第32話 絨毯屋との攻防

 アイドクレース騎士団から、「敷地内でビアデッドタートルが暴れているため、倒壊の恐れがないと確認できるまでは家屋へ立ち入ってはならない」という通達が下された。

 この屋敷で働く従業員は、僅かな警備を除いて一時帰宅するよう促されたらしい。


 応接室で待機していた絨毯屋のオーナーもまた、竜禅と幸成の二人の手で庭へ連れ出された。先ほどからソワソワと落ち着かず、立ったりしゃがんだりを繰り返している。


「オーナー、そう不安がらなくていい。魔物など颯月様がすぐに片付けてしまわれる」

「あ、ああ――いや、そうですな……そうでしょうとも」


 竜禅の言葉に、オーナーは何度も頷いた。

 ただ、不安なのは魔物による被害などではない。もしも颯月が桃華を見つけてしまったら、どうしよう――これに尽きる。

 アデュレリアの人間と名乗る協力者の男二人が、あの『不思議な魔法テレポーテーション』で桃華を遠くへ移動させてくれていればいい。そう祈る事ぐらいしかできない――と。


「し、しかし、随分と時間がかかっているようですね。我が家の警備も戻りませんし――」

「最初の咆哮以外に鳴き声は聞こえなかったから、魔物はもう死んでるよ。敷地のどこに現れたのかは知らないけど、死体の後始末に追われてるんだろ」

「それなら良いのですが……」


 オーナーは、幸成の言葉を聞いて曖昧に笑った。そうしておもむろに顔を上げると、倉庫がある棟の扉が開いた事に気付く。

 中から出てきたのは、まず絨毯屋に雇われている警備員が数名。そして、縄で手を縛られた賊のような男達が七名。


 後から颯月が出てきて、その横で彼に肩を抱かれて歩くのは、フードを目深に被った黄色い服の女性。そして彼らに追従するように歩く、世にも珍しい水色の髪をした女性の姿がある。


 絨毯屋のオーナーは、終わったと確信した。

 やはり颯月は、桃華を見つけ出してしまったのだ。雇った賊も全員捕らえられている以上、桃華誘拐について言い逃れをするのは厳しいだろう。


 どこにも姿が見当たらないアデュレリアの協力者は、どうやら作戦の失敗を察知して逃げてしまったらしい。改めて、終わったと思う。しかし同時に、このままタダで終わって堪るものかと覚悟を決めた。


 颯月の婚約者筆頭である桃華を誘拐したのだ。それは当然、裁かれるだろう。しかしまだ、然るべき場所へ金さえ積めば、それなりの罪で逃げおおせる可能性が残っている。

 懐は痛むが、大倉庫に保管されている絨毯の在庫をさばけば、すぐに取り戻せるレベルだ。


 そもそも彼らが絨毯屋を裁くためには、まず桃華が誘拐された事を公にする必要がある。そうなれば彼女は、「暴漢に攫われて汚された女」として、颯月の婚約者から外される。しかも新たに別の婚約者を探し出せなければ、最悪アイドクレース領からも追い出されてしまうだろう。


 絨毯屋の愛する娘――れいの狙い通り、あの邪魔な婚約者筆頭を消し去る事ができるのだ。


 仮に桃華が居なくなったところで、颯月が選ぶ婚約者の条件は「近い内に結婚が決まっている女」のみ。それは把握しているが――適当な男を結婚相手とし雇い入れ、条件を満たした状態の麗を送り込めば済む話である。

 相手に全く頓着しない颯月ならば、間違いなく受け入れるだろう。


 とはいえ、名ばかりの婚約者に据えたところで、将来颯月が麗と結婚するとは思えない。それに父親目線で見ても、あんな恐ろしい悪魔憑き化け物の元へ可愛い娘が嫁ぐなど、とんでもない事である。

