第39話 街歩き

 あれから颯月と話し合った結果、綾那は今後定期的に教会を訪れる事になった。

 恐らく、悪魔憑きに対するアレルギーのようなものを発症している、静真の体調を整えるために。そして、すっかり懐いた子供達の遊び相手になるためにも――だ。


 ただし安全のため、外出時は必ず颯月と共に行動する。騎士団長である彼の多忙さは想像に難くないので、教会へは週に一、二度来られたら良い方だろう。

 これでようやく、綾那にも仕事ができたと言える。ちなみに騎士団の『広報』になるという話は、綾那の意思や雇用期間含め草案がまとまっていないため、まだ時間がかかるらしい。


 教会の玄関口に立つ綾那と颯月は、建物を振り返った。


「なんだよ、もう帰るのかよ~颯月」

「にーちゃん、アーニャ、次はいつ来るの? ……ねえ、本当に怒ってない? また遊んでくれる?」

「ああ、また来るからイイ子にしてろ。ちゃんと静真の手伝いするんだぞ」


 颯月は、不安そうに見上げる朔の頭をぐりぐりと撫でた。「綾那と颯月は話し合ったから、もう何も問題はない。そもそも気にしていない」と伝えたものの――それだけでは不安を拭い切れなかったらしい。きっと静真に、あの後も失言をきつく諫められたのだろう。


 その横で静真が、「もう軽々しく、あんな事を言ってはいけないよ」と声をかける。朔はその言葉に小さく、しかし何度も頷いた。


「なあ綾那、次はケーキ食わせてやるから、楽しみにしててよ。甘いもの好きなんだろ?」


 子供ながらに年長者らしく、別れ際でも暗い顔をせず笑みを見せる楓馬。綾那もまた笑顔で頷いた。


「うん、楽しみにしてる。また遊ぼうね」

「颯月、綾那さんも――今日は本当にありがとうございました。またお待ちしております」

「ええ。ただ、静真さんは健康のためにも早急に太ってくださいね」

「ぜ、善処します……」


 綾那から「横に立つな」とまで言われた静真は、小さく唸って眉根を寄せた。恐らく、眷属の悪戯による睡眠不足や長年のストレスが原因なのだろう。どうにも彼は食が細いらしいのだ。

 綾那と静真のやりとりを見た幸輝は、ニッと屈託なく笑った。


「分かった、俺が静真を太らせとく。ムチムチの二分の一ぐらいになるまで!」

「二分の一じゃダメ、せめて颯月さんぐらいにはしてもらわないと――」

「結構ムチャクチャ言うんだな。まあ颯月はムリだけど、とにかく太らせるから大丈夫!」


 綾那は「お願いね」と言うと、小さな手を上げる幸輝と小気味いい音を立ててハイタッチした。

 そして子供達と手を振り合うと、颯月と共に教会を後にしたのであった。



 ◆



「あの、颯月さん? お仕事、忙しいって言っていませんでしたっけ――」


 教会を発った後は、すぐに騎士団本部へ戻ると思っていた――が、颯月は宝飾屋に用があると言って、道草を食い始めたのである。そうして宝飾屋のスタッフに何かを注文し終えたところで、今度こそ本部に帰るのか――と問いかける綾那に、しかし颯月は「いい時間だから外で食って帰るか」と、飲食街を練り歩き始めた。


 ちなみに、街中ではかえって悪目立ちするからと、綾那は目元のマスクを外したままである。


「俺にも息抜きは必要なんだ。それに、アンタと懇意になりたいって言っただろう? 飯ぐらい付き合ってくれ、奢るから」


 竜禅からは、まだ桃華誘拐事件の後処理が終わっていないと聞かされていた。だというのに、本当にのんびりしていて良いのだろうか。

 ただ綾那としては、神と仰ぐ颯月にここまで言われてしまうと、文句一つ出せない訳で。


「うーん……その、慣れてないので――畏まったお店は苦手ですよ」


 颯月は騎士団長という役職もちで、しかも王族の知り合いが居るような男だ。何の心構えもなしに高級でお堅い店へ連れて行かれては、さすがに困ってしまう。そもそも、正装と呼べる騎士服を着た彼と違って、綾那は平服なのだから。


