じみた小さい花は別としてな」


 確かに、和巳と共にカタバミの小花を眺めて和んだ記憶はあるが、この敷地内にあるのは緑生い茂る葉の生け垣ばかりで、花が全くついていない。まるで城のような屋敷なのだから、よくよく考えれば薔薇園の一つや二つくらいありそうなものなのに――だ。


「元々、母上は薔薇や牡丹なんか――派手な花を好んでいて、専用の花園もあったらしい。しかしソレが原因で死んだとなった途端に、陛下が全部焼き払った。それ以来、この敷地内で花を育てるのは禁止されているんだとよ、花弁の大きなものは特にな」

「過激派……! いや、気持ちは分からなくもないですけれど――」

「ちなみに、女の戦闘を禁止する法律。アレも、無茶して死んだ母上のせいで陛下が制定しちまった悪法だ――今更そんな法律をつくったところで、もう母上は居ないのに」


 颯月は「お陰様で騎士も傭兵もジリ貧だ」とぼやいた。

 綾那はと言うと、国王のあまりの執心ぶりに絶句してしまった。想像以上に国王の闇が深い。それは、病気と評されるはずである。

 ――そして、颯月の生い立ちも大概苛烈だ。よくここまで生きてこられたと言うべきか。


「颯月さん、よくぞご無事で」

「無事――かどうかは微妙だが、俺には禅が居たからな。ヤツだって、俺が生まれたせいで主を亡くしたのに……まあ、母上の遺言には逆らえんのだろう」

「確かに、竜禅さんは何を考えていらっしゃるのか判断しづらいですけれど……でも、きっと他でもない輝夜様の忘れ形見だから、大切に守ってくださるのではないですか?」

「……ああ、分かってるよ」


 颯月は僅かに口元を緩めた。続けて、「そろそろ眼帯を戻していいか」と問いかける。綾那は露骨に残念な表情を浮かべたが、しかし「もう腹いっぱいなんだ」と言われ、慌てて頷いた。

 悪魔憑きは際限なく大気中のマナを吸収してしまう。それはまるで、「もう飲めない」と言っているのに無理やり水を飲まされ続けるような苦痛であると、他でもない颯月から聞かされているのだ。


 眼帯を付け直した颯月の姿を認め、綾那は安堵したように息を吐いた。


「ごめんなさい、私がお願いしたばかりに」

「いや、いい、俺が勝手に外したんだ――見せるとアンタ、こっちが引くほど喜ぶから」


 引くほどと言われて、綾那はぐうと喉を鳴らした。確かに綾那自身、前のめりになっている自覚はあるのだ。しかし彼の美貌を前にすると理性のタガが外れてしまう、こればかりは仕方がない。

 うんうんと一人頷いている綾那に、颯月は目元を甘く緩ませた。


「――綾が遊んでくれるって言うなら、休みを取るのも悪くないかもな」

「へ? あ、それは良いですね! 是非お休みしましょう? この私が、社会人の休日というものを教えて差し上げます!」

「ああ、アルミラージ退治が済んだらな」


 言いながら頷く颯月に、綾那はニッコリと微笑んだ。「男女二人で遊ぶのはデートでは」「ただでさえ関係性が謎なのに、これ以上男女の仲を深めてどうするのか」――とは、露ほども思わずに。

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