第13話 騎士団本部

「――颯月さん?」


 街をぐるりと囲んだ白壁も、統一感のあるレンガづくりで美しかった。

 しかし今綾那が目にしているのは、更に複雑な意匠の文様が彫り込まれた高い壁だ。

 颯月は慣れた様子で豪華絢爛な門をくぐると、豪邸の敷地内へ足を踏み入れた。


 先程まで歩いていた街並みとは明らかに違う、白亜の城と呼ぶに相応しい大豪邸を前にして――綾那は、完全に足を止めた。

 思わず門の外から名を呼びかければ、彼は綾那を振り返って首を傾げる。


「どうした、綾」

「あの、ここは? 明らかに、関係者以外立ち入り禁止といった佇まいですが……」

「俺の職場。ここは裏口だ、ひとまず気にせず通って良いぞ?」

「これ、裏口ですか!? 裏口でこの規模!?」

「ああ、正面玄関は反対側にある」


 綾那はぽかんと口を開けて、目の前に建つ立派な門、そして奥にある屋敷の高い屋根を見上げた。


 王都の小高い丘の上に建つ、城と見まがうような屋敷だ。

 そこに住まう者と言えば、最高権力者である王とそれに並ぶ尊い者達に決まっている。


 こんな豪邸でする仕事とは如何いかに? と頭を抱えたが、思い返せば颯月は、この街の騎士だった。

 日本には馴染みのない職業のため綾那にはよく分からないが、騎士は騎士でも王族を守る近衛騎士というヤツだろうか。


(いや、でも颯月さん、街から離れた森の中にまで見回りしに来ていたんだよ? 近衛騎士って、お城の王様の傍を離れないイメージがあるんだけど……それとも何、この街の騎士団は王様のお膝元に駐屯していると? え、ていうか、もしかして私の職場もここになるの? スタチュー関連の仕事しかやった事ないのに、荷が勝ちすぎてない?)


 例えば「表」でただの一般人が、真夜中に皇居の裏口から不法侵入した挙句、宮内庁の方に「働かせてください」なんて頼みに行った場合どうなるだろうか。

 恐らくお縄まっしぐらだろう。


 奈落の底のでも綾那が同じ末路を辿るかは分からないが、いくら関係者が一緒だとしても、この門を通るのは相当に勇気が要る。

 そもそも裏口とは言え、こんなに立派な門構えをしているのに、見張りも門番も見当たらない事が気になる。


「えぇ、っとぉ~……颯月さん、やっぱりこんな遅い時間に伺うのは、少々非常識かなと――夜が明けてから改めて面接をお願いできればと思うのですが、いかがでしょう……?」


 駄目で元々という思いで颯月に提案したものの、彼はやはり首を横に振った。


「騎士団の本部はこの敷地内にある。どうせ面接官殿は、寝ずに本部で俺の帰りを待っているだろうから……時間帯についても気にしなくていい。というか、さっさと話を通しておかないと後が面倒くさいんだよ、あいつら」

「あ……私、人生で一度も面接を受けるような仕事をやった事がないんですけど、面接官さん複数人なんですね……色々とハードルが高いなあ」


 綾那は、ただでさえ人見知りだ。

 しかも、学生時代からスターダムチューブを使って小遣いを稼ぎ――成人する頃には、それを運よく仕事まで昇華できた。


 そのため、ごく一般的なアルバイトの経験はなく、もちろん企業の面接を受けた事もない。

 だと言うのに、まさか初めて受ける面接がこれほどイレギュラーなものになるとは。


 何とも言えない緊張感を覚えて、綾那は小さく息を吐いた。


「本当に、入っても平気ですか? あとで犯罪者に仕立て上げられるなんてことは……?」

「あー……平気、平気。悪いようにはしないって言っただろ? こういうのは勢いで行くのが良い、さっさと行こう」

「うぅ、信じますからね、颯月さん……」


 颯月に手招きされて、綾那は意を決したように門をくぐると、大豪邸の敷地へ足を踏み入れた。

 その様子を満足げな表情で眺めていた颯月は、踵を返して綾那を先導すべく歩き出す。


 しかしその一歩目を踏み出す瞬間、彼は微かに笑みを浮かべて、ぼそりと呟いた。


「アンタ、素直で可愛いな」

「ぅぐッ……!? き、急に何を言い出すんですか!? 本当にやめてください!」

「ああ、悪い。つい本音が」

「颯月さん!」


 唯一絶対神と仰ぐ颯月の言葉に、面接に対する緊張感とはまた違う意味合いで鼓動が速くなって、綾那はぐぅと唸るしかできなくなる。


 とにかく、敷地内に侵入してしまったからには、絶対に颯月から離れる訳にはいかない。

 関係者に招かれて入ったのと、綾那一人で不法侵入したのとでは、全く意味が変わってくる。


 小走りで颯月の傍まで近寄れば、「こっちが本部だ」と広い裏庭を先導してくれた。


 そうして、だいたい門から50メートルほど歩いただろうか。

 とても裏口とは思えない、両開きの豪奢な扉まで辿り着いた。


 颯月はドアノブに手を伸ばしかけたが、しかし彼がノブを掴む前に建物の中から扉が開かれる。


「颯月様、お帰りなさいませ」

「ああ、ぜんか。出迎えご苦労」


 扉の奥から現れたのは、短い黒髪の男性だった。

 颯月の言った通り、アイドクレースの温暖な気候によって程よく焼けた肌の持ち主だ。


 禅と呼ばれた男は――まるで仮面舞踏会のような――目元を覆い隠すベネチアンマスクを身に着けていた。

 颯月は顔の右半分を黒革で隠しているが、彼は顔の上半分が仮面で隠している。


(もしかすると、顔のどこかを隠すのがアイドクレース騎士団の流儀なのかな……?)


