第14話 袋小路

 小高い丘の上に建てられた、城のような大豪邸。

 この大豪邸は、やはり王族の住まいらしい。その広大な敷地の一角に建てられた屋敷の一つが、アイドクレース騎士団の本部と宿舎だ。


 騎士は元々街中に駐屯していたのだが、限られた王族の数に対して、広すぎる土地は万年持て余されていた。

 どうせなら、それらを騎士の訓練場として有効に活用して欲しいと譲渡されたのが、王族の膝元にきょを構える事となった始まりのようだ。


 そんな騎士団本部の中にある、応接室。

 長く大きな会議机が真ん中に置かれて、上座――いわゆるお誕生日席には、颯月が腰を下ろしている。


 彼の斜め右向かいには竜禅が座り、左向かいには、まだ年若く軽薄そうな雰囲気の青年。

 竜禅の隣には、肩につくぐらいの茶髪を一つ結びにした、中性的な顔立ちの男性。

 颯月を含め、彼らが身に纏う漆黒の騎士服は禁欲的で、応接室には厳粛な雰囲気が漂っている。


 そして部屋の出口に一番近く、颯月と物理的な距離のある下座に腰を下ろしているのは――この場所に似つかわしくない妙齢の女性、綾那だ。


 綾那は一言も言葉を発する事なく、正に借りてきた猫のごとく体を硬直させたまま、俯いていた。


(どうしてこうなったの――? いや、少し考えれば分かる事だったかも……考える事に疲れたとは言え、さすがに迂闊だったよね)


 綾那はまるで現実逃避でもするように、ここへ至るまでの事を思い返した。



 ◆



 颯月と竜禅の先導で騎士団本部へ入った綾那は、まず颯月の執務室だという場所まで案内された。

 彼はこの国に貴族も身分もないと言っていたが、個人の仕事部屋を与えられているなど、やはり立場ある人間で間違いないのだろう。


 自室みたいなものだからと、ノックも無しに扉を開けた颯月に続いて中へ入れば、部屋の中心には来客用の長ソファとテーブルが置かれていた。


 そのソファに寝転がって寛いでいたのは、軽薄そうな雰囲気の若い男――幸成ゆきしげ

 幸成の正面に行儀よく座ってお茶を飲んでいたのは、中性的な顔立ちをした男――和巳かずみだ。


 二人は部屋の主の帰還に気付くと、揃ってソファから立ち上がった。

 続けて、それぞれが颯月に労いの言葉をかけたのだが――しかし和やかな雰囲気だったのはそこまでだ。


 ふと颯月の後ろに立つ綾那の存在に気付くと、彼らは警戒心をあらわにしたのである。


 考えてみれば当然の事だ。

 こんな真夜中に――しかも、明らかに関係者以外立ち入れないような空間へ見知らぬ女が訪ねて来たら、それは警戒するだろう。


 綾那とて、もしも真夜中に自分達の住む家へ見知らぬ男が訪ねて来たら、問答無用で通報案件だと思う。

 例えば信頼する四重奏カルテットのメンバーに、「この人ウチで働きたいんだって」と紹介されたとしても、ツッコミどころが多すぎて困るだろう。


 そんな空気の中、颯月はただ一言「綾を雇う事にした」と告げたものの――そこから先は荒れに荒れた。


 まず手始めに綾那の身分を証明しろという話になったが、身分証は愚かこの国の戸籍すらない。

 日本の運転免許証ならば手元にあるものの、そんなものを見せれば「この住所はなんだ、どこだ」と余計に怪しまれてしまうだろう。


 当然その流れで、通行証のない綾那を颯月が密入国させた事までバレた。

 怒りで時間帯さえ失念してしまったのか、幸成も和巳も声を大にして彼を責め立てた。


 それでも颯月は、騎士達の怒声もどこ吹く風と言った様子で涼しい顔をしていた。

 しかし、幸成の怒りの矛先が綾那へ向いた途端に、「綾は俺に連れてこられただけだ。喧嘩売る相手を間違えるなよ」と即座に庇ったのである。


 その庇うという行動が、何故かかえって彼らの不信感を煽ったらしい。


 幸成は「悪魔の手先かも」和巳は「他領のスパイでは」などと、綾那の素性について口々に疑問を投げたかと思えば――最終的に下された結論は、「満場一致でハニートラップだぞ!」だった。