「ああ、俺も格式張った店はどうもな……じゃあ、食べ歩きでもするか」

「た、食べ歩き? ――いえ、正直気安くて助かりますけど……颯月さん、その恰好で食べ歩きなんてして大丈夫なんですか? 制服ですけれど」

「いい、普段からしてる」


 呆けた顔で「普段から――」と呟いた綾那は、もう何も言うまいと流れに身を任せる事にした。

 そうして黙って颯月の横を歩いていると、夕方という時間帯的にも増えた街行く人々が、ちらちらと彼を盗み見ている事に気付く。

 女性は僅かに頬を染めているため、恐らく綾那と似たような理由で眺めているのだろう。男性の方は、どのような意図で眺めているのか分からないが――やはり悪魔憑きで、しかも騎士団長だから目立つ存在なのだろうか。


(でも、本当に遠巻きにされているんだ)


 ちらちらと視線は送っても、決して誰も彼に話しかけようとしない。なんなら、彼のために道さえ開けているように見える。

 今日一日を通して、綾那は悪魔憑きについて様々な事を教わった。ただ教わったところで、嫌悪感は抱かなかったのだ。確かに、魔法を暴発させて他人を傷付けてしまう恐れがあるというのは考えものだ。しかし成人する頃には分別もついて、そんな心配はなくなるはず。


 やはり所詮、綾那は「表」のよそ者だと言う事だろうか? この国の人間が悪魔憑きを恐れる理由がイマイチ分からないのだ。魔力が強力過ぎても、見た目が亜人のようでも、「珍しい」「個性があって面白い」程度にしか思えないのだから、どうしようもない。


 綾那はふと、颯月と出会った時の事を思い出した。彼は確か、「見た目が原因で、いつも遠巻きにされる」「共に歩きたくないほど俺が嫌いか」などと言っていた。

 もしかすると、今こうして綾那と共に街歩きをするだけでも、彼は楽しめているのだろうか。そうだと良いのだが。


「楽しい、ですか?」

「うん? ――ああ、他領の食い物も並ぶからな」


 主語が抜けていたため、彼は「普段食べ歩きしていて楽しいのか」と受け取ったようだ。目元を緩ませた颯月を見て、綾那は「まあ、楽しいならなんでも良いか」と納得した。


 そのまましばらく飲食街を進んでいると、やがて開けた広場のような場所へ辿り着く。真ん中には噴水があって、その周りを囲うように、ぐるりとベンチが並べられている。

 親が店で食事の買い物をしている間、待たされているのだろうか――噴水の周りには子供達の姿が目立つ。


「綾、アンタ座って待ってろ。すぐに戻るから」

「え、でも――」

「良いから。お互い、遠目から見ても目立つし平気だとは思うが――もしおかしなヤツに声を掛けられたら、迷わず俺のところまで走ってこい」


 有無を言わせない様子の颯月に、綾那は躊躇いがちに頷いて噴水へ向かった。ちらと振り向けば、確かに颯月は周囲の人間より身長が頭一つ飛び出していて、しかも金髪混じりで分かりやすい。

 これなら、噴水周りのベンチに座っていても彼を見失う事はないだろう。


(って言うか、は悪魔憑きの証って――今更だけどアリス、大丈夫なのかな。あの子目は青色だけど、金髪だし)


 綾那はベンチに腰を下ろすと、今更ながら仲間の身を案じる。

 どうしたって現地の人間と出会えなければ生きられないのに、運よく出会えたところで悪魔憑きと誤解されて、忌避されたら――綾那は腕を組み、足元に視線を落とした。

 すると、すぐ近くで紫色のハイヒールを履いた女性の足が立ち止まったのが見えて、顔を上げる。


 綾那の前には、黒い外套を纏ったロングワンピースの女性が立っていた。女性は外套のフードを目深に被っていて――座っている綾那の目線の高さから見上げて、ようやくその表情を窺い知れる。

