「緑のトンネルと疑うことを知らない少女」
僕には、度々妙な理由を付けて誘ってくる友人が居る。
「桜を見に行こう」というまるで政治疑惑のような理由ならまだ、マシな方だ。「多摩川の土手に鴨を見に行こう」というほのぼのとしたものもあれば「三軒茶屋の3駅先で死体が見付かったから事件現場を見に行こう」という、猟奇的なもの、さらには「中野に何もかもがミニサイズの小人の家があるから、見に行こう」という、何か妙なモノをキメているとしか思えないような理由まで、彼の誘い文句のバリエーションは計り知れない。それだけで、一冊本が出来るのではないかと思うくらいだ。
だがその誘いも、僕らが高校を卒業してしまってからは、めっきり来なくなった。無理もない。その友人は京都の大学に進学して、僕もまた、神奈川の大学へ、と、すっかり離れ離れになってしまったのだから。
前期が終わり夏休みが始まっても、彼からの誘いは一向に来る気配を見せなかった。実家へ戻っているのか、それとも京都での毎日に明け暮れているのか。それすら分からなかった。だからダメ元で、彼流に誘ってみた。「地元で昔よく通った緑のトンネルを、また見に行かないか」と。
「戻っているから、すぐ行こう」
二つ返事だった。いつも妙な誘いをしているだけあって、何も戸惑う様子もツッコむ様子もなかった。
きっと、京都でも新しい友人達に妙な誘い文句をかけては、困惑させているに違いない。
僕らは8月の昼下がり、一番暑い時間帯に多摩の某駅で待ち合わせた。道の木漏れ日ですら眩しく、木陰を揺らすそよ風の一つも吹かない、そんな猛暑日だった。旧友は時間通りにやって来たが、それでも待っている間が2時間や3時間のように感じられた。駅前のコンビニの照り返しが、とにかく憎く感じられた。
「本当に、緑のトンネルなんてあったっけな」
歩いているうちに、誘われた旧友が訝しみ始める。僕は答える、いや、誘った立場上答えざるを得ない。
「あるよ。小学校の時、何度か通ったじゃないか」
考えるとおかしな話だ。旧友が妙な理由をつけて僕を誘い出したのは小学校高学年の頃からだったのだが、その頃から訝しむのが僕の役目で、存在すると強弁するのは彼の役目だったはずだ。それが今日ばかりは、逆転してしまっている。
因みに緑のトンネルというのは、記憶では大きく伸びた木の枝が、アーチのように頭上を覆っている道のことだ、と記憶している。
駅前通りから一本横の道が、確かその、探している、緑のトンネルだったはずだ、と記憶している。風景まではっきり脳裏に浮かぶ。木漏れ日の光が風にちらつき、街の中心にある道のはずなのにどこか山の中に来たような気分にさせてくれて、確か歩道脇には、人工とはいえすごくリアルなせせらぎがが穏やかな音を立てながらきらめきを放っているような、そんな緑のトンネルの道は――なかった。
僕らの頭上を覆っていたのは最近開通した真新しいモノレールの橋桁であり、歩道は確かにあったが、両脇のせせらぎはとっくに涸れていた。きっと水不足か何かなんだろう。
「残念だな」
僕は極端に口惜しがって泣き言をほざく気にも、逆に無駄にポジティブシンキングをする気にもなれず、ただそう呟くしかなかった。
「最近になって切られてしまったのかも知れないね」
友人も、僕の横でため息をついた。
真昼間の痛い程に刺さるような太陽光線の下を、僕らは取り止めのない駄弁りを続けながら、駅へと戻っていく。実際の所、緑のトンネル自体は偽の記憶であって、あるかどうかはまた別の問題だったのかも知れない。ただ、今日「緑のトンネルを探しに友人に会った」事は真の記憶として確実に残るだろう。
「なぁ、S子って覚えてるか」
不意に、友人がこちらに少し目配せしながら呟く。S子というのは少し病弱な、僕らの同級生だった女の子だ。あまりにも純真で素直な子だったもので、僕らは『人を疑うことをママの子宮に置き忘れた』と影で言うほどだったほどだ。
「あぁ」
僕は無駄に口を滑らせる事はしない。おそらく、彼にとってそれはセンシティブな話題だろうからだ。お前あいつの事好きだっただろ、とかコクったのか、とか。そんな事を言う気にはなれない。
僕が配慮のできるいい奴だからでは、決してない。蒸し暑くてめんどくさいからだ。
「あの子、死んだんだってさ」
とんでもない返しが帰ってきた。かなり、斜め上の。どうも、彼が沈み気味に語るには、以前から心臓に持病があったのだが、急に悪化してそれっきり、というらしい。
「葬式の案内なんて、来てたか?」
僕は彼女に特別な感情は持っては居なかったが、それでも3年間同じ教室で過ごしたのだから、最後の別れくらいはせめてしてやりたかったものだ。親御さんの悲しみもいかほどか、というところだろう。
まして、彼女を密かに想っていた友人もまた、深い悲しみを抱えているに違いない。
「来てなかった……ただ、最後に俺に手紙が来たんだ」
そう言って、彼は急にうずくまった。
彼を落ち着かせるため、僕はコンビニで冷たい炭酸飲料を買ってきた。これで少しでも心痛を洗い流せれば、と思って。ちょうど、あの緑のトンネルがあれば見ることができたのだろう、と思わせる木漏れ日が、駐車場の黒いアスファルトの上で躍っている。
友人が語るには、やはり彼はS子に告白したらしい。結局その手紙の中で断られたのだが、その中で彼女はその理由を語っていた。自分は実は重い病気を抱えていて、付き合ってもすぐ悲しませてしまうだけだろう、と。そして、手紙はさらに続いていたという。
「人を疑わない、理由だってさ」
「理由?」
彼女が書き残した限り、残された最後の日々だけでも、せめて誰も疑わず、何もかにも素直に生きていきたいと思っていたのだという。
結局炭酸飲料だけでは気分が落ち着かず、2人でそれぞれアイスを食べながら僕らは帰ることにした。友人はようやく元気を取り戻したのだろうか、あるいは僕に話して気持ちの整理がついたのだろうか、また高校時代のことで駄弁り続けている。
「あのさぁ」
友人がすっかり無くなってしまったアイスの棒片手に、僕に向けて語りかける。この遊歩道は車こそ来ないが、上を走るモノレールの騒音が、時々僕らの声をかき消す。
「なんだ?」
「S子がもし……」
このときも、やたら大音響を響かせて過ぎ去るモノレールの騒音が、友人の声をかき消した。
「なんだって?」
大声で聞き返した。だが、住宅街を照らす、8月の太陽に照らされた彼の笑顔は、その続きを決して口にしなかった。代わりに、こう言った。
「『緑のトンネル』、また探すか?」
理由はやっぱり君が考えてくれよ、そう僕は答えた。おそらく何も疑わずにその時は僕もホイホイ誘いに乗るだろう。ちょうど、疑うことを封じて、素直な心のまま人生の最期を迎えた、僕らのS子のように。
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