第18話 リベリアスの王

 綾那が奈落の底に落とされてから、初めて迎えた朝。


 夜の間は月の役割を担っていた魔法の光源も、今は太陽のように光り輝いている。

 窓辺にソーラー充電器を置いてみたところ、どうやら魔法の光源でも問題なく動くらしい。

 このまま一日放っておけば、また使えるようになるだろう。


(目元を隠すマスクがあって良かった)


 昨夜ほとんど眠れなかったせいで、綾那の顔色はお世辞にも良いとは言えない。

 予想通り目は赤く腫れているし、目の下にも薄っすらと影ができている。


 綾那は颯月から貰った服に着替えると、いつ誰が訪ねてきても良いように身支度を整えた。


「6時……どうしようかな」


 ベッド横の壁には時計が掛かっているのだが、昨日は余裕がなかったせいか全く気付けなかった。

 1から12までの数字が並んだそれは、「表」のものと全く同じで――まあ、キューの言葉を借りるならば、同じ地球なのだから当然だろう。


 さて、これからどうしたものか。

 このまま自室に引きこもっていても、事態は好転しない。しかし、誰かの付き添いなしに外へ出られるはずもない。

 ここまでの道筋なんて記憶している暇がなかったし、この宿舎のどこにどんな設備があるのか、そもそも把握していない。


 しかも綾那は、スパイ疑惑を掛けられていて保護観察扱いだ。

 そんな状態で勝手に出歩く訳にもいかないし、ただ誰かが訪ねてくるのを待つしかない。


 綾那は窓辺に立って、ぼんやりと外を眺めた。僅かに開けた窓の隙間から入ってくる風は生暖かい。


 この部屋は二階にあるため、騎士団敷地内の様子がよく見える。

 青々と茂った生け垣は背が高く、迷路みたいだ。そして迷路を超えた先に、高い鉄柵に囲まれたグラウンドらしきもの。


 どうもこの辺り全体が鉄柵で区切られているようだ。こんなものに囲まれていると、まるで街と隔離されているように錯覚してしまう。

 刑務所とまでは言わないが、なんとも言えない閉塞感を覚えるのだ。


 まだ朝早い時間帯なのに、グラウンドには騎士服の人間が大勢集まっている。

 もしかするとアレは、騎士の訓練場なのかも知れない。


(颯月さん――様、も居るのかな。昨日かなり遅くまで話し合いをしていたみたいだから、居ないか)


 黒髪だらけの中では、金メッシュ混じりの颯月はさぞかし目立つだろう。

 そう思うものの、綾那の部屋から訓練場までそれなりに距離があるため、誰が誰だか見分けがつかない。


 そうしてぼんやりと訓練場を眺めていたら、扉をノックする音が聞こえて目を瞬かせる。

 綾那は慌てて窓を閉めると、「はい」と返事した。


 現状、綾那以外にこの扉を開けられる者は居ない。小走りで扉まで駆け寄ると、客を迎えるためにそっと開けた。

 廊下に立っていたのは、本日も中性的な美貌の持ち主――和巳かずみである。


「綾那さん、おはようございます」

「おはようございます、和巳様」


 昨夜、竜禅を連れ戻しに来た幸成との会話から察するに、恐らく和巳も遅くまで話し合いをしていたはずだ。

 それにも関わらず、彼の顔には疲労の色が見えない。


 年中温暖なアイドクレース領の人間らしく、健康的に焼けた肌。

 柔らかそうな茶髪は低い位置で一つ結びにされていて、片側の肩へ流している。

 切れ長で涼し気な青い瞳、その右目の下には泣きボクロがあり、瞳を縁取る睫毛は上下ともに長い。

 初夏に咲くはずがないのに、彼からはなぜか桜に似た華やかな香りがする。


(騎士と言うより……なんか、「表」ならモデルが似合いそう。性別不詳なジェンダーレスキャラで)


