春待つきみへ

miyoshi

invisible love

 もしもあなたに大好きな人がいて、その人に恋心を抱いたとしたら。

 あなたは、どうしますか。

 自分の思いを相手に伝えますか。

 それとも。そっと心にしまっておきますか。

 ……この問いの答えを、私はずっと出せずにいる。


 3年間使い続けて黒ずんだパスケースも、底がすり減ったローファーも今日でお別れ。

 窒息しそうなほどに押し込められて揺られる電車の中に、カラスのような黒ずくめのセーラー服を着た私とも、今日でお別れ。

 ひとつひとつに別れを告げていると、今日が日常の延長線上に存在している非日常へとつながっているということを実感させられる。

卒業式なんて、学校から解放される前の最大の儀式、くらいにしか認識していなかったのに。

同じように一抹の寂しさを感じているであろう襟や胸にローマ数字の3の数字を身に着けた黒装束の集団。

この中に知っている顔は、なかった。

どうやら友人たちは、これよりいくらか早い電車に揺られて登校したのだろう。

今日を限りに連絡が途絶えるであろう友人たちだが、私のまるいオデコをいとおしげにつつく指先の持ち主たちを忘れない。

細く白い指先も、餅のようにふっくらとした指先も、テニスでこんがりと日焼けした指先も。

きっと、それぞれに彩りを施してこの先の人生を歩みゆくであろう彼女たちの指先が、脳裏でゆらりゆらりと踊りゆく。

かさついた私の指先は、まだ踊れそうにない。

 改札でかざすパスケースの焦げ茶色に、どこから飛んできたのかひとひらの花。桜だ。

 あたりを見渡しても堅い蕾が見えるだけである。

確かに、この駅の周囲には桜並木があり、地元のフリーペーパーの花見特集で表紙を飾ったこともあるが。

今朝のニュースでも桜の開花予想の放送はあれど日本全国でいまだに桜が開花した場所などありはしなかったのだ。

これはソメイヨシノではない、よく似たほかの花びらなのだろうか。

不思議に思いながらも、後からやってくる制服の軍団に道を空けて素早く手帳に挟み込んだ。

なんでもかんでも、見つけたものを手帳に挟み込むのはあの人の癖だったか。

かつての秋の日に私が差し出したイチョウの葉を大事そうにしまい込んだ姿が目に浮かぶようだ。

まるで黄金色に輝く金貨でも手にしたように無邪気に喜び、愛情をもって手帳のサイドポケットにその一葉を住まわせた人のことは、忘れたくともその願いはかなわない。

きっとあの人は、イチョウの葉にそっと恋情を忍ばせた私のことなど気が付いていないのだろう。

葉っぱ一枚分でも私の恋心が届けばよかったのか。それとも。

微塵も気が付かれないまま別れた現状のままでよかったのか。

この問いの答えも、まだ、出せずにいる。


 たどり着いた教室は、華やかなざわめきと最後の日を迎えんとする空気をまとっていた。

 目が合った数人と最後の「おはよう」を交わして自分の席へと歩を進める。

 窓際の柔らかな光を浴びて夜の海のような輝きを放つ黒髪が迎えてくれた。

 自席の後ろで突っ伏して眠る友人、小夜子だ。

 私の気配を感じて意識を浮上させたのか、長いまつげをそっと持ち上げて「おはよう」と告げられた。

 頬に制服の袖口の跡が残っているが、そんな間抜けな様子でも天使のように愛らしい。美少女というのは得である。

 頬の跡を指摘してやると、彼女は少し恥ずかしそうにしながらも「学校で寝るのは今日で最後にする」と宣言した。

 そうだ。こんなふうに「おはよう」と言い合うのも今日で最後だ。

 今日は卒業式。

 ただの友人の私は、ここでお別れ。

 この先の人生で彼女の隣で朝を迎えて、天使のような微笑みとともに「おはよう」を告げられるのは、自分ではない。


 最後。最後。最後。最後。最後。

 この日が最後。

 さようなら、私の恋心。


 金色に色づいたイチョウの葉っぱ一枚分も伝わらなかった、小夜子への恋。

 同性だからというだけでためらったわけではないけれども。

 タイムカプセルみたいに眠らせて、友情という名の繭で優しくくるんだら。


 誰にも気が付かれないように、そっと。

 地中深くに埋めに行こう。


 きっとそのころには、答えの出せなかった問いに決着をつけられているはずだから。


 今日で最後。

 

 


 

 




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