名探偵は安楽椅子から離れない

柊 撫子

依頼

 蒸気煙るロンドンの街。そこからやや外れた地域にも名探偵はいた。

エドワード・バーンズ。平均的な顔立ちに体型、研ぎ澄まされた頭脳以外に誇るものも特にない裕福な家庭の次男坊である。

 そんなエドワードの自宅に来客者があった。残念ながら茶飲み仲間ではなく、加えてただならぬ気迫を携えての登場だ。

慌ただしい足音が止んだかと思えば、ノックも無しに扉が勢いよく開かれた。

そこには着古されたオーバーオールに煤けたブラウス、萎びた茶色の帽子といった風貌の男が立っており。荒い息を整えながら安楽椅子に腰掛けたままのエドワードにこう言った。

「あ、あなたがエドワードさんですか?」

「いかにも。あなたが不躾に扉をお開けになった部屋、並びにこの家の家主です」

そう指摘され、オーバーオールの男は委縮した様子で慌てて部屋に入り扉を閉める。

 オーバーオールの男は部屋の入口で改まった口調でこう言い直した。

「えぇと、はじめまして。自分はパトリック・デニスと言います。普段は隣町で技師をしていて……」

と語り始めたところ、エドワードが遮った。

「失礼、そろそろ二時のお茶の時間なので入り口を開けてくださいませんか。そして多く語られるようなのでご一緒にお茶でもいかがでしょう?」

「あぁ、はい。ご一緒します」

そう言ってパトリックはエドワードの向かいにある深い椅子に浅く腰掛けた。

 程なくして、部屋の扉がノックされた後に扉が開かれた。初老の女性が扉を開き、その後に妙齢の女性が温かいポットとティーカップ等を抱えて続いた。

妙齢の女性がエドワードたちのすぐ近くにあるテーブルまで運んでいる間、初老の女性がエドワードにこう告げる。

「本日のお紅茶はアッサムです。急なご来客が見えましたので、お茶請けにはスコーンと木苺のジャムをご用意致しました」

「丁寧な説明ありがとう、ミス・ブラウン。ミセス・クレンテスもありがとう」

エドワードの返答に会釈し、ミス・ブラウンとミセス・クレンテスは退室した。

 侍女たちが退室したのと同時にエドワードはティーカップにそれぞれ紅茶を淹れ、先に淹れた方をパトリックの前に差し出した。

「どうぞ」

「……どうも」

どこか居心地悪そうなパトリックは紅茶に砂糖を少しとミルクを多めに入れている。その一方でエドワードは紅茶に砂糖を多めに入れ、彼がカップに口を付けた瞬間に部屋の振り子時計が鳴った。

突然鳴った低い音にやや驚いている様子のパトリックに対し、リラックスした様子のエドワードがこう話しを切り出す。

「さて、ミスター・デニス。紅茶は飲み慣れているご様子ですが、私のお茶の時間を聞きつけてきたのではないのでしょう。一体何の御用ですか?」

それを聞き、パトリックの顔が少し陰った。

「えぇ。単刀直入に言いますと、自分の妹が行方不明になってしまいまして……ぜひエドワードさんに見つけていただきたいなと―――」

「ほう、妹さんですか」

興味深そうにティーカップを置くエドワードにパトリックは話を続ける。

「はい。お互いの仕事の都合上、こっちの街に住んでいた妹で……レイチェル・デニスと言います」

「なるほど……それで、妹さんの足掛かりとなりそうなものはお持ちですか?」

そう言ったエドワードに対し、パトリックは懐から手紙を一枚取り出した。

 手紙にはレイチェルの些細な日常やその日の仕事での出来事などが丁寧に書き記されており、その内容からエドワード宅の近所にある中流階級の屋敷で侍女をしていた事まで判明している。そして、手紙の最後には『愛してる』と書かれていた。

手紙を受け取り読み始めたエドワードをそのままにパトリックは話し続ける。

「その手紙は毎週欠かさずに送られてきていたものでして、それが先週からパッタリを止まったので様子を見に来たら……家にレイチェルはいませんでした」

暗い面持ちで紅茶をゆっくりとティースプーンでかき混ぜる。その様子を見たエドワードはこう提案する。


「失礼ですが、警察に相談されては?」


エドワードに極めて冷静な指摘をされ、あまりに真っ直ぐな言葉にパトリックは目を丸くした。英国人でなければティーカップを落としていた事だろう。

「いえ、私を頼って来てくださったからには理由があるのでしょうが……。しかし、そういった人探しは警察の方がよろしいのではないでしょうか」

そう言って紅茶を一口。これに対してパトリックは否定的に答えた。

「それは……そうなんですが、警察も当てにならないと同僚に言われまして。エドワードさんなら請け負ってくれるだろうと……」

「その部分には同意しますが。まぁ、それは良しとしましょう」

「では、レイチェルを探してくれるのですか!?」

と、声を大きくするパトリック。しかし、エドワードの返答は肯定的ではなかった。

「それはまだ保留です。まずはお茶を楽しみませんか?せっかく二人が作ってくださったスコーンも冷めてしまいます」

そう言ってエドワードはパトリックの方へスコーンの入った皿を少し押した。皿の上にバランス良く乗った六つのスコーンは微動だにせず、そこからパトリックが一番手前にあったスコーンを手に取る。

パトリックはまずスコーンを横半分に割り、間にジャムを塗って挟めてからちぎって食べた。その一方でエドワードは横半分に割った後に下半分を小皿に置き、上半分にジャムを多めに乗せて食べ始める。

暫くの沈黙が続き、先に口を開いたのはエドワードだった。

「それでは依頼を受けるにあたり、いくつか質問させていただきます。返答は『はい』なら頭を縦に、『いいえ』なら頭を横に振っていただくだけでよろしいです」

そう言われ、まだスコーンが口に残っていたパトリックは頭を縦に振る。

「よろしい。では最初の質問です」

エドワードはティーカップを手に持ちこう訊ねた。

「ミセス・デニスは愛情表現が強い方ですか?」

パトリックは頭を横に振る。

「では次に、ミセス・デニスは誰かと住んでいましたか?」

またしてもパトリックは頭を横に振る。

「それでは最後に。ミセス・デニスはあなたを愛していましたか?」

これにはパトリックも少し考え、暫く溜めた後に頭を横に振った。

それからエドワードは紅茶をぐびっと二口飲んだ後、何やら納得した様子でこう呟く。

「なるほどなるほど。解りましたよ」

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