第28話 怪力の真価

「兄さんら、一体どういうつもりだよ?」


 軽薄そうな男の不機嫌な声に、綾那はハッと我に返った。しかし、彼らの間に何が起きているのかまるで分からない。ひとまず――いつでも外せるように――通気口カバーをギュッと握って、室内の様子を窺う。


「どうもこうもない、そのお嬢さんに不埒な真似はするな。東へ連れ戻すだけだと言っていたのに、それでは話が違うだろう?」


 まるで脅すように手を翳したままの賊に、フードの男は苛立った様子でため息を吐いた。


「あのさあ、何勘違いしてんの? 本気で兄さんらに口出す権利あると思ってる? いきなりアデュレリア領から追い出されて、家族ともども路頭に迷ってんでしょ? 働き口はおろか通行証もなくて、別の街にすら入れなくて困ってんでしょ? 通行証、要らないんだ? このお姫様の貞操守るために自分の家族捨てんの? ウケんだけど」

「その一線だけは越えさせない。ここで見て見ぬフリをすれば、いよいよ落ちぶれてしまう!」

「ああ、だっる……誘拐しておいて今更マジかよ、面倒くせー」

「お前がお姫様に手ぇ出すなんて言うから」

「は~!? お前も同意したくせに!」


 仲間割れ――いや、そもそも最初から仲間ではないのかも知れない。彼らの弱みにつけ込んで、無理やり悪事を働かせたのではないだろうか。


「とにかく、お前達にそのお嬢さんは任せられない! アデュレリアには俺達が連れて行く!」

「そのアデュレリア領に入れないヤツらが、何言ってんだよ……っだあーもう!!」


 彼らの正義感は見ていて好ましいが、しかし、少々面倒な事になってしまった。「表」の男二人だけならともかく――先ほど賊が放った火の玉の威力を目の当たりにして――綾那に魔法使い七人の相手は無理だと確信した。


 やはり颯月らに合図を送って、助けに来てもらうしかないだろう。

 綾那は撮影を止めてスマートフォンを鞄にしまうと、通気口カバーを思い切り手前に引いた。「怪力」さえあれば、工具を使わなくたって腕力だけで天井ごと破壊できる。割と大きな音が響いたが、男達は口論に夢中で気付いていないようだ。


(とにかく、まずは桃ちゃんを確保しよう)


 通気口をすり抜けて、倉庫の中に降り立つ。続けて、手に持ったままの通気口カバーをフードの男達に向かって思い切り投げつけた。

 ただし頭を狙うと怪我では済まない可能性があるので、「まあでも、腕一本ぐらいなら折れても仕方ない相手かな」と中段辺りを狙ったそれは、見事軽薄そうな男の右腕に直撃した。


「い゛ってェ!?!?」

「なんだ!? お、オイ! お前ら何しやがった!」


 軽薄そうな男はその場に蹲った。彼の相棒が、賊を指差して大声で怒鳴りつける。濡れ衣を着せられた男達は、戸惑った様子で顔を見合わせている。


 綾那は、丸めて立てられた絨毯の隙間を縫うように、フードの男に向かって駆け出した。そしてまだ無傷で喚く男の腕を掴むと、背負い投げして床に叩きつける。背中を強打してウッと息を詰まらせた男は、床の上で体を丸めて激しく咳込んだ。


「あ、綾那さん――?」


 桃華から震える声で呼ばれ、綾那はニッコリと笑いかけた。そしてその場にしゃがみ込むと、彼女の腕を拘束する縄を素手で引きちぎる。


(うん……正直、これはゴリラと言われるはずだよね、自分でも思う)


