スイートスーサイド
さとね
コーヒーに砂糖はいらない
「ねえ、君、自殺しようとしてるでしょ」
開口一番、そんな問いが飛んできた。
地面を見つめながら歩いていた諒は、その言葉に引っ張れるように背筋を伸ばし、振り返る。
重たい前髪の隙間から見えたのは、赤いリボンが目立つ高校生の少女だった。
「な、なに、言ってるの」
ぎこちなく言葉を紡ぐ諒に、少女はグイッと顔を近づける。
「私、なんとなくだけど分かるのよ。死の匂いってやつ」
「え、俺から……その匂いが?」
「そうよ。誰かを殺すような人には見えないし、それなら自殺かなって」
言われて、諒はぎゅっと持っていたカバンの紐を握りしめた。
「ふふーん。ちょっとそれ、見せてもらうわよ」
「え、あっ、ちょっと……!」
諒から奪ったカバンを漁る少女は、その中から一つの封筒を取り出す。
その封筒には「遺書」の二文字。
「――ビンゴ」
封筒をぐしゃりと握った少女は、反対の手で諒の手を握る。
抵抗をする余地もなく引っ張られた諒は、そのまま少女に連れられて街を進む。
「ど、どこに」
「あなたを救うための場所に」
連れてこられたのは、変哲のないカフェだった。
戸惑った表情のまま、諒は既に一人の女の子が腰かけているテーブルへと引っ張られる。
「やっぱりあなたの勘は最高ね、渚」
「ほら、私の直観は当たるって言ったでしょ、朱音」
赤いリボンをつけた朱音と呼ばれた少女は、にやりと笑う。
「さすが弓道部。図星を射抜くね」
「それ、別に上手いこと言えてないから」
凛と引き締まった表情と高めで結ばれたポニーテールが印象的な女の子。
その子に、諒は見覚えがあった。
「天音渚……さん?」
「あら、知り合い?」
「クラスが同じなのよ。今日見かけたのは偶然だったけど」
目を丸くしていた朱音をよそに、渚はブラックのコーヒーを啜る。
諒と目が合った渚は、コーヒーカップを握ったまま、
「とりあえず座りなさい、三枝諒くん」
言葉の圧力に負けて、諒は椅子に腰を下ろす。
遅れて席に座った朱音は、冷めてしまったカフェラテを口へ運ぶ。
「今日はよかったわ。あなたを止められなかったら寝覚めが悪かったもの」
「朱音。説明してあげなさい。戸惑ってる」
「ああ、そうね! 急に女子高生にカフェに連れ込まれたらびっくりよね!」
「……ちょっと違うけど、まあいっか」
諒の分の飲み物を勝手に注文した朱音は、シワだらけになった封筒を取り出した。
「端的に言うと、あなたを止めようとしているの」
「ど、どうして」
「これから自殺しようとしてる子をスルーなんてするわけないじゃない。あ、ちなみに最初に気づいたのは渚だから、お礼言っておきなさい」
「そうじゃなくて」
「……死の匂いってやつよ」
落ち着いた様子で、渚が答えた。
諒と全く面識のない朱音が彼の自殺を見抜いたのは、その匂いらしい。
「『死の瘴気』に当てられた人間が身近で死んだ人は、その匂いが分かるようになるの。まあ、私はなんとなくしか分からないんだけどね」
「私は視認もできるわ。意外と鮮やかで綺麗な色をしているのよ、死って」
二人でカフェにいるときに、渚が諒の匂いにわずかに反応し、死の匂いを見た朱音が店を飛び出したらしい。
しかし、諒の表情は曇ったまま。
「なんで、止めるの」
「そりゃあ、死なせたくないからよ」
「俺のこと、何もしらないくせに」
「あなたのことは知らないわ。でも、止める理由はある」
朱音はぐっと身を乗り出して諒に詰め寄る。
諒の鼻を、甘い匂いがくすぐる。
「あなた、なんで自殺しようとしてるの」
「……それは」
諒は言葉を探す。
過去を、環境を、人間関係を、全てを振り返って。
「……あれ」
それでも、言葉が見つからなかった。
「なんで、死にたかったんだっけ」
「そりゃあもちろん、『死の瘴気』のせいよ」
朱音はカフェラテにさらに角砂糖を入れてかき混ぜ始めた。
「理由のない死ってやつは、そこら中に存在するのよ。昨日まで温厚だった人が突然人を殺したり、ついさっきまで明るかった人が飛び降りようとしたり、過去に何もない君が遺書まで書いちゃったり」
「不可解な死が関わるところには、大抵『死の瘴気』があるのよ」
「それが、俺にも……?」
諒は左の胸ポッケから小さなお守りを取り出して握りしめた。
「それは?」
「昔の友達からもらった」
「……それかもしれないわね」
朱音はどっしりと椅子に体重を預けた。
「『死の瘴気』に当てられた人間が強い想いを込めていた物には、『死の瘴気』が宿る。それでまた『死の瘴気』が伝播する可能性がある」
「そんな」
「でも、逆にメリットもある」
朱音は頭に付けた赤いリボンをとんとんと叩いた。
「それがきっかけで、死の匂いに敏感になる」
赤いリボンは、自殺をした朱音の友人のものらしい。
「もう、あの子みたいな死に方をする人なんて見たくない」
そう呟く朱音の目の奥には、強い光のようなものがあった。
「君は、大丈夫なの」
「確かに、リボンを付けたら瘴気に当てられる可能性があるわ。でも、そのときは渚が止めてくれる」