 彼女は切れ長の釣り目で、じっと綾那を見下ろしていた。


「あの……?」

「お嬢さん、どこの出身なのかしら。住まいはどちら?」


 女性のやや硬質な声色に、綾那は思わず背筋を伸ばして立ち上がった。

 恐らく、綾那の見た目が珍しいから出身の確認をしているだけであって、決して怒られている訳はないのだろう。しかし、何やら責められていると勘違いするほどの威圧感があった。


 よく見ると、女性の両脇に控えている男性二人は彼女の護衛のようだった。まるで騎士のように鍛えられた体躯で姿勢よく立って、不自然でないレベルで視線を巡らせては周囲の警戒をしている。


(な、なんか、偉い人に目を付けられたのかも? もしかして、密入国者だって事がバレちゃってるとか? ど、どうしよう――)


 バカ正直に「異大陸から来ました」と答えて、身分証の提示を求められては目も当てられない。つい三日前に幸成に認めてもらえたばかりの綾那は、いまだ身分を保証するものも通行証も与えられていない。今後、様々な書類を用意した上で、新たに発行してもらう事になっているのだ。

 けれど、白肌だからと「北のルベライト出身です」なんてその場限りの嘘をついて、根掘り葉掘り聞かれるのも困る。何せ綾那は、ルベライトの事を「どうやら北国らしい」という事ぐらいしか知らないのだから。


 すっかり困り果てて「えっと」と口ごもる綾那に、女性は「ああ、ごめんなさい、違うのよ」と細い手を振った。


「言い方がきつくて悪かったわ。別の領から越して来たばかりなら、住まいはちゃんと見付かっているのかと心配になって……余計な世話だったかしらね」

「あ! いいえ! あの、平気です。今は、訳あって騎士様のお世話になっておりまして――住まいはありますので」

「騎士? それは……もしかして、嫁いでこられたの?」


 女性の問いかけに、綾那はブンブンと首を振って「違います」と答える。すると女性は、フードの下で眉根を寄せて「旦那でもない男の世話になって、本当に平気なの? 騎士とはいえ、それは本当に信頼の置ける男なのかしら」と真剣に考え込んだ。


 どこの誰かは知らないが、どうやらこの女性はただ本気で、綾那の事を心配しているだけらしい。


(中には絨毯屋さんみたいな人も居るけど――この街の人って、基本的に良い人が多いよね)


 綾那は思わず目元を緩めた。颯月は綾那をしてばかりだが――本人は否定するだろうが――とても誠実で、素晴らしい騎士だ。なんの問題もない。

 綾那はそう答えようと口を開きかけたが、しかし突然女性に両腕を掴まれたため、目を瞬かせる。


「かぐや――?」

「えっ」


 彼女は細く華奢な割に力が強く、ぎゅうと腕を掴まれた綾那は焦る。「かぐや」とはもしや、竜禅の言っていたあの「輝夜」の事だろうか。

 綾那が笑った途端に目の色を変えたのだから、きっと間違いない。


 綾那もまさか、騎士団本部から離れた街中でこんな事になるとは思わなかった。悪目立ちするからとマスクを外していたのが、完全に裏目に出てしまったようだ。


「輝夜、どうして――」

「あ、あの、違います。ごめんなさい、人違いだと思います……」


 竜禅は「笑顔のみ似ている」と言っていた。綾那は努めて真顔でいる事を心掛けて、女性の腕をやんわりと外した。

 そして、視線を巡らせて颯月の姿を探す。そう離れていない出店の前に彼が居るのを確認した綾那は、女性に向かってぺこりと勢いよく頭を下げてから駆け出した。


 とりあえず颯月の元まで逃げて、なんとかしてもらおうと思ったのだ。


「あ――まっ、待って! ……あの子を捕まえなさい! ただし、手荒な事をしてはダメよ!」


 背後で女性が護衛に命令している声が聞こえて、綾那はますます焦りを覚える。

 このまま捕まったら、どうなってしまうのだろうか。むしろ、このまま颯月の元へ逃げて良いのだろうか。彼に迷惑をかけるのではないか――。

 そんな事をグルグルと考えたものの、結局、綾那が頼れるのは颯月しか居ないのだ。


「颯月さん!」

「綾――?」


 息を弾ませる綾那に、颯月は首を傾げた。しかしすぐさま綾那の腕を取ると、身を低くして出店の列から離れる。彼はあえて人通りの多い道を選んでいるのか、人の波間を早足で進みつつ問いかけた。


