県立合馬ヶ原高等学校の怪事件
宵野暁未 Akimi Shouno
県立合馬ヶ原高等学校の怪事件
「私、本当にやってませんから!」
職員室の出入り口から泣きながら飛び出してきたのは、2年1組の女生徒だった。確か、名前は渡辺 亜子。声を掛ける暇もなく、女生徒は走り去った。
「A先生、彼女、追わなくて良いんですか?」
「いいんだよ。カンニングの疑いがあるんだが、頑として認めないんだ」
「疑いだけで追い詰めて泣かせるのって、どうかと思いますけど」
「追い詰めてないし、あれ噓泣きだから大丈夫。僕は1年の時から彼女の担任してるからね。1年前からカンニングしてるのは確実で、監督の先生には彼女の近くに立って気を付けてくれるよう頼んでいるんだけど、方法が分からなくてね」
「本当にカンニングなんですか?」
「それは間違いない」
A教諭は断言した。
「ほんとミステリーよね。それぞれの科目のクラス1番の生徒と間違いまで全く同じの答案だから」
横合いから口を挟んだのは、隣の席で2年1組の副担任のB教諭だった。
「それより、無常先生、毎日点滴に通ってるんだって? 入院しなくて大丈夫なの?」
「点滴で楽になったし大丈夫ですよ。気管支炎で入院を勧められたんですけど、テスト問題作成や採点で無理だし、それなら毎日点滴に通えって」
「とうとう無常さんもジンクス通りになったか。これで例外は一人も無しだな」
「ジンクスってなんですか?」
慧理が尋ねると、A教諭は神妙な顔で声を少し落とした。
「実はね、うちの学校に赴任すると必ず1年以内に病気か怪我で入院するというジンクスがあってね。
「えっ、本当ですか!」
「うちの学校って古墳の上に建っていて、建設時にはまず発掘調査があったんだよ。それに、戦国時代の古戦場だったという記録もあって、出るって話だよ。非常勤講師のC先生は見たって言うし、教職員住宅もD先生ん所はラップ音が凄いんだって」
「じゃあ、やはり見間違いでは無かった……」
D教諭は教職員住宅1号棟の住人で、慧理は2号棟なのだった。
「もしかして、無常先生も見たの?」
慧理は頷く。
「見える霊と見えない霊が居るんですけど」
「見えない霊って。なぜ見えないのに分かるの?」
「感じるんですよ、そこに居るって。教職員住宅のうちの玄関に見えない霊が居て、浴室の壁の向こうにも居ると感じるんです。庭で見た霊は怖い気はしなかったけれど、見えない霊はゾクゾク感じて怖いです」
「ちょっと、怖いからやめてよ。私、ホラーとか苦手なんだから」
B教諭が言った。
「無常先生も見たのね」
そう声を掛けてきたのはE教諭だった。E教諭は、教職員住宅の慧理の部屋の隣の住人だ。
「怖がらせると悪いと思って言わなかったんだけど、実は居るのよ、うちの浴室に落ち武者の霊」
教職員住宅は左右対称の作りになっていて、例えば浴室同士、玄関同士が隣り合っている。なので、慧理の部屋の浴室の隣は同じく浴室。E教諭は、慧理が壁の向こうに居ると感じたまさにその場所に霊が居ると語ったのだ。
「水回りって出やすいらしいしね」
「E先生、よく平気ですね」
「平気じゃないからお風呂は銭湯に行ってるし、体調不良も続いてる。でも、幽霊なんて誰も信じないしね。引っ越しも考えはしたけれど」
引っ越しが出来ない理由は、中山間地域で賃貸住宅の数が圧倒的に足りていないからだった。隣の市に住むという手もあるが、交通の便が悪いので片道1時間以上も車を運転しなければならなくなる。
無常慧理は県の教員採用試験に合格し、この3月末に赴任校を知らせる辞令を受け取って、アパートを捜す暇もなく慌ただしく教職員住宅へ引っ越し、数か月が経過していた。
慧理は赴任直後から体調を崩した。倦怠感、頭痛、咳、そして発熱。しかし試験問題作成や採点などの業務を考え、医師に勧められた入院は断って毎日通院して点滴を受けることになったのだった。
「そんな幽霊が居るような部屋じゃあ、体調も良くならないんじゃないの?」
B教諭の心配は尤もだ。
「大丈夫ですよ。D先生ところはご家族もみんな元気そうだし、玄関の霊は盛り塩していたら最近は感じなくなったんです。それに、ほら」
慧理は、襟元から水晶のネックレスを引き出して見せた。
「両親が旅行で富士山に行った時に、お土産に買ってきてくれたんです。水晶にはパワーがあるって言うから、きっと守ってくれます。それに……」
慧理は、言いかけてやめた。必要以上に霊的な話をすべきではない。心のうちに秘めておくべき事もある。慧理は話題を変えた。
「私、まだテスト問題作成も採点も慣れていないから、体調不良なんて言ってられないし。生徒達、ちゃんとテスト勉強してますかね」
テスト期間中は、生徒達は午前中のテストが終わったら部活も中止で帰宅する。自宅で真面目にテスト勉強する生徒が大半だとは思われるが、そうではない生徒が居るのも確かだ。
「テスト期間中に問題行動とか、絶対に無しでお願いしたいよね」
