第27話 手がかり

 王都アイドクレースをぐるりと囲む外壁が、かなり近くに見える。和巳の言った通り、絨毯屋の大倉庫は街の外れにあった。

 辺りに他の建物は見当たらず、防犯のためか高い塀に囲まれた倉庫。騎士団本部よりも――下手をすると、別館を含んだ敷地ほど広大な土地である。倉庫といっても、その外観はまるで大きな屋敷のようだ。


 入口は門と守衛所に守られていて、大きな馬車が一台停まっている。絨毯屋のものと違って、ロゴも装飾も何もない。恐らく、街中であの馬車に乗り換えたのだろう。


 綾那達は一旦、入り口から離れた位置へ馬車を停めた。そうして、高い塀に沿って入口――守衛所まで歩く。

 いきなり騎士、それも役職付きの者が三人も訪ねて来たのだ。やましい事があろうがなかろうが、相手は身構えるだろうと考慮しての事である。


「確かここは、絨毯屋の倉庫兼住居だったはずだ」

「では、まずはオーナーに目通りを?」

「桃華が運び込まれる所を目にした訳じゃあないからな。癪だが、面目を保つだけの手順を踏む必要があるだろう――俺らが騎士である以上は」


 颯月の言葉に、幸成の顔が悔しげに歪んだ。よほど強く噛み締めたのか、彼の唇には血が滲んでいる。


 騎士とは、「表」の警察のような役割も担っているらしい。逮捕状どころか人を攫った証拠すらない状態で、家宅捜索をするなんて許されないのだろう。

 まずは家主に協力を仰ぎ、任意で捜査させてもらうしかない。家主の同意なしに無断で侵入して家宅を荒らす警察など、無茶苦茶である。


「綾、桃華がここに居るのは間違いないな?」

「はい、間違いありません」

「なら、何がなんでも捜査の協力を取り付けるだけだ。まずは守衛に話してオーナーと会うぞ。別館で人攫いが出た事と、ちょうどその時間帯に別館から絨毯屋の馬車が出て行った事を話して――あとは、念のため倉庫を確認させろと言うしかない」


 颯月の言葉に、竜禅が頷いた。


「それしか手はありませんね。しかし、肝心の馬車がここにない以上、捜査協力を拒まれてもおかしくないレベルですよ。根拠に乏しいですから」

「せっかく綾が「攫われたのは桃華じゃない」と大嘘をついてくれたんだ。ここで俺らが強硬手段に出れば、いよいよ言い訳ができなくなるだろう? 特に、俺が必死になり過ぎた時、やはり攫われたのは婚約者桃華らしい――なんて話になると困る」


 真実はどうであれ、証拠がない以上「女を攫っただろう、出せ」なんていうのは、ただの言いがかりに過ぎない。

 騎士だから正当に捜査できる訳だが、しかし騎士だからこそ手順を踏まねば身動きがとれない。ここに桃華が居るのは間違いないのに、一刻も早く桃華を探し出したいのに――きっとこの場に居る誰もが、歯痒い思いをしている事だろう。


 けれどそれは、あくまでも騎士の話だ。


「あの、すみません。どなたか私の踏み台になってくださいませんか? 塀を乗り越えたいのですけど」

「…………お姉さん、今度は何を言い出したの?」


 綾那の問いかけに、前を歩く騎士全員が足を止めた。額を手で押さえながら振り返った幸成に、綾那は小首を傾げた。


「なんだか手順が複雑で大変そうですから、こっそり入って、桃華様を助けちゃおうと思って」

「ちょ、ちょっと待って、俺ら騎士なんだけどさ――まさか、犯罪の幇助ほうじょしろって言ってる?」

「ええ? 私は『踏み台』を使って、自分一人の力で不法侵入するだけですよ? あーあ、今がチャンスだなあ、早く踏み台こないかなあ」


 綾那が塀に向かって大きな独り言を呟くと、ややあってから颯月が「見て見ぬ振りをしろって事かよ?」と噴き出した。彼は綾那のすぐ傍まで歩み寄ると、地面に片膝をついた。そして膝の上に組んだ両手を添えて、綾那が足を乗せるためのステップを用意する。


