第26話 イルネの情熱

 セシルは2週間ほどトラウス辺境領に滞在して最低限の礼儀作法を練習してから王都に向かう事になっている。今年はトラウス辺境領から学院に行くのはセシル1人のみとなっている。毎年平均して2~3人は行くのだが、1人というのも珍しくはない。


 セシルは別館に寝泊まりするのだが、今回の事件もあり念のためにイルネが隣の部屋に寝泊まりする事になった。

 イルネは本来、騎士宿舎で寝泊まりしている。


男所帯に若い女がいる事はあまり好ましい事ではないと、同じく騎士をやっているイルネの父はさっさと騎士を辞めて嫁いで欲しいと思っている。

 父の希望通りに10代後半で美人であるイルネには縁談の話がちょこちょこ来ているが、本人が全て突っぱねている。

 今の所、上位貴族からの縁談では無いのでどうにか断れているが、今後は分からない。


 そんなイルネにとって、あまり行き遅れが表沙汰にならないようにセシルの村への遠征は渡りに船だった。

 さらに今後も縁談を断る方法を既に考えている。

 セシルの王都行きに着いて行こうと思っているのだ。縁談の話も防げ、さらにセシルと一緒に居れるという1石2鳥のこの作戦を思い付いた時は『私は天才か』と思わず呟いてしまったほどだ。



 領主館滞在中もセシルの訓練、勉強は続き、そこに最低限のマナーの勉強が入るようになった。マナーの授業は侍女長のサルエルが担当している。

そんな日が続いたある日、意を決したイルネがコルト隊長に直談判をしに行った。


「コルト隊長、お話があります」


「ん? なんだ?」


「学院では、貴族は身の回りの世話をさせる専用のお供を必ず1人は連れて行きます」


「うむ。そうだな。それがどうした?」


「私がセシルの侍女兼、護衛の任務に就きたいと思っております」


「は? いや、何を言っているのだ? 普通侍女が着いていくだろう?」


「普通はそうです。しかし、セシルは普通ではありません。大賢者の再来ですよ? 間違いなく護衛が必要です」


「ぬ? そう言われると……」


「そうでしょう! そうでしょう! 領主様に掛け合ってくださいませ! それにセシルは不安定です。知った顔が近くにいた方が良いでしょう?」


「うむむ……分かった。領主様に話してみる……いや、お前も一緒に来い」


「ハッ! 感謝します!」


 イルネはセシルと行動を共にする事になっている為、食事の時間に領主と顔を合わせてはいるが、立場上その時に仕事の話をする訳にはいかず、さらに真剣な話だと思ってもらう為にコルトを経由して正式な手順で面会を申請した。


コルトが面会の申請を出し、翌日のセシルのマナーの授業時間中に面会が適った。



「それで、話と言うのは?」


「ハッ。セシルの学院生活に置いてセシルは平民であれど、侍女を付けるかと思われます」


「うむ。そうしようと思っている」


「そこで、このイルネを侍女として付けて頂きたくお願いに参った次第であります」


 リンドルが片眉を上げてコルトを見てから問う。


「イルネを? 世話係は騎士の仕事ではないぞ?」


「ハッ重々承知の上ですが、セシルには侍女とは別に護衛も必要になってくるかと思われます。それを1人で兼任出来るイルネは適任かと。さらに気心も知れておりますので、セシルも安心できるかと愚考致します」