 今は颯月に夢見る麗だって、大人になれば嫌でも彼の恐ろしさを理解できるようになる。適当なところで婚約関係を解消させるのが一番だろう。


 しかし、例え期限付きの婚約だとしても、愛娘にいい夢を見させてやりたい――それが絨毯屋の願いだった。


 ただ、桃華の事件を公にしたくないからと、口止めを条件に無罪放免となる可能性もある。そうなった場合は、いっそ強気に交渉すれば良いのだ。

 本来ならば無罪放免で済む事を有難く思うべきだが、そうではない。「桃華のことを黙っていて欲しければ、我が娘を娶って懇意にしてくれないか」と迫ればいい。


 それが叶うならば、口を閉じるのもやぶさかではない。ただ、それができないならば、絨毯屋としては有罪になっても構わない。世間体も何もかもかなぐり捨てて、桃華の誘拐事件について公表するぞ――と。

 桃華は颯月の婚約者筆頭、彼女だけは何があっても手放したくないはずだ。いくら颯月でも、「誘拐について黙っていてくれるならば」と、下手に出る事は十分に考えられる。


 裁かれる事になれば財力で罪を軽くして、誘拐事件が公になれば桃華を消せる。口止めを条件に裁かれなかった場合、桃華は颯月の元に残るが――交渉次第で、麗にもっと大きな夢を見せてやれるかも知れない。


 そもそも国民を裁けるのは法律を管理する国王と、それに連なる者だけなのだ。国王の元まで引き立てられる前に、この場で絨毯屋が裁かれる事はない。ゆえに、まだ焦る時間ではない。

 そうだ――騎士団長の颯月は確かに立場ある人間だが、王族ではない。だから脅威にはならない。

 ここまでやったからには、もう後戻りができないのだ。娘のためにも、タダで終わって堪るものか。


 絨毯屋のオーナーはそう強く決心して、悠然と歩いてくる颯月を真っ直ぐに見返した。



 ◆



「オーナー、信じられない問題が起きた」


 颯月は、黄色い服を着た女性――もとい、桃華の身代わりを務める綾那の肩を抱いたまま、オーナーの前に立った。綾那はフードを目深に被ったまま、じっと俯いている。


 ちなみに桃華はというと、やや離れた場所に黙って立っている。元々竜禅に頼む予定だった「水鏡ミラージュ」は、颯月が「アレなら俺も使えるぞ」と言って、あらかじめ桃華にかけてくれたのだ。

 それも、以前竜禅が使った設置型のものではなく、まるで大きな金魚鉢を逆さにして頭から被せたような形の「水鏡」だ。


 桃華の頭から胸元まで覆ったその魔法は、彼女の髪色を水色に見せている。しかも、移動してもそのまま「水鏡」がついてくるという優れものだ。

 ゆえに桃華は周りから、水色の髪に竜禅と同じマスクを被った女性に見える。綾那よりも華奢で肌色が濃いという違いはあるが、元の綾那を知らないオーナーから不審に思われる事は、まずないだろう。


 ごくりと生唾を飲んだオーナーは、颯月の顔色を窺うように見上げた。


「も、問題、ですか」

「さっき、別館で女が賊に攫われたという話はしたな? ――それがなぜか、アンタ所有の倉庫から出てきたんだが……弁明はあるか?」

「そ、それは――」

「ああ、待て。聞く前にこれを見せておこうか」


 言いながら颯月が差し出したのは、今回の事件を一部始終撮影した、綾那のスマートフォンだった。


 限られた時間で編集したのでかなり荒いが、撮影した映像は間違っても桃華の顔が映らないよう、綾那の手で巧みに弄られている。

 小さな液晶に映る動画を見て、絨毯屋のオーナーは目を丸めた。その隣では、幸成が眉根を寄せて殺気立つ。


『すまないが、詳細は聞かされていない。ここの家主とアデュレリアの依頼主の、利害が一致したとしか言えない』

『ウィーッス、誘拐お疲れ~あれが例のお姫様? この屋敷の娘と男の取り合いしてるっていう?』

『ほら、坊ちゃんには無傷でって命令されたけどよ、ここのオッサンには「二度と娘の邪魔にならんように、痛めつけて欲しい」って言われてんじゃん。それが、この倉庫を引き渡し場所として提供する条件だ~っつってよ?』


