妖精都市

蒼樹エリオ

序章

序章 戦士の姿

 あの日の私はどうしようもなく子供だった。

 訓練生に選ばれて、防衛都市に住む人間であれば誰でも知っている人類の敵・怪獣に対する知識を同級生よりもほんの少し多く教わった、まだほんの十一歳の女の子――

「はぁ……はぁ……」

「B2訓練区画に怪獣出現! 繰り返す、B2訓練区画に怪獣出現! 付近の住民は速やかに避難せよ! 繰り返す――」

「はぁ……はぁ……」

 辺り一面に鳴り響くサイレンの音に避難指示。午後の訓練に向けたお昼休みは一瞬で戦場に変わった。ついさっきまで訓練生同士でくつろいでいた武道場は蜘蛛の子を散らしたように人気が無い。当然だ。怪獣に対抗できるのは怪獣の知識じゃ無くて戦うための力。訓練生である私達はまだその身に妖精を、力を宿していない。怪獣を前にして訓練生が出来る事は都市の人口を守るために全力で逃げる事。一日の訓練が始まる度に聞かされるお題目、まさかそれを実行する日が来るだなんて夢にも思わなかったけど――

「ううっ……ゴホッ……」

 みんなはちゃんと逃げられたのだろうか。あの日の犠牲者は0人だったから、やっぱり逃げ損ねたのは私だけだったのだろう。

 あの日私が所属していた班は運の悪い事に怪獣が出現したB2訓練区画で過ごしていた。数十メートルの体長を誇る怪獣は空間を破って空から落下してくる。巨大質量が地上とぶつかる衝撃は相当激しいものらしく、事件後に見た武道場の半壊した姿は今でも自分の中で怪獣の恐ろしさが刻み込まれた証として目に焼き付いている。

 それだけの破壊を目撃したのであれば誰も「戦おう!」なんて思わない。恐怖に、無力感に、自分とは比べ物にならない存在を前にしたら様々な劣等感に駆られて逃げ出すのが正しい反応。だから同級生が逃げた時、私はホッとした。みんなも同じように怪獣が怖いんだ。戦う力なんて無いんだ……って。

「はぁ……はぁ……」

 あの日私は皆の輪の中からちょっとだけ離れて外の空気を吸おうと窓を開けようとしていたと思う。そのが運命を分ける事になるなんて誰が想像しただろうか。みんなよりほんの少し窓側にいただけで、私は衝撃に巻き込まれて半壊した武道場の瓦礫の中に埋もれてしまったのだ。

「あぁ――」

 体のあちこちが挟まって身動きが出来ない状態。瓦礫の山と一体化した私。同級生たちは私が死んだものだと思い込んだらしい。私も今でもよく助かったものだと思う。

 こうやってゆっくり当時の思い出を振り返ることが出来るのはこの先助けられた事への安堵もあるけど、半分以上はあまりの異常事態に恐怖を通り越して冷静にならざるを得なかったからだと思う。

「グルルルル……」

「……⁉」

 瓦礫の中で私は怪獣の姿に向き合わされた。等級は三〇メートル級。山のようなサイの角とサンショウウオみたいな肉体の三分の一を占める巨大な口をもったそれは、体表を青白く発光させると空気を震わせて――

「――!」

 スパーク! 怪獣が触れていた空間をさせた。怪獣が踏みしめていたレンガ造りの道路にB2区画の建物、周囲の空気までもが分解され、周囲には怪獣を中心に上昇気流が発生する。

 これこそが怪獣災害が持つ共通の性質。空間の消失現象だ。この世界とは別の次元からやって来た私達の物理法則に則らない超常の存在。彼らは様々な姿で現れ、そしてその姿を活用してこの地球の空間を削って来た。空いた空間へと空気が流され、酸欠気味になった脳がとっさにそらんじたのは座学の知識だった。怪獣を目の前に絶好の復習の機会だと思ったのだろうか。身動き一つ取れず、怪獣と向き合うことしか出来ない私は現実逃避に怪獣を利用したのかもしれない。

「グルル……⁉」

「⁉――ッ」

 消失現象の収縮は空間そのものへの干渉であり、空気みたいに質量が軽いものはもちろん、距離が近ければ建物の一つや二つ引き寄せてしまう。それならば当然武道場の瓦礫程度わけなく崩せる。

