世界最期の「寝台列車」

 湿原を見下ろしながら、私はこの、バイクのタイヤが4つに改造されたような奇妙な乗り物で、南へ、南へとひたすら向かっている。操っているのは、頭にバンダナを巻いた髭面の男だ。向こうまで延々と、波打ちながら2本の細い鉄材が続いており、この乗り物は、男がエンジンのスロットルを開けるに従ってその上を滑るように進んでいく……とは行かない。勇ましい音を上げる割には、その速度はせいぜい走るより少し早いくらい程度。また、ここまで来るのにもう2回は、この特殊な「道」から車輪が外れている。

 だが、大して気にすることでもない。この道を進むのは、地上を変異した動物や襲撃者を警戒しながら進むより、ずっと早くて、快適だ。

 私の伸ばしっぱなしの髪を、海沿いの湿っぽい風が靡かせている。海が年々広がりつつあるこの世界では、全て海沿いのようなものなのだが。髪を左手で抑え、ふと海岸線の方を眺める。

 沈んだ家々が見える。そして、岸辺は悪臭を放つ藻が繁茂している。そんな風景も、後ろへ、更に後ろへと流れていく。


 この乗り物に乗るまでは、少し奇妙な手続きが必要だった。

 荒れ地の中心を横切る、一本の鈍い灰色の橋。その脚にはところどころにツタが絡まり、大きなひび割れが所々にできている。なんとか、ギリギリのところで立ち続けているように思える。私は訝しんだ。なんで川でもない、平原の真ん中に橋が必要?と。

 「廃船の男」が言うには、この橋の横に立っているポールに、結わえてある旗を広げるとその乗り物はやってくるのだ、という。言われた通りに、私はロープを引っ張って、旗を空に掲げる――まもなく、トトトトト……と軽快なエンジン音を響かせて、何かがやってくるのがわかる。だが、その姿を捉える事はできない。まもなく、橋の上から縄梯子が、私に向かって落ちてきた。なるほど、これで登れということだろう。よく周囲を見渡してみると、もともとついていただろう梯子や階段は、全て落とされている。おそらく襲撃者対策だろう。よく考えたものだ。素直に、この縄梯子を登り始める。


 橋の上まで来ると、正面には誰もいなかった……と、背後から聞こえる、撃鉄を起こす音。計られたか!私は腰の後ろに差したホルスターから、近距離用に持っている小型拳銃(P7と呼ぶらしい)を抜く。カービンは到底、間に合わないだろうから。

 リボルバーを向けた、髭面の男と、2人で銃口を向けあった。一回り大きな風が、橋の上を駆け抜けた。

 「あんたが、お客さんか……意外に若いじゃねぇか」

 男は撃鉄を下ろす。私も、銃の握りを緩める。

 年齢については問われたが、私の性別については何も言わなかった。大して珍しくないのかもしれない。


 奇妙な手続きはまだ続く。廃船の男に手渡された、何やら奇妙な模様の描かれた札を渡す。おもむろに、髭面の男はガンベルトに提げた革のポーチから、よく似た形の札を取り出す。ぴったりと切れ目が合い、一つの文字の描かれた札になった。

 「まぁ、こんな事は本当は必要ないんだがな、一応念には念を入れてな」

 男は札を無造作に放り込み、そして代わりに肩にかけた長距離用ライフルを手に取る。銃床は木で作られ、ボルトハンドルはじめ金属の部分がほとんど黒く変色している、相当の年季物だ。

 「あんなアブねぇ所で、あんな無防備に暮らしてる奴が、悪党なんかを紹介するわけがないさ」

 実際には彼も武装はしていたし、無防備とは言い切れないのだが、この荒れ果てた土地では一人で目立つ所に定住するだけでもほぼそれに近いのだ。


 さて、この奇妙な乗り物だが、お世辞にも快適とは言えない代物だった。外見としては四輪に改造された奇妙なオートバイが、棺桶以上小屋以下の、人間がなんとかギリギリ立ち上がれる高さの鉄の車輪のついた箱を引っ張っている、と表現するよりほかにない。灯り取りの窓が開けられているため、全くの暗闇ではない。中にあるのは錆び切り、マットレスも茶色く染まったベッドと、ランタン(これは安全性を考えてか電気式だった)だけ。トイレなどまずあるわけがない。用便のときは、いちいち止めてもらってすることになる。

 走り出してからわかったことだが、なにより騒音と振動が凄まじい。男は全く手を加えていないわけではなく、この箱にもサスペンションを付けるなど改造を施したようだが、実際のところきしみ音をこの騒音の嵐に加えるだけだったようだ。乗っている間に会話することなど、まず無理な話だ。そういうわけで止めてもらおうと思ったならば肩を叩くなりなんなりで伝えるよりほかにはない。かつ、この男は絶望的に肩が鈍感だった。一度などは、あまりにも気が付かないので上空にカービン銃を発砲したほどである。振動も、2時間と走り続けていると耐えられなくて降りて身体を休めなければならないほどだ。おそらく、何人かは乗っている間に身体がバラバラになってしまったのではなかろうか。