 絨毯屋が犯罪に加担した証拠部分のみ切り抜いたそれは、彼の心を折るには十分だろう。妙な言い訳を聞かされる時間が惜しいので、早々にケリをつけるために作った動画だ。


「それで――何か弁明があるなら聞こうか」


 颯月に低い声で問われて、オーナーはぐう、と喉を鳴らした。そうして沈黙した後にようやく顔を上げると、「いえ、何もありません」と答える。


「なぜこんな真似を?」

「娘のためです……婚約者筆頭である桃華様を婚約者から外して、代わりに私の娘をその座に据えたかった」

「……桃華を?」

「ええ、そうです。私の娘は本当に、心の底から颯月様を愛しているのです。だからこそ――しかし、桃華様には申し訳ない事をしてしまいました。元々ここまでの事をするつもりはありませんでしたが、つい魔が差してしまって。このままでは、桃華様は婚約者を外されるどころか、アイドクレースからも追放され――」

「骨折り損で悪いが、よく見ろ。コイツは桃華じゃない」

「――は?」


 颯月の言葉に、オーナーは目を丸めた。一体何を言っているのだと困惑した表情の彼を一瞥した颯月は、隣に立つ綾那のフードを取り払った。

 オーナーとしては当然、黄色い服を着ている彼女が桃華であると思っていた。だと言うのに、フードの下から出てきた女の顔を見て目をく。


「だ……誰ですか、その女は」


 ――桃華と同じ、黄色のワンピース。桃華と同じ黒髪。だが、顔も年齢も全然違う。瞳だって、桃華はオレンジ色なのに、彼女は髪色と同じ真っ黒だ。しかも、まるでルベライト出身としか思えないような白肌をしている。桃華を攫えと命じたのに、賊の男どもは一体どこでこんな女を捕まえてきたのか――。


 綾那を見て驚いたのはオーナーだけでなく、竜禅と幸成も同様だった。


「お姉さん!?」

「これは――」


 元々、「桃華と間違って攫われた女性がいるという事にしよう」と、そう言っていたのは覚えている。しかしまさか、綾那本人がその役を務めるとは思わなかったのだろう。

 彼らは続けて、離れた位置に立つ桃華を見やると、「あれは「水鏡」をかけているのか」と納得した様子だった。


「応接室で言っただろう? 桃華は間違いなくメゾン・ド・クレースで働いているから、攫われたのは違う人間だってな」

「は……っ、し、しかし、これは一体、どういう事ですか!? わ、私は、私室に居る桃華様を攫うと聞かされていましたが――彼女はどこの誰です? なぜ桃華様の私室に!? それに、その黄色い服は……!」


 綾那は、今にも泣き出しそうな顔で俯いた。そんな綾那の頭を片腕で抱きかかえた颯月は、これ見よがしにため息をつきながら説明し始める。


「俺の婚約者の一人だ。ただ、共に過ごす内に俺に本気になっちまったらしくてな。幼馴染だからと優遇されて、服まで贈られた桃華に妬いたそうだ。とある特殊な魔石を使って扉を開けて、桃華の私物に悪戯しようとしたところ――目に入ったこの黄色い服に、どうしても腕を通してみたくなった。そこへ運悪く乗り込んできた賊に、桃華と間違えられて攫われたんだとよ。――全く、可愛い女だろう?」


 すり、と抱いた綾那の頭に頬を擦り寄せる颯月。綾那は、「余計な事を言うな、するな」という抗議の意味を込めて、彼の脇腹を摘まんだ。――が、どうやら彼には摘まめるだけの余分な肉がないらしく、ギュッと騎士服を掴むだけで不発に終わった。