 颯月を神と仰ぐ綾那からしてみれば、己程度の蜜に颯月が溺れるなど失笑ものである。

 思わず噴き出してしまうほど馬鹿げた疑いを掛けられた綾那は、何とも言えない表情になった。


 部外者である綾那にこの状況を収める事はできない。

 とは言え、己が考えなしにここまでホイホイついて来たせいで、颯月が責められている今の状況には、少なからず罪悪感を覚える。


 恐らく颯月の言う「面接官」とは、彼らの事だったのだろう。

 その彼らがダメだと言うのだから、ここで働く事も、宿を紹介してもらう事も諦めるしかない。


 ――もう良いんです、ここまで大変お世話になりました。街で別の仕事を探しますから、私は平気ですよ。


 綾那はそう伝えたくて、自身を庇うように立つ彼の騎士服、その袖口をそっと引くと小声で「颯月さん」と呼び掛けた。

 まさか、その言動が更に首を絞める事になるとは夢にも思わなかったのだ。


 やはり颯月は、立場ある人間だった。


 服とは言え、軽々しく彼に触れた事。

 そして彼を馴れ馴れしく「さん」付けで呼んだ事に、幸成と和巳は激怒した。


 わざわざ声量を抑えて囁きかけたのも悪かったのだろう。

 ただでさえハニートラップ要員だと疑われているのに、自ら疑惑を深めに行ったようなものだった。


 綾那は、面と向かって怒声を浴びせられるという、今まであまり経験したことのない状況に驚いて、びくりと肩を竦めた。


 颯月は彼らの目から隠すように綾那の頭を抱き寄せると、不快そうに眉をひそめた。

 その過保護な行動を見て、彼らはますます「絶対に騙されている、今すぐに追い出そう」とヒートアップしていく。


 綾那を手放そうとしない颯月に、絶対に雇えないと主張する幸成と和巳。


 すっかり収拾がつかなくなった事態を収めたのは、執務室のドア前に立ち終始無言を貫いていた竜禅だった。


「落ち着け、彼女が本当に他領から送られたスパイだったとして――本部の中にまで入れてしまったのに、今更追い出して済む話だとでも思っているのか?」


 言葉を詰まらせたのは幸成と和巳だけではなく、綾那も同じだった。


 犯罪者に仕立て上げられるような事はない、と。

 だから中に入っても問題ないと言っていたのに、これでは約束が違うではないか。

 しかも綾那の気付かぬ内に袋小路へ追いやられて、退路まで綺麗に塞がれている。


 この時綾那は、颯月が騎士団の新人に対して「一度中へ誘い込んだからには、あの手この手を使ってそう簡単に逃げ出せないように囲い込む」と言っていた事を思い出した。


 追い出せないなら、消えてもらうしか――と物騒な事を言い出した幸成に向かって、竜禅はまず話し合いの場を設けるべきだと主張した。


