寂れ、滅ぶ。
タロフ
第1話
朝。目を覚ますと、リビングから大きな声が聞こえた。
何事かと思って飛び起きて、階段を降りながら耳を澄ますと、お母さんが大声をあげていた。
お父さんがそれを宥める声も小さく聞こえたけど、あまり効果は無いようだった。
何が起きているのかは分からなかったけれど、その張り詰めた空気を感じることは僕にでもできた。
心臓をキュッと結ばれるような感覚だった。恐る恐るリビングのドアを開けた。
「なんでこの子が……」
5つ上、先月15歳になったばかりの兄さんを抱きしめて、母が泣いていた。
兄さんは涙を流しながらも取り乱すことはなく、静かに感情を堪えているようだった。
お父さんは食卓に座ったまま、頭を抱えている。
3人それぞれが小さく嗚咽を漏らしている異様な光景の中、兄さんが僕の存在に気がついて少しだけ表情を緩めた。
「
「あ、うん」
頭の整理が追い付かず、目を背けてしまった。ここで何が起こったのか問いただせば良かったのか、正解は分からないが、とにかく僕には何もできなかった。
目を背けて、回らない頭で必死に考えようとしていると、お母さんが短く悲鳴をあげた。
驚いたが、その理由はすぐにわかった。
兄さんが、お母さんの腕の中からすっぽり消えていた。
***
「おはよう」
隣からの優しい声で目を覚ました。
「……おはよ」
詩乃に起こされ、朝ごはんを食べた。
今日は結婚式場の見学に行く予定だった。
同棲が2年を超えた頃、2人ともいわゆる結婚適齢期は過ぎていることを考えて、結婚することにした。
今時は結婚をする、ひいては子孫を残すことに後ろめたさを覚える人が多くなっていて、既婚者の人口も右肩下がりだ。
それでも結婚しよう と思ったのは、自分の価値観が古いのか、何か「証」が欲しいと思ったからだ。
『……厳しい冷え込みとなるでしょう。次は、最新の伝染者情報です』
「あー、また出たんだね、伝染」
テレビを観ながら、独り言とも話しかけているともつかないトーンで言った。
「最近急に増えたよねぇ」
「原因も分からないしなぁ」
詩乃が洗濯物を干していることに気付いたので、掃除機を手に取ってササッと掃除を始める。
「何時に出ればいいんだっけー?」
向こうから詩乃に訊かれたので、昨日チェックした乗換案内を思い出しながら、10時に出れば間に合うよ、と言った。
外に出ると、かなり冷え込んでいて、吐く息が白くなるほどだった。
初めは、20年ほど前まで遡る。
ある老齢の男性が急に姿を消した。ただの失踪や誘拐などではなく、存在が消えた。息子の目の前で、まるで瞬間移動でもしたかのように、消えた。
その後、2人目、3人目、と消える者は増え続け、人数が10を超えたころ、世界的にも報じられるようになった。
【前代未聞 消える病】
大々的に報じられたそれは、世界中の人々を恐怖の渦に巻き込んだ。あまりに常識ばなれした現象は、オカルトな噂や陰謀論などを巻き起こし 、社会の大きなうねりになった。
「消失病」として世界中の認知を得ながら、確実に、だがゆっくりとしたペースで消える者は増え続けた。消えた者たちは、「伝染者」と呼ばれた。
それがおよそ20年前。
年間で500人程度の消失を維持しながら、その謎の病は人口を少しずつ減らしていた。
年間で500人。多いような気もするが、世界で500人だ。
年月が経つうち、人間の死因が一つ増えたくらいの感覚で認知され始め、当たり前の存在となった。しかし、今年に入ってから急に伝染者の増加速度が上がっており、人々を再び不安に陥れていた。
そして、現在。
「長かったね〜、お疲れ様」
結婚式の打ち合わせが終わり、近くのファミリーレストランで食事をしていた。
年々需要が低下しており、それに併せて式場も右肩下がりに減少しているため、家から電車で2時間かかる式場を選んだ。
「式には何人くらい呼ぼうか」
詩乃の分のドリンク手渡ししながら、尋ねた。
「わたしは、そんなに沢山呼ぶつもりなかったりするんだよね」
「えっ、そうなの?」
意外だった。詩乃には友達が沢山いると聞いているし、実際によく遊びに出掛けている。
「だってもう、35歳でしょ?そうなるともう、私たちが子供の頃の常識では、みんな結婚してた年齢じゃない」
「うん」
「だから……」
「うん」
「こんな中、友達は誰も結婚なんてしてないのに、私たちだけ結婚式するのが、少し申し訳ないというか、なんて思われるか、怖い、んだと思う」
「うん…」
ドリンクバーのグラスに入ったお茶を眺めている詩乃は、少し悲しそうにも見えた。
「怜さんは?」
「僕は、自分たちのこだわりで結婚するんだから、それに付き合ってくれる人だけ、何人か呼ぼうかなと思ってる」
実際友達少ないしね、と心の中で付け足した。
「本当に終わっちゃうのかな?」
「え、何が?」
「ぜんぶ」
「そんな訳ないよ、ノストラダムスの大予言だって外れたんだから、平気さ」
そう励ますしかなかった。
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