 幸いにして、この男ですら、この騒音と振動にはすっかり辟易してしまっているらしく、2時間弱おきに止まって休憩を取っていたのは救いだった。そうでもなければ、この湿原の中を突っ切るこの橋の上で、2人共くたばっていたことだろう。

 ともかく、無事に南へと少しでも早く向かうことができるのなら、僥倖なことだ。


 この鉄の道は、髭の男によるとかつては地上のあらゆる土地を、また村や街を結び、人や貨物を運んでいたという。それも今乗っているこれより快適で、高速に。

 その証拠も見せてくれた。この橋が跨いでいる一本の道が、そのうちの一つだったのだという。

 私達は銃を構え、警戒しながらこの橋から顔を出し、覗き見る。

 「よし、今日は奴らは居ないな」

 奴らというのは、いわゆる襲撃者ども、つまり略奪を生業にする連中のことだ。武装もふんだんに備え、陸なら改造車で、海なら小舟で獲物を狙ってそこらじゅうを転々とする集団だ。このあたりの陸地はたいてい水没しているか、過ごしづらい湿原に変わってしまっているので、この道が唯一の野営地となっている、というわけである。おそらくここに連中が居ないということは、誰か商人の船団が犠牲になってしまっていることだろう、と彼は残念がる。

 「前より物が、さらに無くなっていやがる」

 双眼鏡を覗きながら、彼はそう言ってため息をつく。最初に、ここからは乗り捨てられた車両が解体され、材料が奪われた。次は、私達が進んでいる、この鋼材。ついには上に張り巡らされていた電線すらなくなったのだという。


 「猿真似じゃあ、やっぱりうまくはいかんなぁ」

 彼は「大崩壊」の前にはまだ子供で、この乗り物に憧れ、いつか運転したいと思っていたのだという。だが、その夢は文明とともに、脆くも崩れ去った。その代わりに、鉄屑拾いや、あるいは時に護衛の仕事も引き受けながら材料を拾い集め、この乗り物を作ったのだという。今はこの橋の末端に、隠れ家を構えているそうだ。


 やがて太陽は大海の向こうに消え、一つの灯りも見えない暗闇がどこまでも続く。私は天井で揺れる、ランタンをベッドに横になりながらぼんやり眺める。かつてはこうして夜を徹して走る乗り物も、いくつもいくつもあったらしい。『シンダイレッシャ』。そう呼ばれていたそうだ。風の音とエンジンの音、鉄材と車輪が触れ合ういろいろな騒音が混ざり合い、いつしかそれが眠気を誘う――

 「見ろよ。朝焼けだぜ」

 男に起こされてみると、水平線が一面に、見たことのないような色に染まっていた。海の色と、木製銃床の色が混ざったような、といえば正しいだろうか?ただわかることといえば、色とともにそれが光も帯びていた、ということだ。

 彼は焚き火のそばで、毛布にくるまり、手にカップを持って、その光景を誇らしげに眺めていた。コーヒーだろうか?なら私の好物だ。いや、何か食物の香りだろう。それなら好都合だ。

 「キノコのスープだ。飲むか」

 「……キノコ?」

 初めて名を聞く食物だったが、食べてみるとこれは随分といい味のものだった。上質の干し肉よりも、優れている。

 「これ、結構いけるわね。乾燥でもっと欲しいんだけど」

 「うちで少し働くのなら、くれてやってもいいぜ」

 今、彼の隠れ家で、これを栽培しているのだそうだ。南に向かうのが、私の目的だが、それにしたって食糧は必要だろう。まもなく、雨の降る冬になる。当然、首を縦に振るのが得策だろう。まず、聞くべきことがいくつもあるのだが。

 「ところであんた、名前はなんて呼ぶの」

 「ヤジロウ」

 髭面の男は、そう名乗った。

 「あんたも名乗れよ」

 「ナターシャよ」

 自然に、右手は握手するべく持ち上がっていた。ヤジロウも、それに応えた。

 「それで、これまで走ってきた、この鉄材の道はなんて呼ぶの」

 「いろいろだ。『レール』とか『テツドウ』とか呼んだりする」

 「じゃあ、この妙な乗り物は?」

 「さあな、なんて呼ぼうか」

 彼はそう応え、口角をほころばせた。

 「俺のオリジナルだからな」

 私の口角も、ほころんでいた。半分は彼の、こんな世界でも夢を追った姿勢をリスペクトして。もう半分は、自分の力作というのに名前がない、というのがおかしくて。


 太陽が昇れば、強い太陽光に照らされて、私の旅はまた続くのだろう。

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