 颯月相手には、随分と柔和な表情を見せていたが――やはり、まだ信頼関係を築けていない綾那が相手では表情が乏しく、声色も硬い。

 今後彼の態度が軟化するか否かは、綾那の頑張り次第だろう。


「早速ですが、朝食会場へ案内しましょう。苦手なものはありますか?」

「あ、いいえ! ありがとうございます、よろしくお願いします」


 綾那は深々と頭を下げてから、和巳の後を追いかけた。

 正直、まだこの世界の食文化が分からないため、苦手も好物も何も分からないのだ。

 そもそも好き嫌いを言える立場でもないので、出されたものはなんでも食べるつもりでいる。


「昨夜は休めましたか?」


 無言は気まずいと思ったのか、和巳が話題を振ってくれたものの――しかし綾那は即答できなかった。

 本音を言えば、ほとんど休めていない。ただ、それをバカ正直に言うのもどうなのだろうか。


 この質問は、ただ単に場を繋ぐための社交辞令みたいなものだろう。

 それなら綾那も同じように返すべきだ。やや間を空けてから「はい」と答えたが、和巳は正面を向いたまま小さく苦笑を漏らした。


「いえ、そうですね。質問が良くありませんでした……このような状況下へ置かれて、まともに休めるはずもないのに」

「あ、いや、す、すみません。まだ色々と、慣れなくて」

「気になる事があれば道すがらお答えしますよ。内容にもよりますが」

「ありがとうございます。じゃあ、えっと――」


 キューや颯月から話を聞いたものの、まだこの世界について把握できていない。

 分からない事だらけで、まず何から訊ねれば良いのか悩んでしまう。


 綾那は小さく唸った後に、口を開いた。


「まず、この国と――あと、領間の関係性について教えて欲しいです。もしかして、他領と戦争が起きる事もありますか?」

「せ、戦争ですか?」


 和巳は、目を丸めて綾那を振り返った。


 スパイ疑惑を掛けられている状況で、戦争なんて言葉は口にしない方が良かっただろうか。

 そう後悔したが、どうしても確認しておきたかったのだ。


 キュー曰く、四重奏カルテットのメンバーは東と南の方角へ散り散りになっているらしい。

 だと言うのに、昨夜幸成は「東がきな臭いから、何が起きてもおかしくない」と言っていた。


 五つの領を行き来するのは基本自由と説明を受けたものの、領間の仲が悪く、頻繁に争いが起きるようでは困るのだ。

 ただでさえ悪魔とか眷属とかいう、危険な存在が多いのに――アイドクレース騎士団に保護されている綾那はともかく――メンバーの身の安全が心配で仕方ない。


 だから、どうか平和な国であって欲しい。

 祈るような気持ちで和巳を見つめると、彼は気を取り直すように咳払いをした。


「失礼。ええと、戦争とは、人間同士の争いの事を言っていますか?」

「はい、そうです」

「そうですか……なるほど、本当に異なる大陸から来られたのですね。史実によると、リベリアス内で人間同士の戦争が起きたのは、およそ300年前が最後です」


 和巳の言葉に、綾那は安堵のため息を吐き出した。


「人類共通の敵と言える悪魔と、眷属の存在がある以上……恐らく、今後も人間同士で争う余裕はないでしょう」

「という事は300年前、悪魔は存在しなかったのですか?」

「記録上はそうなります。悪魔がいつどこで、どう生まれたのか――実は、初めから存在していたものが人前に出なかっただけなのかは、いまだ解明されていません」

「そう、なんですね」


 どうやら悪魔と言うのは、ただ人を脅かすだけの存在ではないらしい。

 悪魔が脅威であればあるほど、人間同士の結束が強まる――『必要悪』というヤツだろうか。


「領間の交流は頻繁に行われていて、交易も盛んです。リベリアスは五つの領から成る国で、王族が住むのはここアイドクレース。王は国の法律を管理する権限を持つものの、決して絶対的な権力がある訳ではありません。まあ、もし仮に国民から一方的に搾取するようなおぞましい法律を打ち立てられた場合は、絶望的ですがね」

「そんな事が起こり得るんですか?」

「なくはない、とだけ」


 それは、ほとんど絶対的な権力を持つ者だと言えるのではないか?

 綾那はなんとも言えない表情になって、口を噤んだ。


「王の後継者は、太古より続く血統を繋いだ王族の中から選ばれます。現国王は第125代目で――正統な後継はお一人のみ。王には生涯で一度だけ、法律を制定または既存の法律を改定する権利があります。どのような内容でも、関係なく」

「生涯で一度だけ、どんな法律でも……?」

「ええ。ただ、現国王は既に権利を喪失しています。ですから、今すぐに悍ましい法律が制定されることはありません。次期国王であらせられる王太子殿下も、颯月様が全幅の信頼を寄せる御方なので安心です」

「はあ……なんと言いますか、凄い国なんですね」


 とりあえずは、人間同士の戦争がない。

 国王は単なる『象徴』ではなく権力者で間違いないが、当面の間――それこそ数十年単位は、脅威にならない。

 これだけ分かっただけでも、安心感が段違いだ。


 しかしそうなると、綾那には腑に落ちない事があった。


「領間の仲が良いなら、私はどうして他領のスパイだと疑われているのでしょうか……?」


 首を傾げた綾那に、和巳は難しい表情になる。


「そうですね……続きは、食事を終えてからにしましょうか」


 目的の朝食会場へ着いたらしく、先頭に立つ和巳が両開きの大きな扉を開いた。

 彼は、扉を押さえたまま綾那が入室するのを待っている。その気遣いがありがたくも申し訳なくて、綾那は早足で中へ入った。


 広い室内には、横に長い食卓机がいくつも並べられている。

 最奥には厨房があって、中では何人ものシェフが忙しなく動き回っているようだ。

 厨房と食事処を区切るように、料理の受け取り口――そして返却口らしきカウンターもある。


 今のところは働くシェフのみで、食卓机に座る者は一人も居ない。

 訓練場に集まっていた騎士は、朝の訓練が終わり次第一斉に雪崩れ込んでくるのだろうか。

 きっと厨房は今、その準備で忙しいのだろう。


「綾那さん」


 和巳は入り口に近い席の椅子を一脚引いて、着席を促した。

 綾那が――受け慣れないエスコートに――ぎこちない動きで椅子の前に立つと、丁寧な手つきで椅子を戻して座らせてくれる。


「食事を取ってきますから、こちらでお待ちください」

「え? そんな、悪いです。私も――」

「いいえ。疑いが解けるまで、ここで暮らす者との接触は最小限に――ですから、お気になさらず」

「あぁ~……えっと、じゃあ、はい。お願いします」


 暗に「シェフに姿を見せるな、そして設備を見ようとするな、スパイ」と釘を刺された気がして、綾那は大人しく椅子に座り直した。

 そうして一人で厨房へ向かう和巳の背を見ながら、そっと息を吐いた。

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