閑話1
今回は三人称です。
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「で、ちゃんと紫苑は生きてるの?」
とある宮殿のバルコニー。
温かな光に満たされ、天候が荒れることもないこの世界では一日を通してティータイムが楽しめるだろう。
天使族が忙しなく働き、給仕をする世界の宮殿にて一人の少女が頬杖をしながら対面に座る女性に話しかける。
可愛らしく彩られた茶菓子に一級の審美を通った極上の茶。
どれも口にするだけで思わず頬が緩みそうなものだが、一口も口を付けられることなく放置されている。
「さあ? 殺すなと命令はしましたがその後は私の関知することではありません。」
「ぶー。ケチー。そんなんだから友達いないんだよ。」
「……別に友神など不要でしょう。それに輩がいないのは貴女も同じではなくて?」
「えー……でもボクは友達出来る前に死んだからノーカンだよ、ノーカン!」
「結局いないことに変わりはない、と。」
喰ってかかる少女にそれを受け流す女性。
白く汚れ一つないワンピースを着ている少女は生来の天真爛漫さを隠そうともせず、外見相応の幼さとあどけなさを見せる。
一方で女性、この宮殿の支配者は全身を鎧で固めて武装している。
流石に
「えー……そんな重箱の隅突くみたいな……。もう、アテナったら。」
そう、そしてこの女性こそアテナである。
今は亡き大神の娘であり、『天界』を運営する十三神の一柱―――《守護女神》アテナとは彼女のことだ。
つい先程まで梟に意識を移し、春宮紫苑の命運を定めだのが彼女だ。
「それに私に輩は不要です。数多の屈辱を受けながらそれを雪ぐこともしない軟弱者など私から拒みます。」
「でもアポロンとは手組んでるじゃん。」
「……仕方ないでしょう。確かに快楽主義者は制御不能でおまけに考えなしです。かといってソロモンの側に就かれる方が問題ですから。」
二人は今話題に出た男神を思い浮かべる。
常に半裸で月桂樹の冠を被った青年の男神。
美を司る神ですら羨むほどの美しさと戦神が呆れるほどの武力を持つ神だ。
そして同時にあらゆる神が厄介に思う程の快楽主義者である。
その場その場で物事を考え、一貫性を持たない。
思いつきで行動し、後先を考えない行動から引き起こされる重大な厄災を引き起こす。
人類、神を問わずに多くの者が迷惑を被って来たのだ。
「そんなんならいっそのこと始末しちゃえばいいのに。」
「……あれでも血を分けた我が兄。それに血統しかない腰抜けよりはマシです。立ち上がる時を見誤っていませんから。」
そう言ってやっとカップを手に取り、注がれた紅茶に口を付ける。
注がれてから少し時間が経っており、温くなってはいたが不思議と不快感を感じることは無かった。
何故ならそれ以上に心中で蠢く騒めきや不快感がそれを勝っていたためだ。
「―――ハルカ。」
「何、アテナ? そんなに改まってさ。」
「私は貴女の要求を呑んだ。違いますか?」
「んー……。まあ、紫苑は死んでないっぽいし、それでいいよ。」
「分かりました。では約束通り――――――そちらも契約の履行を。」
アテナは真っ直ぐな瞳で少女を見つめる。
その瞳を見て少女は穢れなき笑みを浮かべる。
そして少し遅れて、ゆっくりと小さくその要求に首肯していた。
△▼△
場面は移り、アルファード王国。
その王都の騎士達が寝泊りする宿舎にて一人の少年が俯いている。
兵士たちが使うものと比べ物にならない質の
美形であるはずの素顔は垂れ下がった茶髪で隠れ、本来の輝きを隠している。
しかも
「紫苑が……死んだ……。」
最も古く、最も親しい友人の死。
死が安く、近しい位置にあるとは教えられてはいた。
しかし実感はなかった。
クラスメイト達は精兵である騎士と戦えるくらいには強かったし、強くなるのも早かった。
魔物退治も身構えていた程ではなかった。
最弱のゴブリン相手だったから気も余裕を持つことができ、イレギュラーが起こっても直ぐに対処ができた。
だから自信があった。そして希望があった。
春宮紫苑は色々あったため夏目祐介は心配していた。
クラスメイトの中で唯一チートじみた力を持たず、寧ろ逆にハンディキャップを持ち、召喚されてからいきなり殺されそうになるなど理不尽な目に遭った。
幸いにも軍団に匿われたが、いきなり歴戦の兵士達に囲まれることになった。
どれでも元高校生には堪える出来事だったはずだ。
祐介は聞いているだけだったが、先日軍団と騎士団合同のダンジョン侵攻時には元気な姿を見せていた。戦力面では当てにならなかったが、一緒に戦っているという事実が祐介に力をくれた。
転移の
更に祐介達にとって喜ばしいことに『
ダンジョンマスターだけではない。オーガにオーク、数えきれないほどのゴブリン……。
挙げた武勲は文句なしの一等級であり、祐介はこれで紫苑の待遇も良くなるのではと思っていた。
そしてその矢先での死であった。
祐介はずっと自問自答していた。
宿舎に戻り、知らせを知ったその時からだ。
あの時、危険な目に遭ったからそのまま自分も一緒に居ればよかったのでは?
傷付いた彼が早く癒える用に秋崎こころと同じように治癒魔術を習得すべきだったのでは?