「上等だ、行ってこい」


 不敵に笑う颯月に見上げられて、綾那は数歩後ずさった。


「うぇあ!? ちょっと待ってください、こんな踏み台がある訳ないでしょう? 光り輝き過ぎでは!? チェンジでお願いします!」

「チェンジはなしだ、さっさと行け」

「断固チェンジ!!」

「……禅、成?」


 どんどん離れていく綾那に痺れを切らした颯月は、部下の名前を呼びかけた。すると綾那は、あっという間に左右の腕を一本ずつ取られて、彼の元まで引きずられるように運ばれてしまう。


「ヒッ、い、いやぁあ! ヤダ、放して……っお願いだから、酷い事しないでぇ! も、もういっそ、私を殺してください! 耐えられません!」

「だからアンタは、オークに襲われる婦人みたいな声を出すな。傷つくんだぞソレ。――さあ、行くぞ」

「うぅうぅうう……っ!」


 颯月を踏み台にすると言うよりも、最早三人がかりで体を持ち上げられて、綾那は無事に塀の上へ到達した。

 そして塀の上でしゃがみ込んだまま体を反転させると、涙目で騎士を見下ろす。


「嫌がる婦女子に無理矢理、なんて事を! ぜ、絶対に許しませんから……!」

「聞こえねえ。俺らにはからな」

「く……っ!」


 悔しげに眉根を寄せた綾那に向かって、幸成が己の腰に差した剣を柄ごと抜いて掲げた。


「何も見えないから独り言だけどさ、お姉さんこれ持ってく? 長さは全く違うけど、刃物が使えない訳じゃあないんでしょ。丸腰じゃあ、さすがに――女性の戦闘行為は禁止されてるけど、なら許されるからさ」


 幸成の言葉に、綾那は目を瞬かせた。

 いまだ綾那の愛刀ジャマダハルは凶器として没収されたまま、騎士団本部に保管されている。剣がなくても魔法が使える幸成達と違って、ギフトしかもたない綾那は丸腰だと危険――と判断した上での提案だろう。


 しかし、短刀であるジャマダハルと幸成の長剣では、リーチから柄の握りまで、何もかも違う。綾那が手にしたところでまともに扱えるはずもなく、付け焼き刃にしかならない。

 であれば、正直あってもなくても同じ事だ。


 それに、いざとなればがない事もないのだ。綾那は黙って首を横に振ると、「これは独り言ですが」と前置きをしてから口を開いた。


「私は力ずくで斬り伏せる事しかできないので、どうせ魔法使い相手では勝ち目がありません。桃華様が今どのような状況か分かりませんが、彼女を見つけても私一人の力で助け出すのは、難しいと思ってください」


 一旦そこで言葉を区切ると、綾那は肩にかけた鞄からスマートフォンを取り出した。それを彼らに見せながら話を続ける。


「ですので、彼女を見つけたら居場所を伝えるために――そうですね、なんとかして大きな音を出すので、助けに来ていただけませんか? ただ、とはいえ、皆さんと全くの無関係とは思われないでしょう。後で揉めた時に少しでもこちらに正当性があったと証明するため、犯罪の証拠集めも並行します。言い逃れできない証拠が出れば、きっと先方も泣き寝入りしてくれますよね?」


 綾那がにっこりと笑えば、幸成は剣を降ろして頷いた。


「無理だけはしないでね、お姉さん」


 寝不足によるクマが目立つ目元を緩ませた幸成に、綾那はほんの少しだけでも認められたのだろうかと嬉しくなる。そして、颯月のためだけでなく彼のためにも、絶対に桃華を助け出そうと決意を新たにしたのであった。



 ◆



(狭い――)


 綾那は、大倉庫と呼ばれる屋敷のエアダクトの中を這って進んでいる。

 香りを追った結果、桃華がそう離れた位置に居ない事は確かだ。ただ倉庫兼住居だけあって、敷地内には警備が多い。塀から侵入する際、誰の目にも留まらなかった事が不思議なレベルだ。


