第33話(何も言い返せなかった)友人からの思わぬ指摘

本題に至るまでの前置きが長いですし、本当に場合によっては叩かれること覚悟で本音を書きますので、途中で察した方は読まないでください。別に喧嘩を売りたいわけではないのです。ただ、ずっとずっと燻っているのです。




この頃……いや、この頃どころではなく、だいぶ前からですが。

間が悪い。

とにかく間が悪い。

とにかく理不尽なことで不愉快な思いをさせられることが多い。


私の仕事は接客業・サービス業と呼ばれるものです。

言ったところで小売店のレジ打ちですけれど。


ただ、思うんです。

世の中にはたくさんの接客業やサービス業がありますよね?


それこそ、カレンダー通りの赤い日や、長期大型連休にそのまま休める職業とは別に、赤い日が続けば続くほどに休むことが出来ずに、お子さんがいればどこに預けようかと悩まなければならないご家庭も多いかと思います。


それこそ、そう言う世の中が休みの時に休んでいない人たちがいるからこそ、買い物も遊びも出来ると思うのですけれど。























お客様ってことが、どれだけ本当にえらいのかと。


いや、問題発言しているのは重々承知しております。

ですが、私が幼少の頃は、お店のものを壊したら弁償するのが当たり前なのだと思っていました。それが大きな間違いだったと思わせられたのは就職してからです。


お友達と一緒に買い物にいらして、通路一杯にカート押しながら広がって歩いて、飾っていた商品の鉢を倒して壊したり、お子様が走り回っても注意せずに、結果、置物を落として割ったり、他にも、お客様の不注意で商品を破損させたりした時、一瞥しただけで知らない振りして帰ったり、そんなところに置いておく方が悪いんだと逆切れしたり、壊れたんだけど交換してくれないの? と当然のようにいう方々をずっと見て来ました。


(だとしても、それはほんの一握りの方の話であって、大部分の方はそもそもにして注意して歩いていますから、そんな問題も起こしません)


他にも、レジに来て商品を読み込んだところ、その値段間違っていると指摘され、確認すると横の商品だったり、上下の商品の値段の見間違いだということが発覚した時、表示の仕方がおかしいとレジが怒られたりしますが、値段表示には大きく商品名が書かれていますので、まるで違う商品名の値段のものをこの値段だったと主張されても困ります。


先日も、ご自身で忘れ物をした方が翌日に問い合わせの電話をしてきまして、朝の段階でその忘れ物が届いていなかったので連絡先を聞き、店のどの部分をどう回ったのか聞いたところ、別館にも行っていたことが分かり、もしそちらに届いていたらこっちには連絡来ないので、一度確かめに行ってくることにして、折り返す旨を告げて電話を切り、確認に行きました。ですが、そこにも忘れ物は届いておらず、一応そちらの入り口も確認して落し物がないか確かめた後に、電話し、届かなかったことを告げ、後日それらしいものが届いたときに改めてまた電話することを告げたのですが、その電話の後に実際来店したらしく、その際責任者を呼んでほしいと言われ、何かと思ったら、ないと言われたのにあった。ということで、嘘を言ったというご指摘でした。


確かに、お客様が別館から出たと言うのでそちらしか見ていなかった私も悪かったと思います。実際見つかったのは別館ではなく本館の方だったので。


だとしてもです。だとしてもです。

私は思います。

言ってはいけないことをこれから書きます。どうにも腹の虫が治まらないので、言います。


きっと、お客様として店などを利用している人は不快な思いをするでしょう。

接客のプロの方から見たら、ふざけているのかとお怒りになることでしょう。

ですが、あえて言います。





















忘れ物をしたのは、誰でもない自分でしょ?


