直観で生きる時代
妻高 あきひと
直観で生きる時代
前の課長、大丈夫かなァ・・
出すなよ、地獄行きの片道キップ。
でもこういうときに限って”出そうだな、出るなこりゃ”という勘というか直観というか、当たるのだ。
向こうがどうこうという前に、自分自身がそういう運命のように思えてしようがないときさえある。
他に二人もいるに、なぜか一番肝心な人物に選んだようにぶち当たる。
いや、選ばれたように向こうからぶち当たってくるのだ。
普通ならこちらでよけるものだが、こればかりはそうもいかない。
でもわたしはこういうときの直観はなぜか当たってしまう。
つまり当たらなくていいときは当たり、当たってほしいときは当たらないのだ。
それも周囲を不愉快にしそうな場面でしばしばこの現象が起きる。
不愉快になるのは、その人に総ての原因があるのだが、それをそこまでもっていくこちらもあまり愉快ではない。
そしてその直観がまた当たるのだからこっちも考えこんでしまう。
どうしようかな、世界平和のために周囲の平和のためにやめようかな、崩そうかなと正直思った。
だがそこはやはり欲が出てくる。
忖度する理由はないし、それをやれば侮られる。
何よりも”役満”を捨てるわけにはいかない。
まあ出てくるのは、その人物が運が悪いか腕が悪いか感が鈍いかのいずれかだから仕方がない。
第一流れた場合、開いたら待ちも役もわかるのだから、そうするとわたしが相手に気をつかったことになる。
でもわたしは課長に義理もないし、太鼓持ちでもない。
気をつかったと思われることは本意ではないし、周囲に侮られるのは論外だ。
そういう立場でもないのに、余計な侮りをうけることほど馬鹿馬鹿しいことはない。
こんな麻雀どうでもいいや、そして決めた。
明るく楽しく
「はいリーチ」
高らかに宣言してリーチ棒を前に軽く投げた。
すぐに課長がいった。
「おお、この場におよんでリーチかい、今晩はこれで終わりなのにな、当たらないでくれよな、俺がトップなんだから」
当たらないでくれよな、と言ったのは”オレに当たらないでよ、当たり牌が出たら見逃してよ”という暗黙のプレッシャーであろうことはすぐにわかった。
横にいる他の二人もおそらく同様の思いだったに違いない。
(サラリーマンの上下関係を部外者の俺に押し付けるなよな、人の上に立つなら負けても堂々としてろや)と俺は思った。
でも当たるかどうかは誰にも分からない。
三人のうちそれを出すのは一人で確率は三分の一だし、そもそも当たり牌がどこにあるのかもわからない。
何となく時間が過ぎただけの怪我の無い麻雀だった。
それまでは・・
相手は三人とも銀行員。
前が主役の課長で、左右がその下の係長と若い行員だった。
この若い行員がわたしの高校時代の同級生で、わたしを麻雀に誘った張本人。
家も近くで普通の付き合いだが、たまに彼の家で雀卓を囲むくらいの麻雀仲間でもあった。
その日の夕方、彼が麻雀の誘いの電話をしてきた。
「麻雀の面子が足らない。お前今日空いてないか、付き合ってくれんか」
というので、特に何も考えずにその雀荘に時間通りに行った。
課長と係長と彼がいた。
わたしは麻雀は嫌いじゃないけど、さほど好きでもない。
付き合い程度にたまにやるくらいで、もちろん麻雀が上手なわけでもない。
まあ付き合い麻雀くらいならなんとかなるかな、くらいの腕だ。
彼もそれを知った上で電話してきた。
その銀行には付き合いで口座もあったが、それ以上の縁は無かった。
向こうもこっちが口座を持っていることは当然知っている。
彼もわたしが適当にやってくれればいいけどな、くらいの気持ちで係長とも話しがついていたのだろう。
まあいいや、普通にやってりゃケガもないだろうと思っていた。
ことはそのまま、そのように進んだ。
手抜きするほどの腕もないし、気もつかわない。
このまんま終わりゃ損もわずかなものと思っていた。
彼もそれなりに楽しんでいるようだった。
若いヒラ行員にとって係長はむろんだが、課長となれば雲とはいかないまでも高層ビルの上の人物だろうなとは勝手に思っていた。
彼の勤めている銀行は第二地銀いわゆる昔の相互銀行で、都銀とはまた何もかもが違うのだろうとも思っていた。
とはいえ若いヒラ行員はピラミッドの底辺であることは間違いない。
最初から見事に銀行員のヒエラルキーが成立していたメンツだった。
こっちもその銀行に一応口座はあったので、向こうには向こうの下心と打算があったのだろう。
つまりは最初からある程度の筋書きができていたことは想像に難くはなかった。
そもそもわたしはこういうメンツでの麻雀は経験がなかった。
そこまで麻雀が好きではないし、雀荘にも一人で行ったこともないし、知らない人物とやることもほとんどない、いわば典型的なヒマつぶし型の付き合い麻雀だ。
でもまあ、彼からの電話ではそれなりに”メンツをなんとかそろえろ”といわれているように感じたので、やる気少々の気分で参加した。