 うーんと苦笑を浮かべながら、桃華の肩にかかる布を頭から被せて撫でつける。桃華の口から漏れる小さな嗚咽おえつを耳にしながら、綾那は賊を振り返った。


「彼女はどこにも連れて行かせません。あなた方にも事情があるようですが、こちらも譲れません。既にアイドクレースの騎士も来ています、抵抗はやめてください」


 キッパリと言い放った綾那に、賊は押し黙る。しかし、先ほど桃華を助けるために魔法を使った男が、苦しげな――それでいて安堵したような、複雑な表情で頷いた。


「処罰はまぬかれない……もう、終わりだな」


 降参だと言いたげに両手を上げる男を見て、綾那は随分と物分かりが良いのだなと思う。

 誘拐犯とはいえ何やら特別な事情があるらしく、しかも彼らは、フードの男達よりよほど理性的に見えた。何せ彼は桃華の貞操を守るため、己の立場が悪くなる事もかえりみずに反抗したのだから。


 幸い、くだんのシーンはスマートフォンで撮影している。颯月に話せば、即刻処罰する前に彼らの事情を聞くなり何なり、してくれるかも知れない。

 綾那は彼らに声をかけようと口を開きかけたが、しかしまたしても床に光る転移陣が広がったので、咄嗟に桃華を抱き上げてその場から飛び退いた。


「ざっけんな、もう知らねえぞ!!」


 いつの間にか起き上がっていたらしい軽薄な男が、腕を押さえながら吠えた。光が収まると同時に部屋の中に現れたのは、「表」のワンボックスカーほどある大きさの甲羅を背負った、巨大な亀のような生物だ。


「ビアデッドタートル!?」


 亀を見た賊の誰かが、そう叫んだ。

 亀の顎には、まるで短く切りそろえた髭のような突起。立派な甲羅は、大きな岩がこれでもかと張り付いている。


 綾那は初めて見る生き物に、「これは悪魔なのか眷属なのか魔物なのか、一体どれなんだろう――というか、なんで「転移テレポーテーション」もちがこんなもの召喚できるんだろう」と頭を悩ませた。


 狼狽える賊の男達を見て、軽薄な男が高笑いする。


「この亀の甲羅、魔法が効かないんだってな!? なんのためにお前らの武器を取り上げたと思ってんだよ、いざとなったらコイツに食わせるためだっつーの!」


 ビアデッドタートルと呼ばれた亀は、「グルァアアア!」とまるで獣のような咆哮をあげた。屋敷中をビリビリと震わせる、恐ろしい声だ。

 ピンチな事には変わりないが、ひとまず今の咆哮で颯月らに合図を送る手間が省けた。


「ック、卑劣な手を……! 逃げるぞ、丸腰では相手にならん!」

「しかし、お嬢さんがまだ――」

「気にすんなって、あのお姫様は俺らが責任もって送り届け――ア?」


 先ほどまで後ろに居たはずの桃華が見当たらず、男は周囲を見回した。そして、いまだ咳込んでいる仲間の男に気付き彼を助け起こすと、ようやく綾那に抱かれた桃華を発見する。


「ああ、居――は!?」


 そこで初めて綾那の存在に気付いたらしい男は、フードを取り払うと目を丸めた。男の顔が露になったものの、しかし綾那の記憶にはない顔だ。黒髪や瞳の色彩から言って、神子みこでもないだろう。