と。自分の不注意で忘れ物をしたにも拘らず、ちゃんと探してくれなかった店が悪い。電話対応した奴が悪いと怒りをぶつけられる意味が解りません。


判ろうとすれば分からなくもないのですが、忘れ物に関しては店側が忘れさせようとしているわけではありませんし、完全に自身の不注意です。届けばご連絡をするのは当然ですが、あえて店中を捜す義務はないと思うんです。ましてや、どうしても使うからとご自身で探しに来て、無事に見つかったのであれば良かったではないですか。こちらも素直に喜べましたよ。思わぬ方から出て来たのであれば、「そちらにあったのですね、そこまで気が回らずにすみませんでした」と申し訳なく思う気持ちすら湧いたことでしょう。


ですが、この頃そういうことが本当に多い。たまたま手に取った電話が、接客が、私個人でしでかしたこと以外で理不尽な怒りをぶつけられることが。


見間違いと勘違いと思い込みで商品の値段の間違いを指摘したけれど、むしろお客様の方が間違っていた。商品を壊したものを落とした。試着もせずに買って行って、やっぱりサイズが合わないから返すのにレシートないとできないってどういうことと逆切れしたり、勝手な解釈で間違いを指摘されて怒ったり。クレーム付けたり。


いや、解りますよ? お客様が来ていただきご利用してくださるからこそ、店も成り立ち給料もいただけているのだということは。

ですが、逆も然りだと思うのです。店があるからこそ、利用できるのだと。

お互いが持ちつ持たれつだと思うんです。

ですが、いつの頃からそうなったのか知りませんが、従業員だからと言って怒りをぶつけたり罵ったりしていいわけじゃないと思うんですよ。敬われたいのであれば高級料理店でもホテルでもご利用なさってはいかがでしょうかと思うレベルでうんざりしているのですが、何故、自身の不注意などを全開に棚上げして店のルールを破るのを正当化したり、自身の思い通りにならない従業員や出来事に対して居丈高になれるのか。接客業もサービス業も働いている人は『お客様』の『奴隷』ではありません。対等な立場のはずなのに。だから誰も求人募集に応募してこなくなったんですよ。万年従業員不足の業界になっているんですよ。

だって、誰だって赤の他人の身勝手さと不注意と思い込みによってもたらされる理不尽な怒りをぶつけられたくなんてないですから。自分たちは我慢しないのに、こちらだけはひたすら我慢しなければならない状況って、どうなんですか? いや、明らかにこちら側に非があることもありますし、それに関しても「そりゃ明らかにこっちが悪いわ」と思いますので、心底頭下げますけれども。結果、人手不足の中しわ寄せが来た従業員たちから余裕がなくなり、態度が悪くなりますますクレームが増えるという悪循環。人って、それほど我慢できるいきものじゃないんですけどね。



なんだか本当に今年は多い。そこに来て、チーフ様の毎日毎日の変化のなさと学習力のなさに苛立つ日々。あのチーフ様は何かに守られているかの如く、そう言うごたごたに巻き込まれない。なんなんだあいつ。と同僚たちを話をしていたんです。日々胃痛に悩まされて、また潰瘍でも出来るんじゃないかと戦々恐々としている日々。



長らくお待たせしました。ここからが題名に繋がるお話です。


本来であれば、今年はこれまでの十年間?の集大成の年になるんだそうです。

ですが、作家を目指していたのに応募すら出来ないどころか新作を書き上げることすら出来なくなり、最悪なことに、これまで楽しいと思っていたことに楽しさを見つけられなくなり、つまらなくなり、人と関わること自体が嫌になり、我慢している自分が嫌になり。


これがまた、チーフ様のいないときにばっかりそういう事態に遭遇して一体何の集大成なんだと、はらわた煮えかえるほどの苛立ちを抱いている反面、恐ろしく虚しく凪いだ気持ちになっている今。唐突に気が付いたのです。


ああ、これが私の十年かけてやって来たことに対しての集大成かと。

理不尽な目に遭うことが集大成なのかと。よほど見かねられるような、今のこの状況がふさわしい生活をして来たのかと。


震災があってからこっち、一度チーフが変わり、半ば恐怖政治になったレジ部門を守ってきた自負があります。その後、問題を起こしたチーフが再び出戻りチーフによって運営され、この思いつくままを書くきっかけの出来事が起こり、再びレジを支えようとあれやこれやと口を出し、辞めたチーフどもの後始末と尻拭いの一切を新チーフが出来るはずがないからと、片っ端から片付け。宥めたり透かしたり怒ったりしながら、時に社長と真っ向からぶつかって意見を貫いたり、戦力半減以上した中で繁忙期を乗り越えたりしながら頑張って来ていたと思いました。


