バトン

nobuo

■ ■ ■

 入り込んだそこは古びた洋館の荒れた庭先で、伸び放題に生い茂ったバラに蔦が絡まり、烏瓜からすうりの橙色の実がぶら下がっていた。

 好奇心旺盛な年頃の彼らは探検気分で植え込みを掻き分け、ところどころモルタルの剥がれた外壁を調べて回り、鎧戸が外れガラスが割れた窓から中に入り込んだ。

 雨風が吹き込んで劣化した絨毯と、塗装が剥げた猫足の家具。漫画でしか見たことがない燭台は錆びつき、カーテンもクロスも擦り切れてボロボロだった。

 静かで薄暗い館の中を、三人は興味津々に進んでゆく。スマホのLEDライトを懐中電灯代わりに、彼らは片っ端からドアを開けていった。

 廃居となって長いのだろう。どの部屋も埃だらけでカビ臭く、淀んだ空気が纏わりつくようだ。


「よっクン。あんまり勝手に触っちゃダメなんじゃないかな?」


 三人の中で一番気が弱い直登なおとが、ビクつきながらも抽斗の中を荒している耀一よういちを窘めた。


「大丈夫だよ。ナオトは臆病だな~」

「だって…」


 馬鹿にされたと思った直登は口をへの字に曲げ、上目遣いに彼を睨みつけた。


「二人とも何やってんだよ」


 一見まじめなメガネ君だけど、その実好奇心と探求心でいっぱいの大也だいやが、奥の続き間から顔を出した。


「ダイちゃん! よっクンが散らかしっ放しにするんだよ」

「え~? だって誰も住んでねぇんだろ。いいじゃん」


 直登がやりたい放題の耀一の所業を告げ口すると、今度は耀一が唇を尖らせた。

 些か険悪になった二人に、大也はやれやれと溜め息を吐いたが、仲裁はせずこっちこっちと手招きした。


「それより来てみろよ。いいもの見つけたんだ」


 二人がムスッとしたまま大也について行くと、彼は奥の部屋の、洋館には不似合いな黒塗りの仏壇の扉を開けた。


「ちょっ、ダイちゃんまで!」


 自宅が農家で、仏間に大きな仏壇がある直登が、大也を罰当たりだと諫めたが、彼は不敵にニヤリと笑った。


「これ、仏壇じゃなくてたぶん金庫だよ。ダイヤルがあるし、ここの飾りみたいな金具をずらすと、鍵穴が出てくる」


 鉄製の表面には四つのダイヤルが並び、真鍮製の菊花飾りが施されているのだが、その花のひとつが動かせるようにできており、小さな鍵穴が隠されていた。


「すっげぇ! さすがダイヤ!」


 大喜びの耀一とは裏腹に、直登は難しい顔で金庫を観察する。


「でもこれ、ダイヤルの番号がわからないし、鍵も無いから開かないんじゃない?」

「え~、開かないのかよ」


 ガッカリと肩を落とした耀一の様子に、大也はにやりと口角を上げた。


「落胆するのはまだ早い」

「ラクタン?」

「ガッカリするのは早いって言ったんだ。ゲームだとこういう場合、近くにヒントが隠してあったりするもんなんだ。…二人とも、この絵を見ろよ」


 ライトで照らされた先を見上げると、金庫の隣の壁には、豪華な額縁に入れられた肖像画が掛けられている。

 描かれているのは、肩越しに振り返る和服姿の女性。腰から上の構図で、紅葉の枝を手にしている。

 結い上げた髪に反射する光までもが緻密に描かれ、まるで写真のようだ。


「このオバチャンがなんかあんの?」


 眉間にシワを寄せた耀一の問いに、大也は絵を指差して説明した。


「この女の人の絵、最初の部屋にもあったし、食堂にもあったんだ。もちろん違う構図だったけど。二人とも、この絵を見て何か気が付かないか?」

「んあ? 普通の絵じゃないのか?」


 腕組みをして首を傾げている耀一と違い、じっくりと絵を見つめていた直登が、勢いよく大也を振り返った。


「わかった!」


 興奮して叫ぶ直登を余所に、耀一は背伸びをして絵に顔を近づけた。


「ん~? モナリザ?」

「違うよ!」

「じゃあ、横田よこたンちの母ちゃんに似てる?」

「もう! 確かにちょっと似てるけどっ。ダイちゃんが言ってるのはそんなことじゃなくて、女の人の目だよ!」

「目ぇ?」


 わかりやすく大也がライトを当てた先には、物悲しそうな焦げ茶色の瞳。

 その左目には…


「あ! 目の中に数字が隠れてる!」


 よく見れば、周囲の景色を映している瞳には、うっすらと『6』の数字が見て取れた。

 ぱあっと嬉しそうな顔で大也を見た耀一に、彼もにっこりと笑顔で頷いた。


「そうだ。たぶんこの女性の絵は、館の中にダイヤルと同じく四枚あるんだと思う。それぞれに数字が隠されていて、それがきっと金庫のダイヤルの番号なんだよ」


 ちなみにこの絵のダイヤルは三番目だと言い、大也は右から二番目のダイヤルを『6』に合わせた。


「なんで三番目だってわかったの?」


 不思議そうに訊ねる直登に、大也は簡単だと答えた。


「セオリーだよ。絵の中にヒントが隠されてるのってゲームではよくあるんだ。それを踏まえ、この絵のテーマ『秋』とダイヤルの数を結びつけば自然と三番目の数字だってわかる」

「秋?」

「そう。わかりやすく紅葉が描かれてるだろう?」


 ほかの絵は桜とヒマワリだったと言う。


「…よくそんなとこ覚えてるね」


 関心を通り越して呆れたように呟いた直登に、大也はメガネのブリッジを指先で押し上げながら、子供らしからぬ苦笑を浮かべた。


「まあね。ゲームの癖で、つい細かいところを見ちゃうんだ」


 しかもスマホで写真も撮っておいたという。

 

