わた雲の恋愛短編小説集

---わた雲---

予定外 *女の子

 「今日は動物園に行こうね」

 お家デートだと思って君の家を訪れた私を、玄関で出迎えてくれた君は、突然そう言った。インターホンを鳴らすより先にドアが君の手によって開けられるのはいつも通り。しかし、開口一番『おはよう』ではない言葉を発したのには面食らった。

「動物園? なんでいきなり動物園?」

 私の頭では君のスピードについていけなくて、頭の中を整理する為にゆっくりと聞き返した。君の時間はいつも他の人よりも速く流れているように感じる。

 それでも何とか君の速度に着いていこうと、私は脱ぎかけていたコートをまたしっかりと羽織った。君はもうコートの前をかっちりと閉めて、靴を履いた状態で玄関に立っていた。

 視線で促されて今入ってきたドアから外に出れば、バッグまでしっかり持っていたらしい君も続いて出てきて、鍵をかける。

「今日、家を出る前にニュースを観たでしょ?」

 鍵をかけ終えた君は、くるりを無駄のない動きでこちらを見てそう尋ねた。君にとっては〈確認〉の方が近いのかもしれないが。

 私は頷いた。そしてチャンネルの番号を言おうとしたのだが、「十四チャンネルのね」と、君に先に言われてしまった。開きかけていた口は役目を失い、ゆったりと閉じる。

「いつも君は七時に起きるのに、今日たまたま六時に目が覚めたことで、早い時間にやっていた動物特集を観れたんだよね?」

 全てその通りだから、私はまた頷いた。

「それでそれを観た君は、急に動物に触りたくなった。でしょ? そうなることをずっと前から知っていた僕が、今日突然『動物園に行こう』って言うって、未来は決まっていたんだよ」

 少し早口な君は一気にそう言い、「だから今から動物園に行こうね」と、続けた。

 君は言い終わると、私が今さっき乗ってきたエレベーターへ足早に向かった。勢いに圧倒させていた私も慌てて追いかける。私が少し遅れてエレベーターの乗場に着くと、そのタイミングでポンッとエレベーターがこの階に到着したことを知らせる音が鳴った。

「今日は動物園に行く予定になっていたの?」

 エレベーターの中で私は、エレベーターのボタンの前に立つ君の背中に尋ねた。君はくるりと振り向いて、にこりと笑った。

「そうだよ。何百年以上も前から決まっていた。僕はずっと昔から今日を楽しみにしてたんだよ」

「そっか。じゃあ、行こう」

 私も微笑んだ。そんなことを話していたらちょうど立体駐車場のある地下に着いた。

 私はちらりと横目で君を見た。君は何でも分かってしまう。きっと、目を見るだけでその人のことを全て理解できるのだ。これから訪れる未来も、君にはこれからの予定として見えてしまう。

 これから起きることが全部分かってしまっているのに、君は本当に楽しいと感じるのかな。ふっと疑問に思う。私だけが新しく感じて、初めてで楽しくて。君は熟読してオチの分かっているミステリー小説を、初読の人達と一緒に同じスピードで読むくらい退屈で寂しいんじゃないだろうか。

 君の車の助手席に乗り込んでシートベルトを締めながら、何気なく「私にも未来が見えたら良かったのにね」と言ったら、これも分かっていた発言のはずなのに、君はまるで驚いたかのように目を見開いた。

 君には珍しく少しの間があった。

「……そしたら、僕は君とこうして一緒にいないと思うよ」

 君は車の窓を少し開けながらゆっくりと言った。君の口から〈もしも〉の話とか、曖昧な答えが出てくるなんて。今日は晴れの予報だが、雨の代わりに飴が降るかもしれない。

 私はなんて返したら良いのか分からなくて、走り出した車の窓の外をながめた。まるで時間の流れが目に見えるかのように景色が流れていく。

 君も何も言わなくて、この車内だけ時間が止まったみたいになった。止まった時間の中は息苦しくて、私は「私といて楽しい?」と、聞いた。

 また間があった。君の表情は怒っているようにも、面倒臭そうにも見えなかったから、いつもすぐ返す君がなかなか言葉を発しないことに、不安は感じなかった。

 君の横顔を見ながら静かに待った。朝日が少し眩しく、少し開けた窓から吹き込む風は心地良かった。

「うん。楽しいよ、すごく」

 ようやく口を開いた君は、いつもと違ってすごくゆっくりした喋り方で、まるで言葉を選んで遣っているようだった。君が言うことは全てシナリオ通りのセリフなのだから、そんなことあるわけがないんだけど、何故か私はそう感じた。

「今日はどういう順番で動物を見て行く予定になってるの?」

 私は君の横顔を見て、また尋ねた。君といると私はいつも質問してばっかりだ。君には分かっていて、私は知らないことばかりだからだろう。

 君は柔らかく笑って「教えてあげない」と言った。私は、君が時折り見せる、舞台から降りた役者のようなリラックスした、その笑顔が大好きだ。

「なんで教えてくれないの? そういう予定なの?」

「んー、教えてあげないっ。……けど、予定はさっきまでの予定と全然違くなった」

 君は信号に引っかかって、優しくブレーキを踏んだ。そういえば君といる時に信号に引っかかるの珍しいな、とぼんやり思った。

「未来って変わるの?」

 青になってアクセルを踏んだ君に聞く。君は、いつになく真剣に運転をしているようだったが、「うん」と、答えてくれた。そして「僕には変えられないけどね」と続けた。

「じゃあ、どうして変わったの?」

 君のことが好きだから、君のことは知りたい。ただ、知ろうとすればするほど一方的な質問攻めになってしまう。

「ちょっと予定外が起きたから」

 君はハンドルを切りながら答える。いつもはカーレースゲームで遊んでいるくらい気楽に運転していて、それなのにすごく丁寧な運転をする君にしては、飲酒運転を疑うようなカーブの仕方だった。それでも若葉マークの人よりは圧倒的に上手いし、車酔いをするほど荒っぽいわけでもないのだが、いつもが運転していると言うより流れているようなレベルだから余計に下手に感じる。

「予定外って良くないこと? ハプニングってこと?」

 それにしては君が楽しそうにしているな、と思いながら尋ねれば、君は笑った。

「僕らだけズレちゃうから、あまり良くないことなんだろうけど、僕にとっては良いこと」

 ざっくりしすぎていて、何の話だかさっぱり分からない。でも君にとって良いのであれば私はそれで良いから、この答えで十分なのかなと思った。

「……もし、私に予定外が起こせたなら、君の為にたくさん起こしてあげるんだけどなー」

 なんとなく、思ったことをそのまま口にしたら、隣にいるのに数十秒の時差があってから、君はすごく嬉しそうに、とても自然に笑って「ありがとう」と言った。

 君に不可能なことが私に出来るとは思えないし、あくまで仮定の話だから、お礼を言われるほどのことじゃない。そう思ったけど、君がとても幸せそうに笑うから私も微笑み返すだけにした。

 たとえ私には予定外が起こせなくても、君の為に祈ることは出来るから、私はいつも想い続けるよ。君に予定外の〈楽しい〉がたくさん訪れますように。

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