第34話 ヒロインの救出

 カッポカッポと小気味いい音が響く。馬車は行きと同じく、アイドクレースの街中を徒歩と変わらぬ速度で進んでいる。御者台には竜禅が座り、そして外には――まるで、馬車を左右から挟んで護衛するように――颯月と幸成が歩いている。


 なぜ二人がわざわざ外を歩いているのかというと、中で綾那と桃華が着替えているためだ。


「ああ、これでようやく息ができる! 死ぬかと思った――」


 窮屈なコルセットから解放された綾那は、大きく伸びをした。何度か深呼吸を繰り返せば、ギュッと縮んで固まっていた胸郭が、開いていく感じがする。

 次に黒色のウィッグを外して、睫毛と眉毛に色を付けたマスカラを落とす。コンタクトは使い捨てのものだったので――こんな短時間で捨てるのは、勿体ないと思いつつも――瞳の健康のために、潔く廃棄した。


 予想外に号泣したため腫れて赤くなった目元は、桃華に貸与していたマスクを付け直せば隠れるので、問題ないだろう。

 ウィッグを被っていたせいで変な癖がついた地毛を手櫛で撫でつけていると、桃華から「お姉さま」と呼ばれて首を傾げる。


「この度は、なんとお礼を言えばいいのか――本当に、感謝してもしきれません」


 深々と頭を下げられて、綾那は苦笑した。あまり深刻に受け取られても困る。綾那から失われたものなど、ひとつもないのだから。

 人前で号泣するという恥ずかしい思いはしたものの、桃華が今後ありもしない下衆の勘繰りをされる苦しみと比べれば、どうという事はない。それを未然に防げたのだから、何もいう事はないのだ。


「うーん……じゃあ、お礼に何をしてもらおうかなあ」

「わっ、私にできる事でしたら、なんだって致します!」


 どこまでも真剣な瞳で見つめてくる桃華に、綾那は口元を緩ませた。


「桃ちゃん、前に美味しいカフェを知ってるって言っていたよね」

「……え?」

「甘いものが食べたいなあ……宿舎のご飯ってすごく美味しいんだけど、デザートがゼリー、ヨーグルト、フルーツの三種類で固定なんだもん。こんなに長い間ケーキを食べてないのは、久しぶりで」


(本当に――太り過ぎで師匠を怒らせた中学ぶりだよ、こんな生活)


 綾那が「あの地獄の日々を思い出す――」なんて遠い目をしていると、桃華は「そんな簡単な事で……!」と言いかけて、しかしハッと黙り込んだ。


「桃ちゃん?」

「勿論、お連れしたいのですが……でも、お姉さまはまだ、騎士の保護下に置かれているんですよね」

「あ、そうか、すっかり忘れてた。じゃあ保護観察が解けたら、ぜひ連れて行ってね」

「お姉さま――」


 綾那がマスクの下でニッコリと微笑めば、桃華は複雑そうな表情を浮かべた。

 彼女を救うためという名分で街へ出たものの、よくよく考えれば綾那は、まだ自由を認められていないのだ。


(今日一日、色々やっちゃったけど――もしかして、私も処罰されるのかな?)


 正直桃華を救えたのは、綾那の力あってこそだという自負はある。

 何せ「追跡者チェイサー」がなければ、桃華の異変に気付くのはもっと遅かった。それでは最悪、「転移テレポーテーション」もちの男達に乱暴される前に、彼女助けられなかったかも知れない。


 しかし、散々怪しげなギフトを駆使して、最後には泣き落としなんていうな武器まで披露してしまった。颯月は「桃華を救えば、幸成は認める」と言っていたが――果たして、本当にそうだろうか。

 綾那が己の行く末に思いを馳せていると、桃華は荷台の上を這って進んで、ほろの幕を手で押し上げた。幕の隙間から顔を覗かせた桃華は、キョロキョロと辺りを見回している。


「――桃華、店に着くまでは中で大人しくしてろ」


 桃華に気付いた颯月が、諭すように声をかけた。彼女はあくまでも今、メゾン・ド・クレースで働いているなのだ。

 今後の予定は、まず店舗まで桃華を送り届ける。そして彼女には店の馬車を使い、別館まで仕事帰りのていで帰ってきてもらう事にした。

 店で働く彼女の両親には、既に事のあらましを説明済みらしい。娘のためにいくらでも口裏を合わせてくれるだろう。


 もし、なぜ騎士団の馬車が桃華の店に停車したのかと疑われたとしても――「桃華を攫おうと企てた犯人は、無事に捕らえた」という報告がてら立ち寄ったのだと主張すれば済む。

 念のため、桃華が着ている服も変えた方が良いのではという事になったが、おあつらえ向きに彼女の店は服屋だ。攫われた時とは別の黄色い服を着て帰れば、アリバイ作りは完璧である。