 ただ左目を露出している颯月と違って、男のマスクは目の位置にも穴が見当たらない。

 本当に視界の確保が出来ているのかどうか、傍目はためからは分からない造りだ。


 目元を覆い隠されているため、男の容貌は詳しく分からない。

 ただ、短く刈り込まれた顎髭に低く落ち着いた声色からは、大人の男性を感じさせられる。

 颯月は綾那とそう変わらない20代前半だと思うが、恐らく彼は30代ではないだろうか。


 目元の見えない相手というのは、ただでさえ人となりを掴みづらいのに――くわえて男の声色は機械的で抑揚が乏しく、感情が一切読み取れない。


「今夜は早かったですね。それに、珍しく随分とご機嫌が麗しいようで……私もよい気分です」

「ああ悪い、「共感覚」を切るのを忘れていたな。それよりも禅、頼みがある」

「頼み? ……そちらのお嬢さんが関係しているのでしょうか」


 仮面の男は僅かに顔を傾けると、颯月の後ろに立つ綾那へ目線を向けた。


 綾那は、途端にぴしりと背筋を伸ばして姿勢を正す。颯月はその背に手を添えると、仮面の男へ紹介するように押し出した。


「東の森で会った、綾――綾那だ。眷属に襲われているところを助けた。綾、コイツは俺の側近みたいなモンだ。名は竜禅りゅうぜん

「……は、初めまして、綾那と申します」


 颯月の紹介に、綾那は仮面の男――竜禅に頭を下げる。

 そして頭を上げた時には、精一杯微笑みかけた。やはり人間、第一印象が大事だと思ったからだ。


 少しでも好印象を抱いてもらいたいという思いを込めて笑顔を見せたのだが、竜禅は何故か息を呑んで数歩後ずさった。


(えっ……あれ、もしかして緊張で顔、引きつってたかな!?)


 竜禅の反応に内心冷や汗をかいたものの、今さら笑みを引っ込める事もできない。綾那は笑顔のまま固まった。


――」

「……何だと?」


 目元が隠れているためハッキリとは分からないが、竜禅は信じられないと言った様子で何事かを呟いた。

 綾那は「あるじ?」と小首を傾げたが、その横で颯月が眉根を寄せたのを見て口を噤む。


 彼の纏う空気がぴりっと張り詰めたような気がして、さすがに笑みも引っ込んだ。

 そんな颯月の様子にハッとすると、竜禅は軽く首を横に振った。


「いえ、申し訳ありません。輝夜かぐや様と笑顔がよく似ていらしたので、つい」

「……笑顔だけか? それとも綾の顔そのものが――か?」


 颯月から硬い声色で問いかけられて、竜禅は改めて綾那の顔を見た後に、はっきりと答えた。


「いいえ。彼女が笑った時の目元に、面影が見えただけです。彼女は面差しが柔らかいですが、輝夜様は微笑まれる時以外は終始、意地クソの悪いお顔をされていましたからね。天と地ほど違います、彼女に失礼ですよ」

「その表現もどうなんだ? まあ……違うならいい」


 そこでようやく表情を緩ませた颯月を見て、綾那はほぅと安堵の息を吐いた。

 何故ここまで空気が悪くなったのか理由は全く分からないいが、面接会場へ辿り着く前に盛大に躓いたような気がする。


 竜禅の言う『輝夜』が一体どういう人物なのかは知らないが、笑わない方が良かったのだろうか。

 綾那はどうしていいものやら分からずに、両手の指をモジモジと遊ばせた。


 しかし、不意にその手に日焼けした大きな手が重ねられたため、綾那は弾かれたように顔を上げる。


「先ほどは大変な失礼を。私は竜禅、颯月様の世話係その1だ」

「……お世話係その1?」

「おい、禅」

「颯月様のお世話をするついでに、アイドクレース騎士団に所属している」

「お世話のついでで、騎士をされていらっしゃる……? な、なるほど……??」


 全く分からない。


 竜禅の自己紹介に困惑しきりの綾那だったが、よくよく考えると、まず「騎士」が何かすら理解していないのだから、何も分からなくて当然だ。


 真剣な表情で頷くものの頭上に「?」が飛び交っている綾那を見て、竜禅は僅かに口元をほころばせた。


「……随分と愛らしい方を拾ってこられたのですね、颯月様」

「禅にはやらんぞ?」

「私はモノではありませんけれど……!?」


 先程の硬い表情が嘘だったのかと思うような笑みを浮かべた颯月は、改めて竜禅に向き直った。


「綾をここで働かせようと思っている。しげかずはまだ居るのか?」

「そうですか。起きてはいますが、颯月様……綾那殿をどちらから攫って来たのです? 恐らく彼らは――」

「禅は俺の味方だろう?」

「それはそうですが……彼女は全て承知の上で?」


 竜禅に顔を向けられて、綾那は首を傾げる。


 何やら嫌な予感がするものの、ここまで来たからにはもう、後戻りできないだろう。

 戸惑いがちに頷き返せば、竜禅はやや考え込むように沈黙したのち、騎士団本部だという屋敷の中へ入って行く。


「さてと……早いとこ済ませて、さっさと休もうか」

「は、はい、頑張ります」


 先に屋敷へ入ってドアを押さえてくれている颯月に、慌てて駆け寄る。

 中へ入ると同時に閉じられた扉に、綾那はぐっと拳を握って覚悟を決めた。

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