青春と復讐を、砂糖水に溶かした絵の具で描いてみる

@hisaiakira

第1話 プロローグ

「――無様ね」

 四月の始まり。桜が舞い散る中、おれの高校生活は幕を下ろした。


 校門をくぐる新入生たちの間を、おれは影のように静かに抜けていく。彼らは校内へ、おれは校外へ。耳を押さえたくなるような彼らの騒ぎ声も、不安が少しだけ混じった期待に満ちたまぶしい笑顔も、おれには分厚い壁を挟んだようにぼんやりとしたものだった。

 一年前に自分が同じようにこの学校に入学したはずなのに、そのときの光景は思い出せなかった。

 何もかも終わった。

 今はただ、この場所から離れてどこかに行きたかった。

 しかし、その足は数歩動かしたところで止まった。

 校門のすぐそば、陰が落ちた場所にひとりの少女がいた。

 感情のない光をたたえて、細いフレームの眼鏡の奥からおれを見つめる切れ目。氷から削りだした西洋彫刻のような整った顔立ち。正確に切りそろえられた濡れ羽色の髪がわずかに吹く風に揺られて、シワひとつない制服の肩口に影を落としている。

「――無様ね、十倉 恭二(とくら きょうじ)君」

 夜の空気のように澄んだ声が、喧噪の中でやけにはっきりと響いた。

「……」

 おれは何か言おうとして、張り付いた唇が小さく裂けて痛みを覚えた。

 少女はかすかに眉をひそめて、興味をなくしたようにおれから視線を外した。

「言い返す力もないなんてね」

 これ以上は時間の無駄とばかりに足早に、おれの横を通り過ぎる。

 引き止める理由もなく、おれはただ横目でそれを見ていた。

「だからあなたは『敗北させられたのよ』」


 ――その言葉を聞くまでは。


「……今なんて……?」

 どくんと、心臓が跳ね上がった。

 敗北させられた? おれが?

 苦みを感じる熱が、喉の奥からせり上がってくる。

「それにすら気がつけないから、あなたはここを去るのよ」

 肩越しに振り返った少女――久一凪砂(ひさいち なぎさ)は、抑揚のない口調で続けた。

「あなたの転校先、確かここと比べて学力も部活動のレベルもひどく低い学校らしいわね。あなたにはお似合いと言ったところかしら。分相応な場所で、自分自身を見つめ直してみたらいいんじゃない」

 凪砂の嘲りの言葉は、しかしおれにはほとんど聞こえていなかった。

 おれがこの学校を退学になった理由。一年生の最後の試合、最も重要な場面で文句のつけようもないほど徹底的に敗北したあの勝負。

 負けさせられた、と凪砂は言った。つまりあの敗北は仕組まれたことだったということ。

 急激に回り始めた思考に、頭がぐらぐらと揺れて目の前がちかちかと明滅した。

 おれが負けるように仕組むことができるとしたら、それは――


「さようなら、もう二度と会わないことを祈ってるわ」


 ――あのときおれの横にいた、凪砂以外にはあり得ない。

「待っ……」

 振り返って手を伸ばしたが、すでに凪砂は新入生たちの波に紛れて消えていた。最後に、かすかに笑い声だけを残して。

「……」

 空を切った手を、ぎりぎりと握り締めた。

 先ほどまで空虚だった胸には、今にも爆発しそうな怒りで満ちていた。

 このままで、終わらせない。

「凪砂。あんたを絶対に引きずり下ろしてやる」

 そのためなら、どこまで落ちても必ず這い上がってやる。


   *


 四月の終わり。明日からおれの新しい高校生活が幕を開ける。

 布団に寝転がったまま、おれに割り当てられた学生寮の天井を見上げながら呟いた。

「学校行きたくねえ……」

 ここ数日、面倒くさくてこの部屋からも出ていなかった。

「復讐とか、無理だわ」

 ずっと復讐のテンションを維持するとか疲れる。

 ぼろぼろのカーテンからこぼれる朝日から逃げるように、おれは身体を丸めて目を閉じた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る