 綾那自らこの役目を買って出たものの、まさかここまで恥ずかしい思いをする事になるとは、全く予想外である。そもそも、颯月の距離感がおかしい。ずっとバグっているのだ。

 どうかもう少し真面目に演技して欲しい。バクバクと脈打つ心臓の原因が、不安由来でない事は嫌でも分かる。


 まるで心を落ち着けるように細く息を吐きながら、綾那は絨毯屋の反応を待った。彼はしばらく呆気に取られていたが、途端にブンブンと首を横に振ると、叫ぶように大声を張り上げる。


「そ――そんな事が起きるはずがないでしょう! 颯月様、本気でそのような無茶が通ると思っているのですか!?」

「無茶も何も、これが現実だ」

「いくら桃華様を手放したくないからと言って、他の女性を代役に立てるのは感心しませんな! これは、一人の女性の人生が懸かった問題ですぞ!」


 平気な顔をして、一体どの口で言っているのだ――と思うようなセリフを吐くオーナー。綾那はフードの下で眉根を寄せた。


「代役、ね――こんな肌色の女、アイドクレース中を探してもそう簡単に見つからねえとは思わないのか」

「だからこそ、です! そのような女性、かえって怪しいですよ! ――もしや、こういう事態に陥った時のため、あらかじめされていた女なのでは? 女なんて生き物は、金さえ積めばなんでもやりますからね!」

「オイ、颯がそんなクズだって言いたいのか? 被害者の彼女についても――それ以上は、侮辱と受け取るぞ」

「クズ!? そうではないでしょう! 桃華様のためならば、なんでもするというだけだ! そもそも、こんな女を桃華様と間違って攫うはずがない!」


 どんどんヒートアップする絨毯屋に、幸成が苦言をていした。

 賊――旭が「俺達は、あの部屋に居る黄色い服の女性を攫ってこいと言われただけだ。顔は知らなかった」と弁解しても、「そんな訳がない」と聞く耳をもたず喚き散らしている。


(やっぱり、人違いでしたって言うのは厳しいよね。顔も体形も、年齢だって違うもの。ここは予定通り、頑張って泣き落としするしか――)


 綾那は、そっと目を伏せて自分の設定を思い出した。

 綾那は颯月にとって仮初かりそめの婚約者だ。それがいつの間にか、心の底から颯月の事を好きになってしまった。そして、桃華に妬いたのだ。

 だから、つい出来心で彼女に意地悪しようとした。その事がバレただけでも颯月に嫌われるだろうに、暴漢に攫われてしまって――もう、彼の婚約者でいる事すら難しいのだ。


 その悲しみといったら、一体どれほど深いものだろうか。


 この悲しみを、絨毯屋にと思い込ませる必要がある。涙ながらに訴えれば――師に「まるで隠しギフトだ」と言われた綾那の泣き顔を見せれば、きっとできるだろう。


 ――ただ、問題は。


(うん……!? ま、待って、全然ダメそうじゃない? 学級で飼っていた鶏が死んじゃった時の悲しみ! この悲しみじゃあ、涙が出ないって言うの!? 冗談でしょう、あれだけ悲しかったのに!!)


 全く涙が出てこない。本気で泣くどころか、嘘泣きすらできそうにない。

 やはり、この題材を選んだのは間違いだったのだ。失敗が許されない状況下で泣かねばならないという、プレッシャーに負けただけかも知れないが。


 綾那が「どうして泣けないの」と焦っている間にも、絨毯屋はますます熱を上げて叫んでいる。しまいには黙って佇む桃華を指差して、「そもそもあの女が怪しい!」と鋭い指摘をし始めた。


 彼としては、ここまでやったからにはタダでは引き下がれないのだろう。例え己が裁かれるのを避けられなかったとしても、絶対に桃華だけは道連れにしてやるという、強い意志を感じる。


「あの女のマスクを取ってください! もしかすると、彼女こそ桃華様なのではありませんか!? いくらなんでも、こんな間違いは認められません!!」


(まずい、早く……一刻も早く泣かないと。でも、どうすれば――ああ、もう、助けて皆! ――――あ)


 綾那はそこでようやく、鶏よりももっと悲しい出来事があったのを思い出した。

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