「トンネルを抜けたら」

 この旅は、ずっとトンネルばかりが続いていた。

 昔の人はトンネルや洞窟を恐れたと、どこかで聞いたことがある。冥界かどこかに、連れて行かれるのでは無いかと。

 僕は当然現代の人だから、そんな恐れなどこれまで感じた事はない。ただこれだけ暗闇と、霧深く竹林が不安定に揺らぎ、濃い霧がたなびく山中を渡り行くと、同じ気持ちにはならなくても、少なくとも理解だけはできた。

 今回の旅の理由は、またこれも気の晴れる物ではなかった。仲の良かった大叔父が、急死したのだという。仲が良かったと言っても、ここ1年、会っていなかったのだが……ともかく、そのせいもあってか、まるで冥界に連れて行かれるかのように、気がふさいで感じられたのかもしれない。

 僕を乗せた短いディーゼル列車は、重々しいエンジン音を立てながら、竹林の中の一本の線路を歩んでいく。


 山間の駅で、セーラー服の少女が一人、この短い列車に乗り込んだ。だいぶこの地域も、過疎が進んでいると聞く。ましてこうした若い人は、相当珍しいのだと思う。僕が顔を上げると、彼女は向かい側の座席に座っていた。目線が合いそうになって、僕は急にバツが悪くなり、わざとらしく顔を竹林の方に向けた。

 「あの……ひょっとして、◯◯さんのところのお兄さんですか?」

 そんなハキハキとした、凛とした声に、あぁ、と返す。恥ずかしさのあまりに、ついそっけなくなってしまう。

 「あぁ、よかった!人違いじゃなくて!」大袈裟な声を上げて、少女は僕の方をさらに見つめる。「久しぶりですね、私ずっと昔に一緒によく遊んでもらった、いとこの……」

 彼女はそんな調子で、嬉しそうに名乗った。遊んでもらった時の記憶は中途半端にしか思い出せなかったが、確かに夏休み中、ずっと一緒に遊んでいたなぁ、と思い出す。高校生と小学生で、年齢差はそこそこあったけれども、毎日彼女は部屋に上がり込んでいたと思い出す。

 だが、思い出の一つ一つを鮮明に思い出すには、ちょっと時間が経ちすぎていたようだ。何を話せばいいのか、僕はぼんやりと、並走する県道を走る黄色い車を目で追いながら考える。耳にはちゃんと、いとこの声が入ってくる。

 だが、語るべき言葉が思い浮かばない。

 

 外はきっと小雨がぱらついているのだろう。列車の窓には水滴は当たってこないが、山間の杉林を覆う雨霞は、いっそう厚みを増していく。


 列車は、長いトンネルの暗闇へと入っていく。僕は外を眺めることをやめた。だが、目線をどこに持っていくのかも迷った。いとこの少女はふと、目を伏せて、こうつぶやいた。

 「お兄さんと、まさかこんな形で久々に会えるなんて思いませんでした……」

 それからひと呼吸おいて、こう聞こえた。

 「嫌じゃ、なかったですか、こんな理由で東京から帰ってくるなんて」

 「嫌なわけないさ、でもちょっと、憂鬱だったかもしれないな」

 「なんで?」

 ふと、彼女が顔を上げた。トンネルの中に灯りは一切ない。窓からこの先がどうなっているかは、うかがい知る事ができない。

 僕は憂鬱な理由を一瞬考えて、ため息をついた。故郷、曇り空、死、変わってしまった人々、そんな言葉が頭をよぎった。

 「これからどうなるか、何があるのか、分からないからじゃないかな」

 抽象的にしか、まとめられなかった。彼女も合点がいかなかったようで、首をかしげてしまった。死生観の話は少し早すぎたか、とつい僕は頭をかく。

 「それってただ、行きたくないだけ、じゃなかったみたい、ってことはわかりました」

 彼女はまた、うつむいた。先程とはまるで違い、内省的で水を打ったような心。時の流れは無邪気で、時に生意気とすら思えたいとこの中に、こんなにも時に他者の心に寄り添い、そして共鳴する精神を育てていたのか。と、ふと感銘すら受ける瞬間だった。


 トンネルの向こうに、小さな青白い光が輝く。それが近づけば近づくほど、レールのジョイント音は軽やかになっていく気がする。ますます、その光は大きくなり、そして僕らの乗るディーゼル列車を包み込む。青い、僕が生まれた、海辺の街が近付く。

 そして、暗闇から飛び出た瞬間、一面に広がる青空。その中心に、ぽっかりと飛び出したような気分になるようだ。列車は地上からすらりと伸びる高い鉄橋を、ゆっくり進んでいく。風に吹かれる白い雲は、風に吹かれて気持ち良さそうだ。

 気が付くと、窓の外を眺める僕の顔と、いとこの少女の顔が並んでいた。窓枠にもたれかかる、同じポーズを取って。屈託のない笑顔を、彼女が浮かべる。僕もなんとか、笑顔を浮かべる。「綺麗だね」なんて言葉は、特に必要もない。


 終着駅はもう、手が届くように間近にある。

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