 実際にスパイであったならば好きにすればいいが、もし濡れ衣だった場合は、その取り返しのつかない事態に、誰がどう責任を取るのかと。


 竜禅の言葉に渋々了承した男達をよそに、綾那は蚊が鳴くようなか細い声で「信じてたのに――」と呟いた。

 その頭上で小さく噴き出して「だから、「素直で可愛い」って言ったんだ」と低く囁いた男の心理状態は、一体どうなっているのだろうか。


 綾那はまるで死刑台を前にした囚人のような胸中で、颯月と竜禅に導かれるまま応接室へと足を運んだ。



 ◆



 そして、今に至る。


 森の中で颯月にしたのと同じ説明を終えて、自身の置かれている状況について話した。

 ただ、彼らがそれを信じたのかどうかは、また別の話である。


 応接室へ向かうまでの道すがら、腰のベルトに差していたジャマダハルは二対とも没収された。

 立派な凶器なのだから当然と言えば当然なのだが、アレはアリスからプレゼントされた大事な品だ。

 疑いが解けた暁には、早急に返却して頂きたいところである。


 そうして己の身の上話を終えた綾那は、災いの元だと言わんばかりに口を引き結んだ。


 眉は下がり、伏目がちの瞳には涙の膜が張って、潤んでいる。

 不安で仕方ない、縋る藁すら一本もない。綾那の頼りない表情は、見る者の庇護欲をこれでもかとくすぐる――なんて話を、人から聞かされた事もある。


 その威力と言えば、つい先程まで綾那を罵っていた二人でさえ、気を削がれたようにぐうと喉奥を唸らせて目を反らした程だ。


 誰かが呟いた「やはり、間違いなくハニトラ要員――」という声をかき消すように、颯月は咳払いしてから騎士を一瞥いちべつする。


「改めて聞くが、どう思う? 綾は何かしらの犯罪に巻き込まれた被害者だろう、保護するついでに雇う事の何が悪い?」


 会議机に行儀悪くも片肘をついて、軽く握った拳の上に顎を乗せる姿は不遜だ。

 しかし颯月には、確かな威厳のようなものがある。


 指先を揃えて「発言の許可を」と挙手する竜禅に、彼は無言で頷き返した。


「私は、颯月様の意思を尊重いたします。……個人的な感情を言っても、彼女の保護には賛同いたします」


 即答した竜禅に、その正面に座る幸成は分かりやすく渋面じゅうめんを浮かべた。

 そして、腕組みをして椅子の背もたれに体重をかけると、大きなため息を吐き出す。


「そりゃあ、禅はそうなるだろうよ。個人的って言ったって……颯、「共感覚」切ってんのか?」

「切り忘れてるな」

「はあ……忘れてんじゃなくて、「今」切る気がないんだろ」


(共感覚って、なんだろう)


