第73話 英雄、再訪を約束する

「大きくなったな」


「ええ。ワンパク盛りで大変なの。おもたせで失礼するわね」


 俺が買ってきた菓子がお茶請けとしてテーブルに出される。


 彼女の落ち着いた仕草が好きなのだとネリネが繰り返し言っていたのを思い出す。

 とにかくぞっこんだったのだ。


「いただいてもいいかしら」


「もちろんだ」


「ふふ。ありがとう」


 左手で持った菓子をかじるとなんとも幸せそうな顔をする。


 感情表現が豊かなところもいいんだとネリネは言っていたな。

 とにかく、フューシャのことであればなんでも褒めていたんだが。


「やっぱり美味しいわね。ジニアも食べて」


「いただくよ」


 そうしてしばらく、無言の時が過ぎていく。


「ジニアもお元気そうでよかったわ。活躍はいつも聞いているのよ。あの子が毎日のように教えてくれるの。今日はジニアが生配信でこういうことをしたんだよって。あの子にとってあなたは本物の英雄なのね」


 本来、この優しい微笑みが向けられる先は俺ではないのだ。


「……すまない」


 頭を下げる。

 穏やかなフューシャを見ているのが辛かった。


「頭をあげて。あなたに謝られることはなにもないのよ」


「だが……俺は……俺は……」


 仲間を塔に残したまま地上へ戻ってしまった。


「ジニアも大変だったのでしょう? ストレリチアはね、あなたのことならなんでも知っているのよ。あなたがどれだけ大変なリハビリをしたのかも教えてくれたわ。あなたが一番辛かった時に会いに行かなくて、わたしの方こそごめんなさい」


「いいや。俺なんかより君の方がずっと辛かったはずだ……すまない」


「もう、いいって言っているのに。ふふ、暗い話はやめましょう。せっかくのお菓子が美味しくなくなってしまうわ」


「それでも言わせてほしい。俺は――」


 真っ直ぐにフューシャの瞳を見て告げる。


「俺は必ずもう一度塔へ行く。そして〈頂上へ挑む者トゥーザトップ〉の皆を連れて戻る。約束だ」


 フューシャは目を見張って俺を見つめていた。

 やがて深いため息をつく。


「無理はしないでもいいのよ。あなたが無事に聖塔から戻れただけでも奇跡なんだもの」


「それは奇跡なんかじゃない」


「え?」


「3年以上を塔で過ごしたネリネたちがそろって戻ってくることが本当の奇跡なんだ」


 俺はかつてのチームメイトに全幅の信頼を置いている。

 あいつらが簡単に死ぬはずがない。

 必ず生きている。


 沈黙が落ちる。

 その時、階上からドタンバタンと随分と大きな音がした。


「あれは?」


「ストレリチアよ。探索者になるんだって訓練をしているの」


「元気が有り余っているんだな。男の子はそれぐらいの方がいい」


「そうね。あの人もそれを望んでいたと思うし」


「……二人の生活はどうだ? なにかあれば言ってくれ。今さらかもしれないが、俺にできることならなんでもする」


「そうね」


 微笑みながらぐるりと部屋を見渡している。


「この家は二人で暮らすには少し広いけれど、あの人が帰ってくる場所だもの。いい家にしておかなくちゃ。それはわたしの役目」


「……そうだな」


「ジニアにお願いできることは……そうねえ」


 アゴに指をあてて思案顔をする。

 こういう表情も好きなのだとネリネは言っていたな。

 あいつはフューシャのどんな表情も好きだっただけなんだが。


「一つあるわ」


「なんだ。言ってくれ」


「そんな深刻そうな顔をしないで。あの子のことよ」


 言いながら指で天井を差す。


「あの子が探索者になりたいって言ってるから、たまにでいいの。様子を見に来てくれないかしら。もしダメそうならはっきり言ってあげてほしいわ。でもジニアが認めるだけの才能があるのなら、どこかのチームを紹介してあげてほしいの。お願いできる?」


「もちろんだ」


「ふふ。ジニアならそう言ってくれると思っていたわ。あなたのそういうところはなにも変わっていないのね。あ、もちろんいい意味でよ。その……服装とかね。個性的だと思うわ」


「……一張羅なんだが」


「ぶふっ」


 いきなり吹かれた。

 そんな変な格好をしているつもりはないんだが……。


「ご、ごめんなさい。笑ったりして。あ、いえ。別に笑っているわけじゃないのよ。本当よ。あの……怒らないでね?」


「怒ってなんかいないさ。今のチームメイトにも紳士らしい格好をしたらどうかって言われたことがある。俺の選んだ服はそんなにおかしいんだろうか」


 フューシャは顔を背けているが、口元が明らかに笑っていた。


「わかった。次に来るときはもう少しまともに見える服にする」


「いいのよ。気にしないで」


 それからは明るい話で盛り上がることができた。


「ジニア、もう帰っちゃうの。ダンジョンの話とか聞きたかったのに」


 階段を降りてきたストレリチアはガッカリした表情をしている。


「また来るから話はその時にな。ああ、そうだ。ストレリチアは装衣ノービススーツを纏うことはできるのか?」


「うん! 見てて!」


 上着を脱いで上半身裸になったストレリチアはノービススーツを纏ってみせる。


「……驚いたな。どうして服を脱いだんだ?」


「最初は手だけだったんだけどさ、肘までやれないかなと思って服をめくってみたらできたんだ。じゃあ、今度は肩まで。肩までできたら上着を脱いでってやってみたらできちゃった」


 なんてことだ。

 この年にしてノービススーツをここまで自在に纏えるようになっているなんて。


「どう、ジニア。僕は探索者になれそう?」


「目の付け所がいい。その柔軟な発想は探索者にとって必要不可欠なものだぞ」


「ホント?」


「ああ。俺もうかうかしているとストレリチアに抜かされそうだ」


 再訪を約束して玄関を出る。


「絶対、また来てよね」


「ああ。絶対だ」


 ストレリチアの頭を撫でてから、俺は立ち去った。

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