 そんな中でも物語を逃げ場のように、救いの場のように求めて書いて、キャラクター達のやり取りに笑ったりしていましたが。それすら出来なくなり、その原因が、


「ああ。もしかして、私人間を見るのが心底嫌になっているのかな……」


と言う可能性に行きつきまして。

と言うのも、物語を書くということは、そこに生きる『存在』の生き様やありようを書くわけですよね? そのキャラクターが何を考え、どう行動するか、一喜一憂を書き綴るわけです。


ですが、上記に書きました通り、どうにもこうにもここ数年は、ほとほと『人様』と言うものと関わり合いになりたくないという気持ちが強くなり、見て見ぬ振りが出来なくなってきた結果、書けなくなったのではないかと言うもう一つの可能性に。


その話をした結果。友人の一言。

「ちょっと、もしかしなくても片足鬱に突っ込んでない? だから昔ほどアニメも小説も面白いと思わなくなってるんじゃない? 駄目だよ。その店もう辞めなよ」と。


言われてみれば確かに。思い当たることは多々ありますが、一応福祉の専門学校出ておりますので、この程度はまだ鬱ではないと思うんですよ。


辞めて収入が減ってしまうと、今度は私生活が成り立たなくなりますので、後今年含めて五年頑張って、稼ぐだけ稼いだら考えるけれど……そのまえに、ぶつんと来たらいないかもしれないな。と思いつつ、そうかぁ。片足突っ込んで見えるかぁ。どうしたもんかなぁ。


と思う今。それでも、昔々かった漫画のノベライズを今読み返しているんですけれど、ある意味初恋と言ってもいいほどにハマったキャラクターが二人いるこの小説。今見ても全然色あせない面白さがあって。


そうだ。私こういうキャラクターが好きだったんだと思っているんです。

それこそ、ある意味、私の桃太郎の作品に出て来た《雉》に当たるあの男や、赤ずきんが孤軍奮闘する物語に出て来たあの《黒兎》など、影響受けまくりじゃないですかと気づく中、今まさに不思議とプロットが進んでいる物語が、今読んでいる小説のキャラクターの立ち位置と似ていることに気が付いて、


あ、もしかして、お墓に行かなきゃいけないと思った夢を続けて見た意味が、これなのかと思ったり、ちょっと光が見え始めたこの頃。


こんな後ろ向きなことばかり書いていないで、パーッと楽しいことも書きたい。

読んでいて前向きになれるようなことも書きたいと思ってもいるんです!


誰も暗い話なんて読みたくないですよね?

愚痴を聞いていても鬱陶しいくなるじゃないですか。

一回二回だったら同情もしますけど、あまり続けば『またか』ってなるじゃないですか。

解ってるんです。解かっているんです。


それでも、更新するたびに追って下さる方がいる。

これも奇妙なご縁だと思います。

不快な気持ちにさせたいわけではないんです。

ただ、本当に、仕事の不満や鬱憤がどうにもならなくて。

本当にただの我がままで怒りをぶつけられたら楽なんですよ。

でも、一応物書きをしておりますので、相手の立場に立つということも無意識にしてしまうんです。

この人たちにも私の知らない歩んで来た人生がある。それなのに、自分の子供みたいな人間から、こんな風に言われていて気持ちが良いわけがない。出来ないものをできるようになる努力はしたくはないけれど、たった一つだけ託されたものにだけはプライドをかけてやろうとしている姿も見えますし、にっちもさっちもいかなくなって、本当に現実逃避したいのはワタシじゃなくてその人たちかもしれないと思えば、それを責めるのも酷なのではないかと言う同情心ぐらいは持ち合わせているんです。


だから、仕事をする上で譲れないから口うるさく言いたくなるし、実際言わないといけないから言っているのに、こっちが悪い気がして、それこそ自分自身が奢っているような気がして、自分の嫌いな人間と同じ人間になっているような気がして、それが嫌で嫌で自分自身を『胃痛』という症状でもって攻撃しているのではないのかと。


結果。こんな場所に、こんな感じで吐き出しているのですが、辛抱強く追ってくださる皆々様、すみません。そして、ありがとうございます。


中にはコメント欄で徹底的に叩かれる方もいるとかいないとかと言う中で、画面の向こうでなんやかんやと思っていても、決して攻撃的なことを書き込まずに見守って下さる方々がいらっしゃることで、きっと踏み止まれているのだろうなと。思っております。


これまた無駄に今回長いものを書いてしまいました。

この文字数を物語を書くのに使いたいと切実に思いながら。

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