第109話 英雄、魔獣を誘い込む

 こちらの動きを察知したキマイラが首を振り、俺を正面でとらえる。


『グルルルルルル……』


 喉を鳴らしながら、値踏みをするようにゆったりと足を進めてくるのは俺のダメージを推し量っているからだ。


 ここは動きを誘い込むために魔獣の本能を刺激する。

 獲物が弱っている方が狙いやすいのを知っているはずだ。


「まだミルフォイルのシールドの効果は残っているが炎を防ぐのは無理だろうな……」


 呟きながら口の端が曲がる。

 我ながら無茶なことをしようとしていると呆れ返るしかない。

 だが今の限られた手札ではこの辺りが精一杯なのも事実だ。


 わざと足を引きずるようにして動く。

 動きが鈍っているのを察知すれば、本能的に襲い掛かりたくなるはずだ。


 牙で仕留めるか、それとも炎を浴びせるか。

 どちらがヤツにとっての最善手なのか。


 互いの距離は10メートルほど。

 二歩は踏み込まないと炎は届かない。

 牙を突き立てるにはさらに数歩必要だ。


『ガルルルルルルルゥゥ!』


 キマイラが三歩進んでから前脚を広げて踏ん張る。

 見上げる高さにある頭が持ち上がった。


「シショー! 火! くる!」


「回り込め、タンジー!」


 キマイラの右前方に向かって走るタンジーが目の端に映る。

 頭を振り下ろして炎を吐き出そうとするタイミングにあわせて俺も前へ出た。


『ゴオオォォ!!』


 炎の熱に顔をしかめながら、大きく開かれた口に左手を突っ込む。


「あぐっ」


 痛みよりも重さを感じる。

 炎の高熱が左腕に巻いていた金属の板をあっという間に溶かしてしまう。


 腕の感覚はなくなっていたが、肩から上体を預けるつもりで力任せに舌を押さえつけると炎が止まった。


『ゲェェェェ……』


 反射的に異物を吐き出そうとするが、さらに腕を奥に突っ込んでやる。


『グプ! ゴロロロロォ……』


 頭を振って嫌がるが、もう少し時間を稼がせて貰う。

 既に左腕の感覚はなくなっているが、ここは我慢のしどころだ。


『グルルル……グルルゥゥ!』


 呼吸ができないのが苦しいのか、脚を激しくバタつかせる。

 そろそろ頃合いか。


「くううぅぅぅぅ!」


 右手を下顎にあて、それを支えにして左腕を強引に引き抜いた。

 ズルリとなにかが抜け落ちた感覚がある。


『グブッ。ゴババァ! グルルルルルゥゥ!』


 溶けた金属を飲み込んだために呼吸ができなくなったキマイラが苦しげにもがいている。


「いい子だからもう少し大人しくしていてくれっ」


 感覚のない左腕と無事な右腕で首っ玉にかじりつき、体重を預けて逃がさないようにする。

 だが体重差があるからこの状態は長く持たない。


「今だ、タンジィィィ!」


撃・閃通掌ペネトレイトインパクトォォ!」


 側面へ回り込み、半身の状態で構えていたタンジーが攻撃を放つ。


 しかし踏み出したタンジーの足がふらついたキマイラの蹄の上に乗ってしまう。

 これでは力が十分に伝わらず、腰の入っていないただのパンチでしかない。


 ヘビィアームドの拳を側頭部に食らったキマイラはバランスを崩すがそこまでだ。

 今の一撃では倒すのに至らない。


「まだだよ! シショー、逃がしちゃ、ダメ!」


 炎を避けるために反対側に位置どっていたローゼルが駆けてくるのが見えた。

 最後の力を振り絞ってキマイラの首根っこを押さえつける。


 ローゼルが正面をとる。

 腰を落とし、右拳を体に引き付け、狙いを定めた。


「いきなさい、ローゼル! ここで決めるのですわ!」


 ティアの声援を受け、溜めに溜めた力を解放する。


乱・爆砕拳ブラスティングフィスト!!」


 タンジーの一撃で傾いていたキマイラの右目をローゼルの拳が打ち抜く。


 キマイラの首を抱えたままだった俺にも、ズグンという衝撃が伝わってきた。


『グギャアアアアアァァァァァ……』


 耳障りな咆哮をあげた次の瞬間、キマイラの頭部にあるすべての穴――口、鼻、目、耳から濁った体液が噴き出す。


 頭を内部から破壊されたキマイラから力が抜ける。


「今の攻撃は……まさか……」


 一つの技を幾度も繰り出し、ひたすらに磨き上げることで絶対必殺の技となるというアレなのか。

 どこでそんな技を身につけたんだ。


「ちゃんと、できた……」


 ペタンと座り込んで自分の右拳に目を落とすローゼルも自分ができるとは思っていなかったのだろう。

 彼女たちの成長には恐れ入るしかない。


「よくやった……」


 キマイラから手を離し、座り込んだままのローゼルに近寄ろうと足を踏み出す。


「……あれ?」


 衝撃。視界が隅から暗くなっていく。

 どうして地面が横向きになっているんだろうという疑問が浮かんだが、俺の意識はそこで閉ざされた。

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