 そんな疑問が思い浮かんだものの、今の綾那に口を挟む勇気などない。

 とりあえず今は、ただ黙って耳を澄ませるだけに留めた。


「颯月様、彼女が魔力ゼロ体質だと言うのは間違いないのですか?」


 和巳の問いかけに、颯月は「ああ」と短く答える。

 ふむと熟考するように俯いた和巳は、やがて顔を上げると再び口を開いた。


「まさか「魅了チャーム」を使われたのかとも思いましたが……魔力ゼロ体質では、その可能性はありませんね。そもそも颯月様に「魅了」は――」

「この俺が「魅了」ごときにかかるかよ。……むしろ魅了されてんのは綾の方だぞ、魔法じゃなく俺の顔にだが」


 いきなり惚気のろけのような事を言い出した颯月に、騎士達はぽかんと呆けた顔をした。


 彼らは無言で綾那を見やったが――綾那は綾那で図星を突かれて反論する事ができず、複数の視線に晒されて居心地悪そうに身じろいだ。


 和巳は気を取り直すように頭を振ると、会議机に目線を落とした。


「謎の手法で、異大陸からリベリアスまで拉致された女性――ですか。それも、ご家族と散り散りになってしまわれて寄る辺もない、と……確かに、保護の対象ではありますが」

「広告塔に女を使って云々うんぬんは別に反対しないけどさ、何でこのお姉さんなんだ? 理由は?」

「ええ、そうですね。わざわざ複雑な環境に置かれている彼女をえる意味は、あるのでしょうか……?」


 側近二人の口から上がった疑問に、颯月は何を当然の事をと言わんばかりの呆れた表情で答えた。


「俺のタイプだから」

「――――ヴン゛ッ……!?」


 しれっと何でもない事のように発された颯月の言葉に、綾那はくぐもった奇声を上げて机に顔を伏せた。

 ふるふると小刻みに体を震わせる綾那に、また騎士達の視線が注がれたが――平静を取り戻すのに必死で構っていられない。


 まさか、神からタイプとして認識されているなど、露ほども思っていなかった。


 正直光栄だ、嬉しいと思ってしまっている。

 ただ、ここで手放しに喜んでしまっては――颯月に婚約者がいる以上――いよいよ四重奏のメンバーに合わせる顔がなくなってしまう。


 また脳内で、天使と悪魔の戦いの火蓋が落とされるぞ――と震える綾那をよそに、彼らは話を進めて行く。


「い、いや、確かにお姉さんは美人だけどさ、颯の周りって何もしなくたってホラ、いっぱい集まってくるじゃん。何も、スパイ疑惑のあるお姉さんに決めなくても良いんじゃ……?」

「馬鹿を言うな成。過去、綾ほど完璧に条件を満たした女と会った事なんかない」

「ば、バカ言ってんのはどっちだ! 「条件」て何だよ、初耳だぞ俺!?」


 ガタッと椅子から立ち上がって熱くなる幸成の様子に、颯月はやれやれと首を横に振った。

 続けて、ちらと竜禅へ視線を送る。


「――禅、俺の好みは?」

「はい。「細身、貧乳、勝ち気で自己主張が激しい、やたらと攻撃的で一切こちらの思い通りにならないような女性」――の、を行く女性です」

「何だ、その具体的な条件は!? 絶対に正妃様のことディスってんな!」

「誰も、正妃様が骸骨みたく痩せてて悲しくなるほど貧乳で、勝ち気で自己主張が激しくて攻撃的な上、俺の思い通りにならなくて面倒くさいから、ああいう女だけは死んでも御免だ――なんて言ってない。不敬だぞ、成」

「どの口が言ってんだ!?」

「ええと……つまり彼女は、颯月様の好みド真ん中と言う事ですか?」

「ああ、色白に垂れ目も追加する。……なんかアイツ、例え檻に閉じ込めても愛さえ囁けば笑って許してくれそうだろ? 本当に可愛い」

「颯月様……」

「颯は性癖が特殊すぎんだよ!」


 頭痛を堪えるような表情で額に手を当てる和巳と、椅子から立ち上がったまま吠える幸成。


 綾那はと言うと、いまだ溢れ出そうになる喜びを何とか内に留めようと必死になっているため、色々と失礼な事を言われている事に全く気付いていない。


 しばらく応接室が混沌とした空気に包まれたものの、颯月は綾那の意識が回復した頃合いを見計らって口を開いた。


「まあタイプ云々は、あくまでも理由の一つだ。綾は魔力ゼロ体質だが、異大陸の面白い力を持っている。正直、クソみたいな法律さえなければ広告塔どころか騎士団員として働けるレベルだ。ああ見えて、腕っぷしは強いんだぞ」


 既に綾那の能力を知る颯月は、言いながら口の端を上げた。

 竜禅はどこか興味深そうに綾那を見やって、幸成と和巳は眉根を寄せる。


「お言葉ですが颯月様、とても信じられません。魔法が使えないとなれば、「身体強化ブースト」すら掛けられないでしょうに――」

「俺も初めはそう思った。綾、まだあの力は使えるのか?」

「え? は、はい、使えます」


 ようやく平静さを取り戻した綾那は、座ったままぴしっと姿勢を正して問いかけに答えた。

 それを聞いた颯月は、おもむろに椅子から立ち上がると、幸成の肩をぽんと叩く。


「成、アンタここで綾と腕相撲してみろ」

「……はあ?」


 胡乱うろんな目をして首を傾げた幸成に、颯月は笑みを深めたのであった。

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