 ちなみに絨毯屋のオーナーと旭達は、幸成の魔法を見て現場へ駆けつけた街の騎士が連行している。旭らの処遇については、後ほど騎士団本部にて颯月が引き継ぐらしい。


 絨毯屋の立派な大倉庫――いや、大倉庫は、すっかり焼け野原になってしまった。

 オーナーは商品の在庫や住居を含む財産を失うどころか、客に売約済みの商品まで煤に変えられた。きっと、途方もない額の負債を抱える事になるだろう。

 財力を失ってしまえば、役人に対して罪の軽減を働きかける事もできない。お陰で正しく罰せられるはずだ。


(それにしても、幸成様の魔法の威力は凄まじかった)


 もし颯月と竜禅が水のドームを作って抑え込まなければ、あの爆発は一体どこまで影響を及ぼしたのだろうか。煤だって王都中へ飛んでいたに違いない。


「颯月様! あの、ごめんなさい。でも、お話が――綾那お姉さまの事なんですけれど」

「なあ桃華、ずっと気になってたんだけどさ……その「お姉さま」っての、なんなんだよ?」

「お姉さまは、お姉さまよ! 幸成だって、「お姉さん」って呼んでいるじゃない」

「い、いや、これは――」


 幸成の問いかけに胸を張って答えた桃華。しかし幸成のいう「お姉さん」とは、恐らく親しみを込めたものではなく、「名前すら呼びたくない」という意思表示だろう。

 いくら綾那が鈍くても、そのくらいは分かる。伊達に二週間、つきっきりで監視されていないのだ。


「颯月様、綾那お姉さまの保護観察はまだ解かれないのですか? 私、今回のお礼にお姉さまをカフェにお連れしたくて――その、お姉さまが通行証をもたずに街へ入ってしまった事は、聞きましたけれど」

「カフェに? ――らしいぞ、成」


 颯月に話を振られて、幸成はウッと狼狽うろたえる。そうしてウロウロと目を泳がせた後、頬をかきながら口を開いた。


「えっと、あ、ああーっと……桃華、その件は今日、本部に帰ったらすぐに話し合うから」

「ほ、本当に? 幸成、どうか良い方向に掛け合ってね? お願いよ?」

「分かってる。お前と引き離されずに済んだのは、全部お姉さんのおかげなんだから」

「幸成――」


 見つめ合う二人に、御者台に座る竜禅がゴホンと咳払いした。


「成人するまでは、清い付き合いを推奨する」

「バッカ、何もしてねえだろ、失礼なこと言うな!! ホンット禅ってオッサンな!」

「当然だ、私がいくつだと思っている」

「それはそうと、もう着替えは済んだのか? 中に入っていいなら、もう少し馬車の速度を上げられるんだが――」

「あっ、はい、失礼しました! もう平気ですよ!」


 桃華の返答を聞いて、颯月と幸成が荷台へ乗り込んだ。速度を上げた馬車は、メゾン・ド・クレースに向けて走り出した。



 ◆



「あのさ――なんで、桃華のためにあそこまでできたの」

「へ?」


 桃華を無事店舗へ送り届けた後、馬車は騎士団本部へ帰還するために動き出した。その瞬間、幸成は居ても立ってもいられないといった様子で綾那に問いかける。


「なんでって、桃ちゃ――桃華様は」

「いや、なんかもう……良いよ、桃ちゃんで」

「はい、ええと……桃ちゃんは何も悪くないのに、あんな事で領から追い出されるなんて、悔しいじゃないですか」

「悔しいって――」

「アリス――私の家族に、生まれつき異性を惹きつけてやまないせいで、同性から嫌がらせを受けちゃう子が居るんです。でも、ただ生きているだけなのに、そんな理不尽に屈するなんてバカらしいでしょう?」


 ギフト「偶像アイドル」もちのアリスは、ただ生きているだけで異性に好かれて、同性からは嫌われてしまう。

 それが原因で、同性から「人の彼氏をとった」とか「男にばかり媚を売って」とか、なじられやすいのだ。その嫌われようといったら、酷い時には刃傷にんじょう沙汰になるほどである。


 アリスと綾那は小学校からの付き合いだが、その頃からずっと、ギフトのせいで理不尽な悪意に晒される彼女の事を見てきた。身内の欲目もあるが、やはり見ていて気持ちのいいものではない。

 それは「颯月の婚約者筆頭だから」なんて、本人にはどうしようもない理由で悪意をぶつけられる、桃華も同じだ。


「そんな理由で身代わりになったの? 顔を晒してまで?」

「うーん……一応は変装しましたし、そもそも私はこの国の人間ではありませんから。顔を覚えられて、例え「婚約者が居ないなら法律違反だ、領から出ていけ」と言われても――それはそれで、良いんです」


