大げさな証拠

てこ/ひかり

問題にして解決編

「なんだ。また来てたのか」


 頭上から声が降って来て、郁人いくとは顔を上げた。見ると、教楽来きょうらぎだった。

 教楽来雅也きょうらぎまさや

 刑事である郁人の、幼馴染である。昔から変わらない。昔から細身で、背の高いひょろっとした男だった。


 教楽来は、帰って来るなり、郁人が睨んでいた分厚い資料の束をひょいと指先で摘み上げた。


「あ! 返せ!」

「なになに……また殺人事件か。都会の方は大変だなァ」

「勝手に資料を見るなよ!」

「勝手に資料を広げとく方が悪い」


 教楽来は意に介さず、涼しげに笑った。


「また僕に解いて欲しくて、此処に来たんだろう?」


 郁人は険しい顔をして黙った。実際、その通りだったのだ。それが密かな狙いだった。以前にも、警察が手に負えなかった複雑怪奇な事件を、この幼馴染の安楽椅子探偵は、この場所にいながら何度か解いて見せたことがある。


 この、瀬戸内海に浮かぶ、小さな無人島にいながら。


 教楽来雅也。

 郁人と同じ警察学校を卒業した後。彼が何故、仕事を辞め無人島で一人暮らしているのか、それこそ奇妙奇天烈な……運命の巡り合わせとでも言うべき怪事件があったのだが、ここではその話は割愛させていただく。要するに、教楽来の所有するこの島を訪れるのは、郁人か、もしくは遭難者くらいのものであり、どちらにせよ、かなり事件性が高いと言うことだ。


 つまり教楽来にとって、郁人の来訪は、決して嬉しいことばかりではなかった。


「キミがやって来ると、大体人が死んでるんだよナァ」

 教楽来はクックッと笑った。

「キミ、死神か何かだろう?」

「縁起でもない言い方するな。こっちは警察官それが仕事なんだよ!」

 教楽来は、郁人が頭を叩くのをひょいと避けながら、

「今回はなんだ? なになに? 『被害者は管理人の兄・タカギヨシヒコ46歳……』」

「…………」


 事件のあらましを読み始めた。海釣りにでも行っていたのだろうか。長い釣竿や、様々な道具類を壁にかけると、教楽来は大きく伸びをした。


 郁人は視線を逸らした。

 風は暖かだが、荒れ模様の波が、窓の向こうでうねりを上げている。白い砂浜で、野良猫がのっそりと歩いているのが見えた。海岸沿いに建てられた掘っ建て小屋……教楽来の家だ。彼はその粗末な小屋のことを『豪邸』と呼ぶが……の中で、郁人は教楽来が事件概要を読み上げるのを、黙って聞いていた。本来ならば規則違反だが、郁人は度々、事件が行き詰まると幼馴染の教楽来の元を訪れ、意見を募っていた。


「『被害者は14日未明、家の敷地内にある離れで一人倒れているところを発見された。

 

 死因は失血死。正面から、胸を一突き、凶器の包丁は刺さったままだった。

 

 離れの周りには足跡が残されており、足跡は外の塀から続いていた。

 窓ガラスは外から割られており、部屋の中では争った跡と、金品がいくつか無くなっているのも確認された。警察は外部の者の犯行と見て……』」


 海鳥が鳴いた。〇〇区で起きたとある殺人事件。それが今回の事件だった。


 当初は物取りの犯行と見られていたが、警察の地道な捜査も虚しく、犯人は一向に捕まらなかった。


「下手に証拠があったのも不味かったんだよ」

 郁人が頭を掻いた。


「堂々と足跡が残されてたからさ。こりゃ犯人が捕まるのも早いな、と思ったもん。靴の型番も分かってる。販売経路も抑えた。だけど肝心の犯人が上がらない」

 教楽来は頷いた。

「そこで警察は身内の犯行を疑った訳だ。『容疑者は3人……』」


 一人目は、被害者の弟・タカギキョウジ(45)。

 二人目は、被害者の母・タカギハルコ(77)。

 そして三人目は、その義父のタカギケイスケ(80)であった。


「だけど問題があってな……」

「問題?」

「その一家には、どう考えても殺人は難しそうなんだ」

「どう言うことだ?」

 教楽来が分厚い資料から顔を上げた。郁人が肩をすくめた。


「簡単なことだ。容疑者は全員、歳で体が弱っていたんだ。弟のキョウジは生まれつき足が動かず、車椅子で暮らしていて……」


 母のハルコは耳が遠く、もう何年も奥の間で寝たきり生活だった。

 義父のケイスケは歩けたが、目が見えなかった。


「……家族の中で、唯一自由に動けたのは、殺された被害者のみだったんだ。皮肉なことにな」

「なるほどな」


 教楽来が頷いた。郁人は俯き加減に幼馴染をじっと見た。さあ安楽椅子探偵。解けるものなら解いてみろ。そう言わんばかりの表情だったが、教楽来は相変わらず飄々としたまま、


「ところで郁人、今夜はどうするんだ?」

 まるで世間話でもするかのように穏やかな表情をしていた。

「立派なクロダイが釣れたんだよ。泊まって行くなら、泡盛を開けるけど……」

「いや……帰るよ」

 郁人は頭を振った。……期待しすぎたか。どうやら、だったようだ。

「悪いけど。事件が解決するまでは、それどころじゃない」

「そうか」


 教楽来が立ち上がり、郁人の肩を叩いた。


「じゃあ、事件が解決したら?」

「え?」


 郁人は思わず顔を上げた。

 教楽来は、こんなことはなんでもない、と言った具合に肩をすくめた。


「犯人は弟さ」

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