「それにしても、渡辺 亜子のミステリーも何とかしなければ。監督の先生には厳重に警戒してもらって。無常先生も2年1組のテスト監督の時はお願いね」
「分かりました。いつも以上に気を付けてみます。じゃあ私はこれで。病院に行ってくるので」
慧理は、教科書や答案用紙でパンパンに膨れたカバンを持ち、職員室を出た。
病院での点滴を終え、教職員住宅に帰宅した慧理は、玄関の扉をゆっくりと開けた。数日前まであった気配は消えていて、慧理は安堵する。
教職員住宅で最初に見た霊は、庭から空を眺めた瞬間だった。白い着物を着た女性が目の前を通り過ぎた。恐怖は感じなかった。
けれど、玄関の階段前に感じたのは恐怖だった。目には見えなかったが、そこに居ることは分かった。
そして、仕事を終えて帰宅し、夜も更けてから風呂を沸かし、入浴しようとして感じたのは、壁の向こうの隣の住宅に居る霊の気配。
恐ろしかったが、堪えながら入浴した。気のせいに違いないと考えたのだ。壁の向こうに居るモノを感じられる筈が無いと。それが、まさか本当に壁の向こうに居たなんて、今日の職員室での話が、まだ信じられない気がした。
いや違う。やはりそうだったか、という気持ちの方が強い。
翌日、慧理は3時間目に2年1組のテスト監督に割り当てられていた。
テスト開始10分前に問題用紙の封筒を取りに行き、そのまま2年1組の教室に行く。生徒達は教室には教科書類を持ち込めない為、廊下に立ったまま教科書やノートを見直したり、互いに問題を出し合ったりしている。
テスト監督の慧理の姿を見て、すぐに教室の席に戻る生徒も居るが、チャイムが鳴るまで最後の足掻きをやめない生徒も居る。
それが起こったのは、問題用紙を配布し、テストが始まって間もなくしてだった。
テスト時の席順は出席番号順なので、渡辺 亜子の席は一番後ろの角だった。慧理は、渡辺 亜子の真後ろではなく、教室の後ろの出入り口の近くに立ち、様子を窺っていた。渡辺 亜子だけではなくクラス全体にも注意を向けなければならないから、全神経を集中させる必要がある。
渡辺 亜子の背後に黒い影が現れ、やがて彼女が尋常な姿ではなくなったのを、周囲の生徒達は気づいてはいないようだった。
しかし、慧理には見えている。
そうか、これがカンニングの正体だったのか。
1組は普通科特進クラス。渡辺 亜子は普通科全体では成績の良い方だったが、特進クラスの中では下位だった。日頃の亜子が素直な優等生であるだけに、心の中に抱えたものは大きいのかもしれない。僅かな心の隙は闇に絡めとられるきっかけとなりやすい。
渡辺 亜子に憑いたモノは、慧理に見えていることに気付いたらしく、敵意を向けてきた。それは己を守ろうとする故か負のエネルギーを急激に膨張させ、周囲の生徒達にも異変が及び始めた。真剣にテスト問題に取り組んでいた数人が、落ち着かない様子で周辺を気にしたり、更には青い顔で息苦しそうにしている生徒もいる。
(いけない。何とかしなければ)
しかし、無常 慧理は祓い屋でも拝み屋でも無い。確かな知識も無しに霊と対峙するのは危険だ。
慧理は、首に書けた水晶のネックレスの存在を確かめるように、服の上から押さえた。
〈何をする気だ。お前には力があるとでも言うのか〉
それは思念の類なのかもしれない。どす黒く
生徒達の数人が悲鳴を上げる。見えている生徒も居るのだ。
〈自分はこの生徒を手助けしているだけだ。何が悪い〉
(違う。あなたは、その子を闇に落としたいだけよ)
慧理には、悪霊と重なって渡辺 亜子の苦しむ姿も見えているが、ただの一教師に過ぎない慧理に出来る事は、生徒を守る事だけだ。
渡辺 亜子に近付くと、正面から彼女を抱きしめ、不動明王の真言を必死で唱えた。
(渡辺 亜子さん、大丈夫、自分を信じて。私はあなたを信じるから。そして、亜子さんに憑いたモノよ、どうか出て行って。あなたの居るべき場所に帰って下さい)
服の中に隠されていたはずの水晶のネックレスが飛び出し、眩しい光を放った。
ぐぎゃあああああああああー!
それは渡辺 亜子に憑依した霊悪の目を射て、悪霊は消えた。渡辺 亜子は正常に戻り、教室は元の静けさを取り戻した。
後日。
「ところで、七不思議って言うからには、他にも6つあるんですか?」
「1つは屋上扉の鍵の話ね。屋上から投身自殺をした生徒が居て、屋上への出入りが禁止されて施錠してあるらしいんだけど、なぜか土曜日の放課後に……」
「ストップ! 怖い話はもうそこまでよ」
無常慧理は、県立合馬ヶ原高等学校に3年間勤務した後に転勤となった。不思議な事に、あれほど悩まされた金縛りや霊にまつわる体験は、次の赴任地に住むようになった途端に無くなった。
県立合馬ヶ原高等学校の怪事件 宵野暁未 Akimi Shouno @natuha
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