 言いながら口元を緩めた綾那に、幸成は黙り込んだ。

 綾那にとっては、本当になんでもない事なのだ。それに今はもっと他に酷い問題が溢れている。

「表」の人間らしき男達の存在。四重奏を奈落の底へ落とした彼らの目的。東のアデュレリア領に住む、桃華を狙う誰かについても気になる。


 そして――綾那は、颯月に向かって左手を突き出した。


「あの、颯月様? この指輪は、もう外していいと思うのですけれど――」

「うん? 外すには、まず「契約エンゲージメント」を解除する必要がある」

「――エッ、「契約」ォ!? うわっ、お姉さんその指輪……マジか!? ちょっと目ぇ離した隙に何やってんだよ、颯!!」


 ギョッと目を剥いて綾那の指輪を凝視した幸成は、荷台の中を這って進み、颯月の肩を掴んだ。すると颯月は、憮然とした表情で幸成を見返した。


「……なんで俺が女にプロポーズするのに、成の許可が要るんだよ」

「プッ、プロ――!?」

「な、何言っちゃってんの、お前!?」


 颯月の問題発言に、激しく取り乱す綾那。幸成は頭を抱えてその場に突っ伏した。そんな二人を見て笑みを零した颯月は、ひとしきり笑った後に口を開く。


「まあ、冗談はともかくとして――まだ付けたままの方がいいだろう。これから外を出歩くようになって、周りに「婚約者が居ない女」と思われるのは面倒だからな。綾にはウチの『広報』になってもらわんと困る」

「え? で、でも」

「もっとシンプルに考えな。この国に居る間、アンタも俺を隠れ蓑に使えばいいってだけの話だろ。なあ、良いよな? 成」

「ぅぐ……!」


 颯月に問いかけられた幸成は、低く唸った。しかし間を空けてから、やがて観念したように小さく頷いた。


「まあ、お姉さんの保護観察はもう、必要ないからな……桃華を助けてくれて、ありがとう」

「あ――い、いいえ! どういたしまして!」

「あのさ、俺も綾……いや、綾ちゃんって呼んでいい?」


 体を屈めて、まるで顔色を窺うように上目遣いで問う幸成に、綾那はコクコクと何度も頷いた。


(これは――少しは信用されたと思ってもいいのかな。だとすれば、今日一日色々とやらかして正解だったのかも)


 そもそも相手は王族なのだから、綾那みたいな者に拒否権なんてないだろうし――そう、幸成は王族なのだ。なぜそんな偉い立場の人間が騎士団の軍師をしているのか、はなはだ謎ではあるが。


 綾那はずっとスパイ疑惑をかけられていたため、彼らについて最低限の情報しか渡してもらえなかった。しかし今後は、彼らの事を深く知る機会を与えてもらえるのだろうか――。


「これからは、俺に『様』なんてつけなくていいから。ただの騎士だし、これから同僚になるかもじゃん?」

「でも、王子様なんでしょう?」

「とっくに継承権なんて捨ててるよ。王様と血の繋がりがあるってだけだし、そんなにかしこまらないでくれよ」

「じゃあ――ええと、幸成くん?」

「うん、よろしく綾ちゃん?」


 口元だけの笑みではなく、幸成が初めて屈託のない笑みを綾那に向けた。何やら照れくさくなって笑っていると、不意にクイ、と髪を引かれて顔を上げる。


「――俺は?」


 どこか期待の籠った紫色の瞳で見られて、綾那はウッと言葉を詰まらせた。


「き、騎士団長なんですから、颯月『様』でしょう」

「なんだよ、俺だけ仲間外れにするつもりか? 禅は『さん』、成は『くん』。どうせこの後、和に会ったら「もう『様』じゃなくていい」って話になるだろうが」

「仲間外れじゃなくて立場の問題だろ、そーげつ騎士団長?」

「――どうしても「様」をつけたいなら、「颯様」以外は許容できんぞ」

「分かりました颯月さん。ソレは早急に忘れてください」


 綾那が即答すれば、颯月は満足そうに微笑んだ。


(まあ、なんだかんだフレンドリーな人達、だよね。もっと仲良くなれるといいな)


 正直、広報の仕事を上手くやれる自信はない。しかし、メンバーと再会するにも先立つものが必要な訳で――。このスタート位置に立つまでに相当な時間を要してしまったが、まあ、生きてさえいればそれでいいだろう。


 今の綾那にできる事は、家族が全員生きていると信じて、働く事だけだ。


(――頑張ろう)


 腫れた目元はいまだ熱をもっているが、もう弱気にはならない。綾那は、少しずつ大きくなっていく騎士団本部を眺めながら、二度と家族の無事を疑わないと心に決めた。

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