そういえば、渚は死の匂いが分かるらしいが、特別何かを身に付けている様子はない。
コーヒーを啜りながら、渚は一言。
「私の実家、寺だから」
「そ、それだけ……?」
「……文句ある?」
「いや……」
諒が俯くと、朱音が笑い始める。
「ごめんね。この子、不器用だから」
「うるさい。刺すわよ」
「あの、渚? 急に取り出したその矢、ちゃんとしたやじり付いてない?」
「うちの特製破魔矢。めっちゃ効く」
「間違いなく人体にも普通に効くから勘弁してね???」
逃げるように席を立った朱音は、諒の手を再び掴む。
「ほら、行くよ」
「え、どこに」
「あなたの学校」
やってきたのは、諒と渚が通う高校の屋上。
渚が別行動でいろいろやってくれているらしく、違う学校に通っている朱音もすんなりと学校に入ってきた。
特別都会というわけでもないので、学校の屋上からは辺りが一望できる。
「ん~~っ! 気持ちいい!」
朱音は大きく背伸びをした。
その後ろでは、未だに戸惑いの表情を浮かべる諒が立つ。
「おいで」
朱音はそっと手を差し出した。
この手に触れるのは今日で三度目。
滑らかで、どこか蠱惑的な空気をまとうその手に釣られて、諒は朱音の隣に立つ。
屋上の縁に二人で立つ。
わずかに風に揺られるだけでもバランスを崩しそうになった。
「ほら、怖いよね。死ぬって」
よろける諒を、朱音はぐっと引き寄せる。
また、甘い匂いがした。
「でも、怖がる必要なんてない。私が助けてあげる」
諒の体をぎゅっと抱きしめて。
朱音は音も立てずに、屋上から飛び降りた。
「――あはっ」
蕩けた朱音の笑みが、諒の視界を埋めた。
理解を超えた速度で、二人の体が落下していく。
「一緒に死んであげるよ。だから、怖くないね」
笑顔。魅惑的な、笑顔。
だが、諒の表情に戸惑いはなかった。
「やっぱり、死って甘いよね」
「そうね。甘くて甘くて、たまらない」
「天音がブラックばっかり飲むのはこういう気持ちなんだ」
諒は優しく微笑んだ。
「君が優しい人なのは知っている。だから、死なせない。俺のことも殺させない」
ここまではすべて予定通り。
そして、ここから先は直観だ。
しかし、確信があった。
諒は胸元からお守りを取り出し、握りしめた。
「ここだろ。出で来いよ、悪魔」
諒が手を伸ばしたのは、赤いリボン。
何度も感じた甘い死の匂いは、ここから出ていたはずだ。
リボンに触れた途端、鮮やかな紫の煙が溢れ出す。
「本当に、綺麗な色してやがるよ」
諒ができるのは死を前にして不安定になった『死の瘴気』を引っ張り出すところまで。
その先は、あの巫女の仕事だ。
「頼むよ、天音」
「――こんな難易度高いこと、さらっと要求すんな、馬鹿」
落下していく諒たちの横。
二階の教室で、本物のやじりが付いた破魔矢を構える、巫女服姿のポニーテール。
渚が、これ以上ないタイミングで矢を放ち、『死の瘴気』の中心を完全に射抜く。
「うん。完璧だ」
霧散していく『死の瘴気』を確認した諒は、朱音の頭を強く抱きしめる。
直後、水しぶきが散った。
全身を衝撃が包むが、それだけ。
諒にも朱音にも、外傷はない。
「ぷっはぁ。どうにか下を見せないようにプール側に誘導したけど、上手くいってよかった」
呟きながら、朱音を抱えて諒はプールを上がる。
ふう、とプールサイドで深呼吸をしていると、巫女服姿のポニーテールが走ってきた。
「このアホ! なんでいつもそうやって危ないことばっかり!」
「仕方ないだろ。『死の瘴気』は死の隣でしか出てこない」
「だからって、あなたまで死んだら……!」
「大丈夫だよ。俺も甘いの、苦手なんだ」
諒が笑っても、渚は口を真一文字に結んだままだった。
「でも、上手くいったろ。お前の友達も、助けられた」
「それは……」
渚は気の失った朱音がすうすうと静かに呼吸を繰り返すのを見て、ため息を吐く。
「……そうね。その点だけは、ありがとう」
「よし、ってことで、行こうか」
「は、どこに?」
「服を着替えないと。びしょびしょだ」
ああ、それと、と諒は思い出したように。
「あとは髪も切りに行きたい。陰キャ感出すために変に伸ばしたからさ」
「本当に、あなたって人は……」
渚はぐったりとした様子で深く深くうなだれて、
「分かったわよ。私は朱音の服を着替えさせるから、その間に準備して」
「りょーかい」
軽く腕を振ってプールを去ろうとする諒を、渚が引き留めた。
「ねえ、なんで朱音の『死の瘴気』に気づいたの。あなたは私よりも匂いに鈍感で、視認すらできないのに」
「根拠はない。強いて言うなら、直観だよ」
足を止めた諒は、振り返らずに言う。
「今まで助けられなかった人たちへの後悔が、あの時の記憶たちが、俺に叫んでくれたんだよ。せめて彼女だけでも、助けてやってくれって」
諒はボロボロのお守りを握りしめて、遠い青空を静かに見上げ、再び歩き出した。
スイートスーサイド さとね @satone
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