「あ――綾那……!? 変な仮面付けてっけど、アレ四重奏カルテットの綾那だろ!? なんで綾那までこっちに来てんだ、!?」

「えっ、それって、どういう……」

「なあなあ! お姫様のついでに綾那も捕まえちまおう! 一緒に転移させれば、俺らの女にして遊――」


 綾那の問いかけを無視して、随分と興奮した様子の男。咳込みながら起き上がったもう一人の男も、初め驚愕の表情を浮かべた。しかし彼は、即座にブンブンと頭を横に振る。


「バカ、お前ッ! 綾那が「怪力ストレングス」もちだって話、知らねえのか!? 動画でよく陽香が『ゴリラ』っつってんの、ただのネタじゃなくてなんだよアレ!!」

「マジか!?」

「ま、マジじゃない! ちょっと、失礼ですよ、あなた達!? 陽香以外が言ったらただの悪口でしょう!」


 綾那を置いて「やべーやべー」と勝手に盛り上がる男達に、思わずツッコミを入れてしまう。しかし彼らは、顔を青くして後ずさった。


「クソ、ダメだ。この亀「怪力」が相手じゃ分が悪い――もうお姫様は無理だな、一旦逃げるぞ!」

「ああ、それが良い!」

「ちょ、待――っ、まだ話が!」


 綾那の制止も虚しく、男達は足元に転移陣を出した。あっという間に光に包まれた彼らは、その光と共に忽然と姿を消してしまう。


(な――なんなの、一体? 話が違うって何!? っていうかあの人達、どこの誰なの……?)


「綾那さん……! ビアデッドタートルが!」


 桃華の切羽詰まった声に我に返った綾那は、大きな亀が室内で大暴れしている事にようやく気付いた。

 賊は「逃げる」と言っていたのに――綾那と桃華が気がかりなのか――亀に魔法を放って気を引いてくれているようだ。こちらが逃げるための時間稼ぎのつもりだろか。


 他人の事よりも自分らの安全を第一に考えれば良いものを、つくづく賊らしくない男達だ。


 正直、綾那の心情的には今こんな亀に構っている暇はない。しかし、まずは目の前の問題から片付けなければならないだろう。綾那は桃華を抱いたまま、ひとまず絨毯の陰に隠れて身を低くした。


「あの亀は何?」

「魔物です! あの甲羅には魔法が一切効かなくて、中に篭られると手が出せません!」

「魔法が?」


 改めて亀を見やれば、確かに男達が魔法を放つ度、甲羅の中に引っ込んで攻撃を防いでいる。例え魔法の火の玉が当たっても、甲羅には傷どころかすすひとつついていない。


「じゃあ、どうやって倒すの?」

「え、えっと、確か……力ずくで甲羅を叩き割って、本体を引きずり出すしかないと聞いた事があります。「身体強化ブースト」を使って、武器で力任せに割るのだと――」

「あら……キューさんのって、まだ残ってたんだ」

「え?」


 どうしたって、運が良いとしか言いようがないではないか。綾那からすれば、これほどやりやすい相手は居ないのだから。

 道理で「表」の男らが慌てて逃げたはずである、ギフトを使えば簡単に甲羅が割れてしまうと、分かっていたのだ。


 綾那は絨毯の陰にそっと桃華を降ろすと、「じっとしていてね」と微笑んだ。背を向けて歩き出した綾那に、桃華が慌てた様子で声を掛ける。


「綾那さん! ま、待って! 騎士様がいらっしゃるなら、このまま隠れて待っていた方が――!」

「お嬢さん!? な、何を考えてる、早く逃げないか!」


 賊が魔法を放ったばかりで、亀は甲羅の中に引きこもったまま。獲物が完全に動きを止めている今こそ、絶好のチャンスである。綾那は大きく深呼吸をして目を閉じた。


(実際に何かのは、久しぶりかも――レベル3で良いかな)


 ぱちりと目を開いて、「怪力」を発動した。

 その瞬間、綾那の両腕が肘下から指先まで真っ白に光り輝く。しかしその光は一瞬で消えて、彼女の腕には純白のガントレットが装着されていた。


「怪力」は、保護具なしの素手で扱うには力の反作用が強すぎる。

 例えば、コンクリートを素手で殴ればどうなるか。鉄の塊である車だって、事故で追突すれば見るも無残にひしゃげてしまうのだから――人の身体がダメになるのは当然である。


 ただ、ギフトを配る神とやらはその辺りもよく考慮してくれているようだ。レベルの高い「怪力」を発動すると同時に、使用者の体を守るガントレットがどこからともなく召喚されるのだ。

 ちなみにレベル4では脛から下を覆うグリーブ。そして最大のレベル5では、頭から足先まで覆い隠すフルプレートアーマーが現れる。


 綾那は試した事がないが、レベル5で本気を出せば大地すら割れるほどの膂力りょりょくを得られるらしい。そのとてつもない反作用にも耐えうるアーマーは、鉄壁の防御力を誇る。


 純粋な力自慢だけでなく、守備まで完璧なギフト。一粒で二度美味しいチートギフトと指摘される事もあるが、しかし「怪力」の使い道といえば、魔獣の討伐か力仕事ぐらいのものだ。

 そのため、綾那は他人に妬まれた事がないし、羨望の眼差しを受けた事もない。


(正直、ゴリラって言われるだけだしね?)