 元は適当な扉か窓から侵入しようと考えていたのだが、当然の事ながら、どこもかしこも鍵がかかっている。そして、もちろん綾那にピッキングスキルなんてものはない。

 やろうと思えば「怪力ストレングス」で鍵を壊すくらい容易いのだが、しかし警備が侵入の痕跡に気付くと困る。下手に騒がれると桃華の身が危ない。


 どうしたものかと考えた末、ふと目に入ったのは屋敷の通気口だった。ちょうど踏み台にできそうな木箱が積み重なっていたため、通気口のカバーを「怪力」で強引に外して、侵入したのだ。


 ただ、比較的長身の綾那がエアダクトを進むのはなかなか厳しい。匍匐ほふく前進で少しずつ桃華の香りを目指した。


(なんか、いよいよ本気でスパイっぽいな……本当はこういうの、陽香が得意なんだけど――)


 しばらく進むと、換気用の通気口から部屋の灯りが漏れている場所が見えた。ひとまずこの辺りで屋敷の内部へ侵入するため、通気口カバーを外して下へ降りたいところだ。

 金木犀の香りもかなり近付いているし、綾那は灯りを目指して這い進む。


「どうして、こんな……颯月様が手を尽くして下さったのに、これじゃあ――」


 真下から人の話し声が聞こえて、綾那は慌ててスマートフォンの録画ボタンを押した。ダクトの中は暗くて画面に何も映らないが、音声だけなら拾えるはずだ。

 綾那は音を立てないよう慎重に進みながら、会話を聞き漏らさぬよう耳を澄ませた。どうも話しているのは少女――桃華と、賊という割に喋り方が丁寧な男のようだった。


「お嬢さんには、本当に悪いと思っている。だが、俺達も生きていくためにはこうするしかないんだ――許せとは言わない」

「私にこんな事をしたって、意味がないじゃないですか。それなのに……」


 桃華の声は酷く震えている。今にも泣き出してしまいそうな声に、綾那の胸が締め付けられた。ようやく通気口カバーまで辿り着いた綾那は、その隙間から部屋の中を覗き込む。


 ここは住居ではなく倉庫の一室らしく、丸まった絨毯が窮屈そうに並んでいる。その隅に座り込んだ桃華は、後ろ手に縛られているようだ。肩には黒い布のようなものが掛けられているが、服装が乱れている様子はない。


 そして、彼女から離れた場所に立っているのは、体格のいい成人男性が全部で七人。賊というだけであって、汚れの目立つ服装やボサボサの髪、伸びた無精ひげなど、身なりは粗野だ。

 しかし、その鍛えられた体躯と立ち姿は妙に洗練されており、本当にただの賊なのだろうかと思わせられる。


 彼らは乱暴するどころか桃華に近付こうともせず、その誰もが申し訳なさそうな顔をしている。まるで、彼女をいたずらに怯えさせぬよう気遣っているようにすら見えた。


「アイドクレースに移住する前、お嬢さんはアデュレリア領に居たんだろう? そこへ連れ戻すよう言われている」

「連れ戻す……? 私は、両親と共に王都へ移住したのですよ? 他に親族も居ないのに、一体誰がそんな事を」

「すまないが、詳細は聞かされていない。ここの家主とアデュレリアの依頼主の、利害が一致したとしか言えない」

「申し訳なく思うなら、どうして――」

「もう他に手がないんだ。家族を養うためには、こうするしか……ただ、お嬢さんを傷付けるつもりは毛頭ない。依頼主も、丁重に連れて来るようにと」


 桃華を見つけ次第、颯月達に合図をするという話だったが、どうも様子がおかしい。綾那はスマートフォンで撮影を続けながら、じっと部屋の様子を観察する。


(確かにぱっと見は『賊』だけど、なんか、あんまり悪い人達には見えないな――誰かに脅されている、とか?)


 今この場に騎士が踏み込んでも、黒幕が分からない状態ではなんの解決にもならない。しかも賊だって訳アリで、まだ決定的な犯罪の証拠も手に入れていない。


 今すぐ桃華が危険に晒される訳でもなさそうだし、もう少し様子を見るべきだろう――と思った瞬間、桃華と賊の間の床が光り輝いて、大きな陣が現れた。


(また転移陣!?)