彼はそれほど麻雀は強くなく、他の二人もわたしにはお似合い程度のレベルで、それなりにそれなりの展開で進んでいた。
彼には十分過ぎるような展開だったろうことは間違いなかった。
場は騒動もなく静かに進んでいった。
最後の場になった。
課長はトップで二人のことは覚えていないが、わたしは少しマイナスという彼らにはもってこいの状況だった。
これで最後か、こんなくだらない付き合い麻雀なんかやるもんじゃないな、とつまんでは捨てつまんでは捨てしていたらポロポロッと發と中がそろい白も対子になった。
えっ、冗談だろう、と思えば思うほど牌がそろう。
無欲でやるとこういうことがあるんだな、と正直思った。
みると頭もあるし順子もできた。
あと白一つで役満、大三元だ。
このときだった、前の課長から出ると座は一発で白け、彼は狼狽するだろうなと思った。
明日の業務への影響もわたしなりに考えた。
実際はそんなこともなかろう、いやそんなことはあるだろうという気持ちがないまぜになった。
一番いいのは自分のツモ上がりだが、その次は彼の捨て牌だ。
だが、こういうときに限って一番まずい相手から出てくるんだよな、と思った。
良きにつけ悪しきにつけ、いつもそうなのだ。
「こりゃ前の課長から出るぞ」
と思ったのはまさに直観だったというべきか。
そして場は何度かまわった。
もう残り牌も少ない。
当たり牌は白だ。
一つはすでに出ている。
そして恐ろしいことにその直観はドンピシャリで当たったのである。
課長はつもった牌をホイと気楽に捨てた。
見ると牌の上は消しゴムで消したように何も描かれてない。
ひょっとしたら、ひょっとだよね、真っ白な牌。
当たりだよ、それ、牌も直観も当たっちゃったのである。
(おら、し~らね)
「はい、ロン」
最後の最後で役満、大三元で当たり牌を見事に振り込んだ彼は一発でトップから転落した。
顔色が変わっちゃったね、俺はいいけど係長と彼の顔色も変わっちゃった気がした。
この場面でわたしは、サラリーマンの世界の掟を垣間見た気がした。
課長が係長を見た、そして係長は彼を見た。
なぜかわたしには一瞥もしなかった。
彼は気まずそうに黙っていた。
どうしてこの場を収めればいいのか分からなかったのだろう。
通夜のように全員が黙ってしまった。
わたしは
(当ったんだから、さっさと点棒をよこしなさいよ、課長さんよ)
と思った。
でも場には何ともいえない空気が漂ったままだ。
どことなくうろたえる係長は課長になんと言っていいのかわからないのか、沈黙しながら点棒を数えている。
彼は帰り支度を始めた。
(仕方ねえでしょ、課長が自分で振りこんだんだから。俺が課長の手をねじ曲げて無理やり振り込ませたわけじゃねえし、銀行の縦の関係はどうでもいい。役満を捨ててたまるかよ)
ものすごく時間の流れが遅くなった気がした。
まずかったかなと思ったが、役満を逃がさなきゃならない義理はない。
これが勝負事だよ、おとっつあん、てなもんだ。
振り込んだ課長は
「いやあ、まいった、まいった」
なんて笑いながら点棒をくれたけど、目は笑ってない、ように感じた。
結局課長は役満一発で一番深く沈没してしまった。
その程度の安い麻雀だったということでもあるけど。
わたしの役満魚雷を食らって、それまで日々の積み立てのようにシコシコと貯めていたわずかな積み立て金を撃沈されたどころか財布まで開くはめになった。
(オラ、し~らね)
雀荘を出る空気の重たかったこと、今でもたまに思い出す、ときがある。
彼らとはその場で別れ、三人はネオンの町に消えていった。
あの晩、あれから彼はどうなったのか、どうにかなったのだろう。
まあいいやね、人生思い通りにはいかないもんよ。
その後彼から職場の麻雀の誘いは二度と無かった。
あれから何度か彼の家で麻雀をやったが、互いにあの夜のことはいわなかった。
言ったってしようがないし、聞いたってしようがない。
その後わたしは引っ越しもし、仕事も変わり、その銀行ともまったく縁がなくなった。
彼とも会う機会もなくなり、通帳はとっくに解約した。
わたしはいつの間にか麻雀をやめた。
たまに声もかかるが、みな断わっている。
もう長く牌を手にしていない。
最近はユーチューブで何かの拍子で麻雀の投稿が出るときがある。
一二度見たが個人的には大して面白くもない。
飛ばしていたら自然と麻雀の動画は流れなくなった。
銀行はすでに淘汰の時代に入っている。
中国資本など外資の草刈り場ともいわれる。
すでに相当数の銀行が蓋を開ければ悲惨な状況だろう。
銀行も客もおのれの経験と直観で生き抜いていかなきゃならない時代に我々は生きている。
直観で生きる時代 妻高 あきひと @kuromame2010
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