 綾那はやや遠い目をしながら、ガントレットを装着した右手の平をグッと硬く握った。


「ちなみにこれは、戦闘行為じゃなくて――ですからね!」


 ギャラリーに言い訳をしながら拳を大きく振りかぶると、レベル3で出せる全力でもって亀の甲羅を殴り抜いた。

 ゴリィッ!! と鈍い音を立てて、甲羅に深くめり込んだ綾那の右手。それを引き抜くと、すかさず左の握り拳をめり込ませて引き抜く。そしてまた、右の拳をめり込ませた。


 すると、拳で開けた三つの風穴を起点にして、甲羅の隅々まで満遍まんべんなく亀裂が入っていく。

 亀は甲羅の中に籠ったまま、「ギャゥウ……!」と弱々しい声を漏らした。ここまで一方的に殴りつけていると、まるで亀を苛めているような構図になってしまう。


(日本昔話のヒーローに成敗されちゃうかな)


 綾那は、マスクの下で困ったように眉を下げた。しかし例えいじめっ子の構図だとしても、から守るなんて、なんとも熱い展開である。


「ごめんね、これでおしまい」


 綾那は最後に甲羅をコン、とノックした。その瞬間、限界まで亀裂の入った甲羅がバキャン!! と音を立てて砕け散る。


「えっ――」


 やけに大きく部屋に響いた「え」は、誰の声だったのか。もしかすると、綾那以外の全員がハモらせた「え」だったのかも知れない。

 立派な甲羅は砕け散り、亀に残されたのは綾那が触れていない腹側の腹甲だけだ。隠れ蓑がなくなったにも関わらず、亀はピャッと首を竦めたまま固まってその場から動かない。


「あの――ここまでくれば、あとは魔法でなんとかできるものですか?」

「は……はい! 我々が引き継ぎます!!」

「助かります」


 綾那の問いかけに気を付けの姿勢で答えた賊の男は、仲間同士で声を掛け合って亀の討伐を再開した。


(あんな殴りごたえのある生き物、動かなくなるまで殴り続けるのはさすがに抵抗があるんだよね……やっぱりジャマダハルが一番いいな、すぐに終わるもの)


 ふう、と息を吐いて「怪力」を解除した綾那は、絨毯の陰に残した桃華の元まで戻った。彼女はただでさえ大きな瞳をこれでもかと見開いて、口をぱくぱくと開閉している。

 綾那はそっと手を伸ばすと、ずり落ちてしまった布を頭から被せ直して、また桃華の顔を隠した。そのまま横抱きにして顔を寄せると、「怖かったね、よく頑張ったね」と囁く。


 正直、一番怖がらせたのは綾那かも知れないと思いつつ――桃華を慰めたくて、抱いた肩をぽんぽん叩いた。すると、布の下からくぐもった声が聞こえてきて、「うん?」と聞き返す。


「あ――綾那お姉さまと、お呼びしても……?」

「おね……? い、いや、まあ、別に呼び方なんて、なんでも良いんだけど――」


 返答を聞いた桃華は、ぎゅうっと綾那の首筋に抱き着いた。綾那とした事が、他でもない颯月の役目を奪ってしまったかも知れない。本当にこれで良かったのだろうか。そんな事を思いながら、ふと目の前で魔法に焼かれる亀を眺めた。


(まあ……桃ちゃんが無事なら、これで良いか)


 にわかに騒がしくなる廊下の気配を感じながら、綾那は颯月達の到着を待った。

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