幼馴染は斧を研ぐ

酒井カサ

第『血』話 決戦前夜

 ――俺は幼馴染のことが好きだ。


 ゆえに彼女の一挙手一投足に全肯定的、あるいは盲目的なんだが、呪詛を口から漏らしながら、一心不乱に斧を研いでいく幼馴染の姿は容認しかねる。

 ……というか、ドン引きだ。艶やかだった黒髪は枝毛だらけで見るも無残な状態に。ハリのあった頬はげっそりと肉が落ち、目元には血が滴った跡がくっきりと残っていた。

 ああ、見てるこっちが痛ましい。せめて血涙の後だけでも拭ってあげたいのだけど。ベロベロと舐めてあげたい。ま、そんなことしたら絶交まったなしだから、決して実行には移せないが。


「しっかし、鏡でも見て自分の愚かさに気づいて欲しいものだっての。イマドキ、斧を片手にカチコミだなんて流行らねーって」

「……『復讐に理由なんて要らない。スッキリするためにやるんだ』。そう教えてくれたのは、君だったよね。だから、待っていて」

「いやいや、雑談を真に受けるなって。そんなの、面接官が『御社が第一志望です』って言葉を鵜吞みにするようなもんだぜ。もすこしちゃんと考えねーのか」


 そもそも、やられた人間が復讐を望んでいるのか、怪しいもんだぜ。

 苦しくって、悲しくって、今後の人生が不条理に満ちあふれていて。

 決して、日常へ帰還できなくっても、生きるってのは意味があるんじゃねーの。

 ま、四半世紀つづく神話的アニメの受け売りだけどさ。

 ……なんて、言って聞く奴だったら、俺が惚れねーんだよなぁ。


「まあ、復讐についてはひとまず置いておくとして、なんで斧なんだよ。武器っていったって、いろいろ種類があるだろ?」

「……この斧。『アイツ』が現場に置いていったもの。これでアイツの頭をかち割ったらどれほど気持ちがいいのでしょう。だから、私はこの半年間で斧投げを極めたのよ。見てて、当ててみせるから」


 そう言って、彼女は自室上方に向けて、斧を放った。斧は放物線を描きながら、鋭い速度で飛んでいき、エアコンに突き刺さった。クローンヒットだったらしく、エアコンは異音を放ち、黒い煙を上げた。


「ひぇー、幼馴染が暴力系ヒロインになっていた件について」

「……あは、ははははははははは。見て、見て、見てた? ヒューって飛んでズバっと刺さったよ。これをね、アイツに向けてぶっ放すだけ。脳漿を炸裂させるだけ。簡単でしょ、簡単なの。君があっけなく死んじゃったみたいに。私を遺してどこかへいっちゃったみたいに。だから、アイツにもあっけない幕切れを用意しなきゃ。……それでね、もしアイツをぶっ殺せたなら、私も君のもとにいくからさ。今から、そっちの美味しいお店を探しておいてよ。それで結局できなかった卒業旅行をやりなおそ? 高校からの卒業も人生からの卒業も、大差ないでしょ。だから、楽しみにしててね」


 彼女は一息で言いきって、その場に倒れ込んだ。

 俺と彼女を取り巻く事情について、改めて説明が必要とは思えないが。

 物事はハッキリさせないと気が済まない性質なので、補足しておく。

 俺は故人だ。死因は脳をかち割られたことによるショック症状、らしい。

 実行犯はいまだに捕まっていない。だけど、実際に殺された俺と、俺の死に目を看取った彼女は犯人が部活の後輩であることを知っている。

 いまこうして、彼女の部屋に浮いているのは、俗にいう霊体ってわけ。

 それで俺としては愛しの彼女を復讐鬼にしたくない。

 そして、部活の後輩は人間じゃないので、彼女じゃかなわない。

 冒涜的な触手をうごめかす四足歩行の獣を人間とは認めがたいだろ?

 ゆえに復讐を諦めてほしいのだけど。俺はひとりごちる。


「あ~あ、ままならないもんだぜ。彼女がなにも残せずに死んでいくとわかっているのに、できることはなにもないのだから。人知を超越した存在によってもたらされた死なんて、災害と大差ないのに。愛しの彼女がしようとしているのは、風車に挑むようなことなんだけど。しっかし、万一復讐を遂げてくれるなら、それほど喜ばしいことはないわけだし。ま、とりあえず地獄にだってある美味しいお店、予約しておこうかな」


 そんな決戦前夜。

 あるいはより良く負けるためのアディショナルタイム。

 斧を研ぐ音にささやかな幸せを見出したのは、墓場の先に持っていこうと思う。

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