「どうした、ナンパでもされたか? ――どの男だ」

「い、いえ……っあの、なんだか高貴そうな女性に話しかけられたのですが、その――「輝夜」さんと、間違えられて……」

「何? まずい――まさか相手は、骨みたいな女だったか?」

「ほ、骨? いや、確かに華奢な方でしたけれど……でもこの街の女性、皆さんじゃないですか。それに、外套を纏っていらっしゃったのでよく分かりませんでした」


 綾那の手を引いたまま細い路地に入り込んだ颯月は、「なんでよりによって今日、なんてするのかね――」と舌打ちをした。続いて己の背に纏う外套を外すと、綾那の肩から掛けて頭にフードを被せる。


「アンタ目立ち過ぎるから、とりあえずコレで――」

「颯月騎士団長?」


 綾那を追って来たらしい護衛の男が、背後から声を掛けて来た。男は颯月の姿を認めた途端、こちらへ足早に駆け寄ってくる。

 颯月は綾那を外套の上から抱き締めると、そのまま引き寄せて胸に抱いた。


「団長、そちらの女性は――」

「いちいち野暮な事を聞くな。俺に何か用か?」

「いえ、大変申し上げにくいのですが、そちらの女性を連れてくるよう命じられておりまして。とは、言わずともご理解いただけるかと思いますが――どうか、ご協力願います」


 男の言葉に、颯月はこれ見よがしに大きなため息を吐き出す。そして胸に抱く綾那の頭に唇を寄せると、「最っ悪だ、仕事サボったばちが当たった――」と低く呻いた。

 やはり仕事をすっぽかしていたのか――と思う綾那だったが、正直今はそんな事よりも、自分の置かれた状況の方がよっぽど問題である。


 身動き一つ取れず、フードのせいで外の様子も分からない綾那の耳に、コツコツと高いヒールが地面を叩く音が届いた。


「颯月? お前、こんなところで何を――」

「…………ご機嫌麗しゅう、

「――えっ!?」


 抑揚のない棒読みで挨拶をする颯月に、綾那は肩を跳ねさせた。

 あれがアイドクレース領に住む女性の憧れであり、揃いも揃って痩せ型の体形を貫く原因でもある、噂の正妃様なのか。

 綾那が絶句していると、颯月が女性を抱き締めている事に気付いたらしい正妃は、ハッと息を呑んだ。


「な!? お前……っ、道端でなんて破廉恥な事を! そのお嬢さんはどなた!? 今すぐ外套を外して顔を見せなさい!」

「彼女は恥ずかしがり屋なんです。だいたい、いきなりやって来てなんなんですか? 本気で勘弁して頂きたい」

「颯月……! お前はいつも、本当に――私に反抗しないと気が済まないのね!」

「正妃様。恐れながら、彼女が先ほど噴水の前で出会った女性のようです」


 護衛の男の言葉に、正妃は「なんですって?」といぶかしむような声を上げた。そしてコツコツと音を立てて颯月達に近付くと、綾那のフードに手をかけて引き下ろす。

 相手は正妃、しかも颯月の腕に抱かれたままという事もあり、綾那はなんとも気まずい表情を浮かべている。


 正妃は綾那と颯月の顔を見比べると、ただでさえ吊り気味の目尻をキッと吊り上げた。


「颯月、今すぐに説明なさい――全部よ!」


 正妃の言葉に、颯月はグッと眉根を寄せた。

 そうして、不安いっぱいで彼の顔色を窺う綾那を見下ろすと、まるで追い詰められて自暴自棄になったように投げやりな態度になる。

 フーと長く細い息を吐いた颯月は、己の腕から綾那を解放した。


「…………まだ、嫌われたくなかったのに」


 放す瞬間、綾那に聞こえるギリギリの大きさで呟かれたその言葉は、正しく意味が分からないものだった。

 その声色は酷く切実で頼りなく聞こえて、綾那の耳にこびりついて離れなかった。

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