 相変わらず身動きは取れなかったけど、瓦礫は確かに私を発見できる程度に撤去された。そこまではいいと思う。事態が収束した時に探す手間が段違いに減るのだ。この辺りは怪獣に感謝しても良い。

 まぁ、そのおかげで怪獣と目が合ってしまったのだけど――。

「グルァアアアアアアア‼」

「――――――――――‼」

 怪獣には何故か人間を狙う習性がある。人間なんて最大でせいぜい二メートルが限界のちっぽけな生き物。そんな小さな存在をこの巨大生物群は執拗に追いかけては消失させようとしてくるのだ。

 怪獣の咆哮の前にサイレンも避難指示もとっくに掻き消え、鼓膜は破れる寸前だった。大地も空気も何もかもが震えて、それが瓦礫に伝わると私の体はシェイクにされそうな激痛が走った。

 怪獣の特殊能力は外見に現れていることが多い。ドン! ドン! ドン! と前足を蹴りながら、は私めがけてその角で狙いを定めている。そんな神経質に両目を血走らせなくても適当に突進するだけでぺしゃんこなのに。怪獣が人間を狙うのはひょっとしたら人間が怖いから? そう言えば、今まで聞いて来た怪獣の泣き声もサイレンみたいに悲鳴に近かったかも。なんだ、怪獣も臆病なんだ。

 別に怪獣を馬鹿にしている訳じゃない。絶体絶命の状態に私は現実逃避で子供みたいな発想を頭の中でぐるぐるさせていただけだった。でも怪獣はそう思わなかったらしく、私の目を見るなり、教官がブチ切れたときみたいに血相を変えて突進をくり出した。

 青白い消失のオーラを纏いながら、巨大な質量に似合わない列車のような突進。眼前の滅茶苦茶な光景を目の前に、今度こそ私は死んだと思った。武道場の瓦礫ごと、いやB2区画がまるまる消えてしまう。滅茶苦茶に吹き荒れる風圧の中、視界を埋め尽くすのはサイショウウオの灰色の体表――

「待ったああああああああ‼」

 ガン! と巨大な衝突音が広がると同時に、体が温かいものに包まれる。

「生きていてくれてありがとう。もう大丈夫、私が守りに来たから安心して!」

 反射的に閉じた目、体の感覚がする事からどうやら私は助かったみたいだ。安心して薄目を開けると――

「――あ!」

「ふふっ」

 怪獣は相変わらず目の前にいた。両目を血走らせながらいまだにを見据えている。けれどその歩幅は一歩も全身していない。怪獣の侵攻は私達の間に入った黄金の鎧を纏った戦乙女が発する金色のバリアに阻まれていたのだ。

「よい……しょっと」

 女戦士はそんな呑気な事を言いながら二、三回腕を振るうと私の周りの瓦礫をあっという間に取り除いてしまった。そして自由になった私を持ち上げると、瓦礫の座りやすい場所に乗せて――

「ごめんね、すぐに終わらせるからそこで待ってて」

 冗談じゃない、早く安全な場所に逃がして欲しい。子供のくせに、助けてもらった立場のくせに私が最初に考えたのは身の保証だった。だってさっきまで死にかけていたんですもの。それくらい考えたってバチは当たらないと思う。

 それに当時の私は彼女の――まもりお姉ちゃんの――戦士の凄さを怪獣同様座学でしか知らなかった。

「一気に決める!」

 彼女は翼を羽ばたかせるとバリアを突破してサイショウウオへ突進を仕掛ける。彼女の身長は黄金の兜を含めてせいぜい一七〇センチ。質量比で比べたらおにぎりとゴマ粒ほどに違う。そんな人間が化け物に挑むなんて無謀に見えた――

「はぁっ‼」

 彼女は右腕を振りかぶると円形のこぶし大の盾を形成し、怪獣めがけて思い切り叩き付けた。

「ギィッ⁉」

「――⁉」

 衝撃は怪獣の体表を伝わって、そのまま横倒しにした。

 へぇ……盾って殴るのにも使えるんだ……。

 ドシン! と巨大質量が人型に倒される、そんなありえない光景を目の前に私はそんなトンチンカンな事を思ってしまった。

 そう、これこそ私達が住む都市が「防衛都市」と呼ばれている理由。怪獣同様、異次元からやって来た超常の協力者である「妖精」をその身に宿した戦士・超人だ。

「はぁっ!」

 怪獣は存在の位相がズレていて、旧時代に豊富に存在した兵器群で攻撃してもダメージは碌に与えられないし、それに青白いオーラの前に削り取られてしまう。さっきまでの私みたいに、人間が出来るのは怪獣が異次元に帰るまでその蹂躙に耐える事だけだった。