 転移陣の光が収まると、今まで誰も居なかったはずの場所に、黒いフードを被った人物が二人立っていた。その光景を見て、綾那は瞠目どうもくする。


 綾那の知る「転移テレポーテーション」は、モノを移動させる力だ。それなのに、人が「転移」してきたではないか。「表」でそんな話は聞いた事がない。

 しかしこれで、ひとつハッキリと分かった事がある。

 一体どうやったのか仕組みは分からないが、四重奏カルテットは本当に「転移」で奈落の底へ飛ばされたのだ。


 人攫いの証拠集めのみならず、四重奏にこんな仕打ちをした犯人に近付くチャンスまで訪れた。綾那は息を呑んで、フードを被った二人組を注視する。


「ウィーッス、誘拐お疲れ~あれが例のお姫様? この屋敷の娘と男の取り合いしてるっていう?」


 低い声からして男だろう。やけに軽薄な喋り方をするフードの男は、桃華の目の前まで近付くと、彼女の顔を無遠慮に覗き込んだ。びくりと肩を震わせた桃華を見て、男が声を上げて笑う。


「へー、まだガキだけど可愛いじゃん! なあなあ、あの坊ちゃんに渡す前に、俺らで遊んじまおうか?」

「はあ? お前バカ言うな、バレたら何されるか分かったもんじゃねえぞ。あいつらマジで魔法使うバケモンなんだから、やめとけよ」


 どうやら、もう一人も男のようだ。下衆ゲスな提案をする軽薄な男をいさめて、フードの下で大きなため息をついている。


「バレるも何も――だってこの子、男居んだろ? 初めてじゃあるまいし、つまみ食いぐらいよくねえ? てか、初めてなら逆に棚ボタじゃん? 坊ちゃんになんか言われても「いや~、だって婚約者、居ましたからねえ~?」で終わりだっつの」

「お前、サイテーだなマジで……この子まだJKぐらいじゃねえの? そんな悪戯していいのかよ」

「はぁ~? こっち来てからずっとガキのお守りで、どれだけストレス溜まってると思ってんだよ、分かるじゃん。ちょっとくらい発散してもよくね? ほら、坊ちゃんには無傷でって命令されたけどよ、ここのオッサンには「二度と娘の邪魔にならんように、痛めつけて欲しい」って言われてんじゃん。それが、この倉庫を引き渡し場所として提供する条件だ~っつってよ?」

「そりゃ、分かるけど……あ~、まあ、もう、良いか。じゃあ、報酬はあとで渡しに行くんで、もう帰って良いッスよ?」


 フードの男達は桃華の前に立つと、後ろの賊に向かって片手を上げた。恐らく、下衆な提案を実行するつもりなのだろう。


(あの二人だけになったら下に降りて、思いっきり殴っちゃおう)


 本来「怪力」もちの綾那は、国の英才教育のせいで滅多に怒らない。しかし、だからと言って全く怒らない訳ではない。

 特に女性を手籠てごめにしようとする輩などには、手加減する必要がない。手に持つスマートフォンがみしりと音を立て、綾那は慌てて力を緩めた。


 JKなんていう単語が出てくる会話から察するに、やはり彼らは「表」の人間だろう。であれば、魔法も使えないはず。フードで髪色を確認できないため、神子みこの可能性は残るが――相手が同じ「怪力」もちでない限り、素手の喧嘩で綾那が負ける事はない。


 素手で速やかにしてしまえば、わざわざ大きな音を立てて騎士を呼ばずとも、綾那の力だけで桃華を助け出せる。当初の予定よりもよほどスマートだ。

 しかし、あの賊は違う。七人も相手するのは骨が折れるし、間違いなく魔法を使うはずだ。彼らが部屋に居る間は降りられない。


(だから、一刻も早く出て行ってください……!)


 まるで念を送るように彼らを見つめたものの、残念ながら動く気配がない。もしや旗色が悪いか――と綾那が冷や汗を流せば、賊の一人が右の手の平を突き出すようにかざして、何か呟いた。


 すると彼の手の平から、突然サッカーボール大の火の玉が飛び出した。それはフードの男らの足元にぶつかって消えると、床を真っ黒に焼き焦がして煙を上げた。


「……は?」


 部屋の中に、フードの男達と綾那の声が重なって響いた。

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