「マジか⁈ 見せてくれよ!」

「ちょっと待てって」


 耀一に急かされながら写真を呼び出し、三人は頭を突き合わせてそれを覗き込む。限界まで拡大すると、どちらの絵にも確かに数字が描かれていた。


「春の絵は『5』だね。夏の方は———」

「『8』? 『3』?」

「ダイヤルは後にして、早く冬の絵を探しに行こうぜ!」


 首を傾げて悩む二人に構わず、耀一はごそごそとローチェストの奥を探り、ロウソクとマッチを引っぱり出していた。


「なにしてんだよ?」

「いや宝探しならさ、やっぱたいまつ…はさすがに無いから、せめてロウソクがあると雰囲気出そうじゃん?」


 思い付きで家探しし、ちゃっかり目当てのものを見つけ出していた。


「ちょうどロウソク刺すヤツもあるし? ずっとスマホのライト使ってると充電も切れちゃうからさ」

「…確かに」


 耀一の言い分になるほどと納得した大也と直登は、燭台にロウソクを取り付ける手伝いをした。


「よし! じゃあ南小五年一組探検隊、さっそく調査に行こうぜ!」

「なんだ、そのダサい隊名は?」

「しかも長くて言いにくいよ…」

「いいの!」


 二人のダメ出しにもめげない耀一を先頭に、彼らは絵を探しに出掛けた。

 LEDライトではなくロウソクの明かりに映し出される三人の影は、ゆらゆらと揺れてまるで意思を持った別の生き物のように見える。


「あの金庫は鍵も必要だから、それも探してくれ」


 大也にそう言われ、二人も廊下に転がる壺の中や書棚の抽斗を確認しながら進む。所々板の抜けた階段を用心して上ると、長い廊下の突き当りに目的らしき絵が掛けられていた。


「あれじゃね? オバチャンが描かれてるし」

「そうみたいだな」

「ねえ、ちょっとこの絵ヘンじゃない?」

 

 近づいてよく見てみると、雪をかぶった椿の下に白い着物姿の女性が横たわり、その胸元は椿のように真っ赤に染まっている。

 

「もしかして死んでる?」

「まさか殺され……」

「…」


 最悪の事態を想像し、三人の顔色が青白く変わった。その時、


「なにしてるの?」

「うわーっ!」


 突然右側のドアが開き、眩い光と共に少年の声が掛けられ、三人は飛び上がって悲鳴を上げた。

 腰が抜けてへたり込んだ彼らを、声の主は不思議そうな顔で見下ろす。


「大丈夫?」

「お、お、お前は誰だ⁈ 何でここにいるんだ!」

「え、僕? 僕は……侵入者、かな?」


 少し考えてからそう答えた少年は、へらりと困った顔で笑った。

 聞けば三人と同様に友達と冒険気分で忍び込んだのだが、気付けば一人になっていたらしく、置いて行かれたようだと言う。

 

「もう帰ろうと思ったんだけど、広すぎて出口がわかんなくて…」

「なーんだ。じゃあオレたちと宝探ししようぜ!」


 人見知りしない耀一が馴れ馴れしく少年の肩を抱いて自己紹介すると、彼は嬉しそうな顔で”しゅう”と名乗った。そして修はポケットから鈍色の小さな金具を取り出すと、三人の目の前にぶら下げた。


「宝探しならこれ・・が必要じゃない?」

「あ!」


 それは黒ずんだ小さな鍵だった。


 恐る恐る冬の絵の数字を確認し、修と情報交換をしながら一階に下りた彼らは、金庫のある部屋に向かった。


「へぇ、あの絵にそんな秘密があったんだ」

「ダイヤが見つけたんだぜ!」


 感心する修に、なぜか耀一が自慢気に胸を張っている。

 そんな二人の後ろを、大也と直登が呆れた顔でついて行く。


「それにしてもよくこの館に入る気になったね。ここは幽霊が出るって有名なんだよ」

「え! それって絵のオバチャン⁈」

「違うと思う。噂ではここで働いていたメイドらしいよ」


 なんでも監禁されていた絵の女性が、メイドを身替わり・・・・にして外へ逃げたらしい。そのせいでメイドは主人の怒りを買い、殺されたと噂になったそうだ。


 そうこうしているうちに、四人は金庫の前に着いた。さっそく大也がダイヤルを合わせ、直登が修に渡された鍵を差し込んで慎重に回すと、


 カチッ…


 微かに聞こえた金属音に、四人は無言で頷き合った。

 スマホのライトで照らしながらゆっくりと扉を開ける———―――と同時に中から赤黒い腕が伸びてきた。


「ぎゃあ‼」

「うわーっ‼」

「待って‼」


 一目散に逃げだした少年たちは、後ろも振り返らず入ってきた窓を攀じ登り、急いで外に飛び出す。

 庭の隅に停めてあった自転車に跨ると、全力でペダルを踏み続けた。

 

 館から遠く離れ、自宅近くの公園で三人は漸く自転車を止めた。


「ヤ、ヤバかったな…」

「ああ、超怖かった!」

「うん…」


 彼らは暫く恐怖を共感しあったが、空に星が瞬き始めた頃、そろそろ家に帰ろうと言いだした。


「じゃあな! また明日!」

「学校でね!」


 一人反対方向の大也に、二人が手を振って遠ざかっていく。


「ああ、気を付けて帰れよ! 耀一、


 なんの違和も感じず、三人はそれぞれの家へと帰っていった。













「待って…僕をおいていかないで…」





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