本当に恐ろしいもの

いちご

本当に恐ろしいもの


 あれは僕が大学2年生の夏のこと。


 「割のいいバイトがあるんだがやらないか?」と誘ってくれたのは同じサークルのひとつ上の先輩だった。

 仕事がある時だけ連絡が来て、事務所に集合して車で指定の場所へ行き祭壇を作る。簡単な仕事だが稼げると先輩は言った。


 面接というにはお粗末な顔合わせと履歴書提出してすぐにOKが出たのはそこが先輩の親戚の葬儀屋だったからだ。

 先輩も忙しくて人手が足りないときは毎度駆り出されて手伝っているらしい。


 事務所には結構な人が働いていたけれど、手が足りなくなることなんてあるのだろうか。その疑問に先輩は笑った後で神妙な顔をした。


「人が死ぬ時は不思議と重なるんだよ」

「へぇ。そういうものなんですか」


 まだ僕は身近な人と死に別れたことがなく、葬式というものに漠然とした暗さと申し訳ないが嫌悪感しかなかった。

 だから「死が重なる」という言葉に首の後ろがぞわぞわして適当な相槌を返して済ませた。


 まあ新人なうえにバイト扱いの僕の仕事は重いものを運んだり、簡単な設置をするくらいだったので一日働いてもらえる給料を考えれば確かに割がいい。

 できれば学業を優先したかった僕としては週に三~五日はシフトに入らないといけないようなバイトと違って合ってはいる。


 最初は亡くなった人が寝ている傍で作業するのが気持ちが悪かったが、それも時期に慣れた。

 生きている人を相手にするよりもいっそ気楽でいいような気もしたくらいだ。


 軽い気持ちで始めたバイトも気が付けば一年近く働いていて、先輩が就活と卒論に入らなければならないと一旦引いたからか、前より頼みにされるようになって呼ばれる日も多くなってきた。

 僕は誇らしい思いと勉強に支障が出るようなら断るべきだなという憂鬱な気持ちに挟まれていつもより神経質になっていたと思う。


 その日は祭壇を設置した後すぐに、もう一件回らなければならないほど予定が立て込んでいた。

 祭壇にするための台や支えを運び込もうとご遺体が寝ている部屋へ入ったときに違和感を感じて首を捻る。


 八畳ほどの和室に布団が二つ仲良く並んでいた。


 片方は痩せた長身の男性だろう。

 もう片方は小柄でおそらく女性。


 白い布が顔にかけられているのではっきりと言い切れないが老夫婦だと思われる。


「……仲がよかったんでしょうか」

「かもしれないな。死ぬ時まで一緒に行くとは」


 持っていた物を一旦下ろして会社の人と二人で手を合わせた。どちらからともなく動きだし淡々と設置をしていく。二人分だからか依頼された祭壇は豪華で作業に時間がかかる。


 時間ばかりが気にかかり、焦るからかいつもはしないミスもして。


「おいっ!」


 怒鳴られてびくりとした僕は小さな声で「すみ、ませ」と謝罪をしようとして会社の人が真っ白な顔で震えているのに気づいた。


 なんだろう?


 彼の目は僕を見ていない。

 僕の左頬をかすめて、後ろの方―—ご遺体が寝ている方へと向いていた。


 なんだ?


 気配がする。後ろで。

 この部屋には僕らの他には死んだ人しかいないのに。


 やめろという静止の声が内からする。でも確認しないと怖くてたまらない。ゆっくりと顔を背後へ向けていく間に心臓が二倍以上の速さで収縮して気持ちが悪くなる。


 目の端に灰色の頭部が映る。

 高さは小柄な人が座っているくらいの位置だった。


 そして薄い紫の花柄のパジャマ。


「ひっ!」


 信じられないことに老女がぼんやりとした顔で布団から起き上がっていたのだ。

 きっと僕の顔も青くを通り越して真っ白になっていたに違いない。ヘタリと畳の上に座り込んだ僕を老女が見た。


「どうしなさった?」


 はっきりとした言葉。

 そして老女の瞳には知性と感情が窺える光があった。


「い、え。お亡くなりになった方がお戻りになられたと、ご家族の方に説明して参りましょうね」


 さすが葬儀屋に勤めているだけあって会社の人は立ち直りが早かった。僕はいまだに腰が抜けてしまっているというのに。


 いちおう「そういうこともたまにある」というのは聞いていたが、まさかそれに遭遇するとは思っていなかった。


「あれ?失礼な。わたしは死んではおらんよ。死んだのはこっちの、色ボケジジイさ。まったく腹の立つ」

「そうでしたか」


 部屋を出て行こうとしていたのを止めて中腰で話を聞く姿勢を取る姿に尊敬すら抱きながら僕は大きく深呼吸した。


「足しげく通った飲み屋の女じゃなくて、最期に隣で寝てやっているのは蔑ろにしてきた嫁なんだと恨み言を交えて言ってたら疲れて寝てしまってね」

「そうでしたか」

「まあ、いいんだよ。ジジイにはそれなりの保険をかけてたから、今後はわたしが楽しく老後を満喫させてもらうよ」


 にんまりと笑った老女の顔が一瞬恐ろしいものに見えた。

 人の死を悲しむではなく喜ぶなんて。


 それなりの過去と原因があったのだろうけれど。


 ちらりと脳裏に浮かんだのは「死因は一体なんだったのだろう」というものだったが、そこは深く追求してはいけない予感がして僕は目を逸らして祭壇を作る作業へと戻った。









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