疑問は生まれてはまた生まれ、一つも解消されることは無い。
夏目祐介という少年は確かに光るものを持っている。
普遍ながらも確かな善性と、誰かの為にを原動力に動ける行動力。
頭も回らない訳では無く、経験を積めば一角に至るであろう立派な『卵』なのだ。
だが『卵』であるために強い
そして俯く少年の姿はそのことを静かにも、されど雄弁に語っていた。
春宮紫苑が知り得ないことだが、夏目祐介という少年はそれほどタフではないのだ。
「……夏目君、入りますよ。」
一人の少女が部屋に入る。
しかし、少年は顔を上げようともせず、応対の挨拶をしようともしない。
普段の彼からすれば予想もできないことであった。
しかし今入って来た少女―――潮風渚は動じなかった。
紫苑や羽根山龍樹から委員長と綽名される程の少女は恋する少年が圧し折れていることを当然に予測していたからだ。
彼女は春宮紫苑の様に過剰な信頼を寄せないし、白菊桔梗の様な御伽噺じみた幻想を抱いてはいないのだから。
秋崎こころと同じように目の前にいる唯の少年に恋している。
黒いボブカットの少女は青色を含む瞳で真っ直ぐ少年を穿ちながら、ゆっくりと近づいていく。
足取りに迷いはなく、ゆっくりと確実に少年の下へ急いでいる。
やがて少年のすぐ近くまでにやって来ると膝を下ろす。
片膝をつき、少年の手を取りながら少女は口を開いた。
「夏目君……春宮君の事、知りました。」
「……渚……。ああ、紫苑の奴、死んじゃった。」
少女の存在を認知した少年は重い口を開いた。
ようやく開いた口から漏れ出たのは悲しみの言葉だった。
受け入れがたい、されどどうしようもない程の現実と流しがたく、これからの一生に影響するであろう後悔を少年は口ずさむ。
「……魔獣の襲撃でさ、あっさりやられちゃんだぜあいつ。笑えるよな、ゴブリンやオーク、オーガまで倒したのに。あっさり狼の群れに噛み殺されたらしいぜ……。」
「何でだよ……何でこう、紫苑はさ。抜けてるんだろうな? そう言えば、昔からそうだったなぁ……。詰めが甘いんだよ。」
「いや、違う、違うんだよ。俺だ。詰めが悪かったのは、俺なんだよ……!」
少年の鼓動が加速する。
それと共同して少年の口調も早くなる。
一度決壊した堤から水が溢れるように、抉られた瘡蓋から膿や血が溢れるように。
勢いよく、留めなく少年の心中は溢れていく。
「紫苑は弱いのは分かっていた……! でも、あいつなら何とかするっていう信頼をしちまった……! 証拠も、実績も、実力も! 何も無いのに! ……いや、実績はあったっけ。本人は否定したけど。」
「でも、俺が守るべきだったんだ。無理言ってでもやるべきだったんだよ……。最後に会ったあの時に、そう言えてたら……。そうだ、あの時なんで俺はあんなに呑気だったんだろう……。もっと言うべきこととか、やっておくべきことがあったはずなのに……。」
「命が軽いことも分かっていたはずなのに、死を取り扱う俺達が、死を対価とすることも知っていたはずなのに……。何で、俺は楽観視できないのに楽観してしまったんだろう。何で俺は全力を尽くせなかったんだ……。」
少年の顔は項垂れと垂れ下がる前髪で明らかではない。
しかし、少女が部屋に入る前よりも暗くなっているのは確かだった。
少年は心の膿を幾ら吐き出しても、元凶たる
「―――夏目君。いい加減にして下さい。」
だけど、少女は敢えて少年に喝を入れた。
少年が本当に抜け殻になって未練の奴隷に堕ちてしまう前に。
彼自身が正気を失って己を見失わせないために。
彼自身を取り戻さんと声を張り上げる。
「貴方が後悔するは分かります。確かに私だって悲しいですよ。友人がいなくなる、死ぬなんて事が此処まで苦しいなんて私も知りませんでした。」
「それに『死』の恐怖も正しく理解した気がします。あの時彼に言った自分がどれ程楽観的であったのかも、よく理解しました。……欠片だけでも貴方の苦しみが分かります。」
「立ち止まりたくなることも十分に理解できます。でも、駄目なんです。」
「今、足踏みをしてしまったら、今、立ち上がらないと同じことを繰り返してしまいます。そうなったら、今以上に悲しいじゃないですか。今以上に苦しいじゃないですか。一度の失敗で全てを失う苦しみを私は知っています。だから、此処で立ち直らなきゃどうにもならないんです。」
「昔、貴方がしてくれたように助けてくれる人はいないんです。此処で頑張らなきゃ、文字通り無駄になっちゃうんですよ?」
少年が顔を上げる。
しかし、憔悴しきった顔色は少しは良くなっていた。
「……渚、そこはさ。もうちょっと甘やかしてくれても……。」
「そういうのは秋崎さんや、春宮君の役割です。残念でしたね。」
ぴしゃりと、でも何処かお茶目におどけて見せる渚。
それに少し項垂れつつも、ゆっくりと少年は立ち上がった。
そして床に無造作に放っておかれた剣を手に取り、言った。
「でも、そうだな。今は違うな……うん、今はもうちょっとだけ頑張るよ。」
悲しみは晴れず、苦しみは未だ心中の中。
それでも、少年は荒海を越えていくと誓ったのだ。
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これで第二章は終了です。
次からは第三章冒険者編とも言うべき章がスタートします。
かなり長いエピローグが終わり、少年たちの成長や葛藤、広大な世界を描けたらと思います。
よろしければこれからも応援いただければ幸いです。
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