「ふ~む。イルネは何歳になる?」


「ハッ。19でございます」


「まずかろう? 学院性格は5年間だぞ? 既に適齢期では無いか。イルネが着いて行ったら卒業するころには24歳だ。貰い手が居なくなるぞ?」


「問題ございません」


 イルネがはっきりと答える。


「いや、問題あるだろう。そなたの父は了承しているのか?」


「いえ、まだですがこれから説得いたします。説得できなくてもセシルに着いて行きます」


「いやいや、何を言っているのだ。ダメだろう?」


「問題ありません。では、もし父を説得出来れば侍女の任に就くことをご了承していただけますでしょうか?」


「いやそれは……まあ確かに無駄に人員を割かずに済むので願ったり適ったりではあるが……」


「感謝いたします! 早速、説得に参ります!」


 イルネはそう言うと頭を下げて颯爽と部屋を出て行った。

 コルトがイルネの無礼に呆気に取られるが、我に返って本人に代わり謝罪する。


「ごっご無礼を! 申し訳ございません」


「いっいや良い。合理的なのは分かっている。むしろ申し出は有難いくらいだ。しかし、あやつの父も苦労するな」


「そうですね。また詳細が分かりましたらご報告いたします。お時間を煩わせてしまったのにあのような無礼な態度で申し訳ございませんでした。キッチリ指導いたします」


「そうだな。行く、行かないに関わらずサルエルのマナーの授業にイルネもぶち込むと良い」


「それは良いですね」


 2人でニヤリと笑うのだった。

 侍女長のサルエルは柔和な雰囲気で実際心根が優しいのだが、マナーの授業となると鬼になる事は有名である。リンドルも過去に被害、もとい指導された事がある。


 サルエルはセシルに対しては先日の事件の件もあって優しく指導するように心がけているようだが、イルネが参加するとなると話は別である。


 その日からサルエルが指導用の竹棒を持ちウロウロする姿が目撃されるようになり、イルネの叫び声と腕が青あざだらけになっている姿も見られるようになった。


2日後、イルネからコルネに報告があった。


「父の説得に成功しました」


「……どうやった?」


「領主の命令に逆らうのか? と一言言えば一発でした」


「いや、それ順番逆じゃないか? 父の説得が先じゃなかったか?」


「些細な問題です」


 あっけに取られるコルネを余所にセシルは話を進める。


「早速、領主様に報告を。あっこれは夕食時でも失礼には当たらないでしょうか?」


「いやダメだろう。本来セシルに付いて行く侍女の予定があっただろう所に無理やりねじ込んでいるのだ、きちんと報告せねばならんだろう?」


「尚更、報告は早い方が良いのでは?」


「アポイントを取る時に執事長に先に内容を通達しておけば問題無かろう。私から連絡しておく」


「お手数煩わせて申し訳ございません。よろしくお願い致します」


 面会の予定はその日のうちに組まれた。要件が分かっているだけに大した時間が取られない事が分かっているからだ。


「早速だが、父親の説得はどうなった?」


「ハッ! 全く問題ありません。セシルの侍女兼護衛の任務にあたり一点の曇りもございません」


「……全く問題ないのか?」


「ハッ! 全く! 何の! 憂いもございません。私の事などをご配慮いただきありがとうございます」


「そっそうか。それは何よりだ。では正式にセシルの侍女兼護衛の任をイルネに任せる。よろしく頼む」


「ハッ! ご命令承りました! この命に賭けましても!」


 イルネは拳を胸に手を当て騎士の作法で答える。


「ではあと数日、サルエルにしっかり作法を学びなさい」


「はっはい……」


「なんだ。さっき命を賭けると言った割にサルエルの名前を出した途端に弱々しい返事になったな」


 コルネとリンドルはそう言って笑う。


 その晩の夕食の席で、セシルにもイルネが着いて行くことが報告された。

 セシルは大いに喜んで和やかな雰囲気になろうとした所で、サルエルが口を出してきた。


「リンドル様、会話に入るご無礼をお許しください」


「ん? どうした?」


「イルネ様が学園に滞在されるならば教育時間が全然足りません。私も王都までの道中に同行し、ギリギリまで指導したくございます」


「いっいやそれは『許可しよう』」


 イルネが断ろうとした所でリンドルが被せるように許可を出した。


「ありがとうございます。同行させていただきます」


 イルネは呆然としている。

 イルネも準貴族の位であるのでそれなりの教養は身に付けているが、いざ貴族の中に放り込まれるとなると話が別だ。特に騎士の男たちの中にいるとどうしても乱雑な所が身に付いてしまう。サルエルには目に余るようだ。


 イルネは後、数日で解放されると思って耐えていたのだ。

 それが王都までの移動期間まで追加されてしまった。移動期間は何と1カ月に及ぶ。


 イルネの様子を見た全員が笑いを堪えているが、本人にとっては死活問題なのだ。

 なんとか声を絞り出す。


「いっ移動中は護衛の任務がありまして……」


「まあ聞けイルネ、喜ばしい事にダラスが王都までの護衛を志願してくれているのだ。そなたはマナーの勉強に集中できるぞ」


 ニタニタしながらリンドルが言う。


 イルネのが魂が抜けたような顔をすると、スッとイルネの横にやってきた影がある。

 何ごとかと見ると、サルエルが竹棒を持って現れたのだ。

 ピシャッと言う音と共に「目上の方の前でそのように情けない顔をするのではありません」と静かに言う。

 ヒッと言う声と共にイルネの背がピーンとなる。


 イルネの地獄は始まったばかりである。

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