 そんな状況を唯一ひっくり返せるのが超人だ。妖精の力で怪獣に十分に干渉出来る位相と超能力を手にした彼女たちは都市の、人類の平和を守るために全身全霊へと怪獣と立ち向かう。

「ウウウ……グルアアァ――‼」

 あんなちっぽけな存在に転がされた事におかんむりなのか、怪獣は顔を真っ赤にするといきなり起き上がって突進を始める。だけどここは飛行能力を持つ超人の方が有利だ。体格差を活かして怪獣の攻撃をひらりひらりと躱してゆく。

 自分を刺してくる蚊を潰せないようなもどかしさ。怪獣はむずむずと体を震わせるとヤケクソに発光を始める。どうやら彼女に構うのは諦めて当初の目的通りに街を削り取るみたいだ。

「グッフッフ…………ン⁉」

 空気が震え、大地が軋みだす。そこに存在するだけで被害をもたらすのが怪獣。それを主張しようと得意げに青白い光を弾きだそうとした時だった――

「……綺麗」

 光は破壊をもたらすことなく黄金の波をオーロラのように周囲に広げてゆく。

 よく見ると、怪獣に向けて超人は黄金の盾を差し向けていた。盾からは周囲に広がるオーロラと同じオーラが発せられていて、それが怪獣の破壊のオーラを中和しているのだ!

「グ……グ……グルァアアアアアアア!」

 怪獣は再び突進をくり出す。しかし攻撃はすべて華麗な羽ばたきの前に躱され、避けた先の建物への二次被害もクッション状のバリアに阻まれ、破壊の波動も中和される。そう言えば、私と怪獣を隔てているこの温かなバリアも消えていない。

 超人と怪獣の関係は最早闘牛士と猛牛。いや、対格差を考えるとそれ以上かもしれない。怪獣を弄ぶ超人、両者の力の差は歴然だった。

「ギィヤアアアアアアアアアア‼」

 今度こそ怪獣は確実に悲鳴を上げた。思い通りに破壊を進められない事に駄々をこねて、内側からブクブクと巨大な質量をさらに膨らませてゆく。

 自爆だ。座学の知識がにわかに頭をよぎる。怪獣には自我が存在せず、破壊のためには手段を選ばない。破壊工作が思うように進まなければその身に宿した特殊能力を全てメガトン級の爆発に転換しても後悔なんてしない。四〇メートル……五〇メートル、臨界点にたどり着いた怪獣はハンザキの口でニヤリと笑う。「今度こそ、これで終わりだ」。と。

 でも、私は不思議と恐ろしく無かった。この黄金のオーラが温かいからか、どれだけ絶望的な状況でも彼女が守ってくれる。その確信があった。

 カッ! と世界が白く覆われる。太陽が二つになったんじゃないかと思うくらいの眩しさ。両手で目を塞ぐけど、襲って来たのは光だけ。爆発の振動も、爆風が運ぶはずの破片群も私には届いていない。

「………………」

 恐る恐る、目を開ける。

「わぁ……」

 そこには相変わらず私を守ってくれるバリアと――

「ふう……さっきのはちょっとだけ危なかったかな」

 直径五〇メートルの黄金の球体を撫でる超人の姿があった。おそらく、彼女は爆発寸前で怪獣をバリアの中に押し込めて爆発から都市を守ったのだ。

「都市の守護天使」。私はまもりお姉ちゃんの二つ名をその日体に刻み込んだ。

「大丈夫。例えどんな敵が現れても私が皆を、君を守るよ」

 そう言いながら天使は私の下へと羽ばたいてくれた。輝く笑顔に手を引かれて私は立ち上がる。

 その日から戦士になる事は私の戦士階級としての単なる義務だけでなく、人生の目標になった。

 すべては都市のため、都市に生きる人々を守るために超人になる。それがきっと、あの日私が助けられた事の意味だと思うから。

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