ニジンクが食べたい
橋本洋一
ニジンクが食べたい
「また変なのネットで買っているの? おかしくない?」
「おかしくないよ。これ美味しいんだからさ」
信司は恋人の美雪に言われながらも『ニジンク』を食べることをやめなかった。
ジューシーかつフルーティーな味わいだが、見た目はかなり悪い。真っ赤に染まっていて、一応焼いてはいるものの、どこか生臭い臭いがした。
「どこのネットで買ったの? 怪しげなサイトじゃないよね?」
「普通だよ。そんなに気にするなって」
「だって……私の手料理、ほとんど食べてくれなかったじゃない」
美雪は料理が得意で、目の前にはトンカツやらハンバーグやらがあるが、信司は少し手をつけただけで、自分で焼いたニジンクを食べていた。量はそれほどあるわけではない。むしろ少なかった。
「このニジンクは栄養素がばっちりで、野菜も魚も摂らなくていいんだ」
「はあ!? まさかそれだけで生活しているの?」
「この味を知ってしまったら、そうなっちゃうねえ」
「身体に悪いと思うけど……」
「大丈夫だって。美雪も食べてみる?」
一口大に切り分けたそれをフォークで差し出すが、美雪は「いらない」と断固拒否する。
「残った料理も食べなくちゃいけないし」
「そうか。ならこれは全部食べるよ」
「それより、結婚のこと、考えてくれているの?」
「もちろんさ。仕事が一段落ついたら……結婚しようよ。お前の両親にも挨拶に行くし」
安心した顔になった美雪。
フォークのニジンクは、信司が食べた。
◆◇◆◇
ニジンクの魅力に取り付かれた信司はネットで大量注文して、それだけを食べる生活を始めた。茹でても焼いても蒸しても美味しいニジンクに飽きることはなかった。
電子レンジで温めるだけでも美味しいと分かった信司は時間のないときはもっぱらそうやって調理するようになった。
そうしたある日、取引先との接待のときに、彼は自分の異常に気づいた。
目の前に置かれている刺身に魅力を感じない。
生臭い臭い、てかてかした表面、赤や白の色合い。全てに食欲を無くした。
取引先には「食欲がない」と素直に伝えて――先方は不思議に思った――なんとかその場を切り抜けた。そして家に戻るや否や、ニジンクをレンジを温めて貪った。
「そういえば、残り少なかったな……」
信司はネットを開き、注文サイトにアクセスした――
「な、なんだよ!? なんで無くなっているんだよ!?」
いつの間にか、サイトにはニジンクが無くなっていた。
信司はどうすればいいのか、まったく分からなかった。
◆◇◆◇
なんとか食いつないでいたが、ニジンクが無くなってしまった。
信司にはもう、何も食うものが無くなっていた。
別の食品を食べようとしても、すぐに吐いてしまう。
舌が受け付けなかった。胃も受け付けなかった。
「こ、このまま死ぬのか、俺……」
そう覚悟を決めたとき、ピンポンと家のチャイムが鳴った。
出る気力がない――がちゃと鍵を開ける音。
「信司……! どうしたのよ!」
「み、美雪……」
美雪はがりがりにやせ細った信司を見るなり「何か作るから!」と急いで料理仕度を始めた。
信司は「もういいんだ」と呟いた。
「ニジンク以外、もう何も食べられないんだ」
「そんなこと言わないで! 諦めないでよ!」
そのとき、美雪から『ニジンクと同じ臭い』がした。
何日も食べてきた信司だから分かることだった。
空腹で何も考えられなかったけど。
信司は必死で料理している美雪の背後に近づき。
傍にあった包丁を手に取って。
大きく振り被った――
ニジンクが食べたい 橋本洋一 @hashimotoyoichi
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