第24話(大変ありがたいことに)カクヨムコンテスト参加作が! と、ちょっと最近思ったこと

カクヨムコン長編:《奇生種屋》がキャラクター文芸部門で84位。

カクヨムコン短編:《鬼子の回想録》歴史・時代・伝奇部門の短編の方で13位

コンテスト外の歴史・時代・伝奇のカテゴリーでは、46位となりました。


いつも応援してくださっている皆様に支えられ、嬉しい限りの中、これまで交流のなかった方までフォローしてくださったうえで応援してくださり、本当に毎日、寒い思いをしながら、様々な負の感情に腸煮えくり返ったりしつつ帰って来たときの励みとなっております。


この度の長編の方は自分の中にはあまりないヒロインの言動が目立ちますが、とても書いていて楽しかったです。


短編の方が、本当に回顧録ですね。

今作っている物語の、主人公とお母さんが共に暮らしていた思い出の一部を書きだしました。


というところで、これより先はあまり楽しい話題ではないです。

なので、楽しくない話は見たくないという方はここで引き返してください。

















と言うわけで、その短編を投稿してして程なく、とある女優さんの訃報が飛び込んできました。それを受けて、その女優さんがお付き合いしている方が不名誉な意味で多くの人に名前が知れ渡りました。そして始まる誹謗中傷。


自分で書いた母子の思い出話なのですが、本文には書いてなくても、このお母さんの言葉が色々と浮かんでいる私には、何故かこじつけのように自分の中で、その訃報によって起きている出来事と、このお母さんの紡ぐ言葉に共感して、もっと沢山話をしたいと思う気持ちが強くなっております。


私、思うんです。こういう時本気で怒って声を上げていいのは、本当に親密に関わっていた人たちだけだと。週刊誌やネットの記事をうのみにして、好き勝手誹謗中傷する権利は誰にもないと思うんです。友達とかと酒の肴に盛り上がる分には構いませんよ。でも、あえて誰もが見る場所に書き込む必要がどこにあるのかと。


それで今度は、その相手が命を断ったりしたら、書き込んだ人たちは責任を取ってくれるのだろうかと。皆が書いていたから。悪者だからと言い訳して逃げはしないだろうかと。人のことをどうこう言えるだけ、清廉潔白に、誰からも後ろ指をさされないほど立派な生き方、人間関係を営んでいるのかと。気付かれないからとどちらにもいい話をして、裏では悪口を言ったりしていないかと。精神的に弱っている人と供に暮らし支えることがどれだけ大変なのか知っているのかと。決して聖人君子のままに接することが容易ではないということを。


別に絶対全くその俳優さんは悪くないとは言いません。

でも、その人だけが原因だと責めるつもりもありません。

だって、私は何も知りませんから。

事実として出回っていることが、本当に事実かどうかなんて、当事者にしか分からないのですから。


人は言うでしょう。嘘偽りならそんな報道をした相手を名誉棄損で訴えればいいと。

でも、付き合っていた人が自殺して、いきなり続いて行くはずの明日が断ち切られて、悲しむ間もなく名前を挙げられてコメント求められて、コメントしなければしないでマスコミに叩かれ、コメントすればコメントしたで心無い書き込みをされ、その上で顔も知らない人たちから一日に何百件も人間性を否定される書き込みまでされて、一体どうしてそんな気力が湧くのだろうかと。



悲しみ、振り返り、安らかにと願うならまだしも、直近の原因と噂されるものだけ受け入れて叩くのはどうなのかと。


私はその役者さんを知っています。知っていると言っても、あくまで演技を通じてイベントの姿だけです。なので、実生活なんて知りません。人間だれしも表の顔と裏の顔があります。俳優業をやっている皆様は、テレビ用と私生活用の顔があります。隠してなんぼの世界です。ですから、人となりを傍で見ていたわけではないので、実際の顔がどうだったかまではわかりません。


だからこそ、SNSを使って好き勝手騒ぎ立てる人たちが不思議でなりません。というか、嫌でも目に入ってきてしまうのでかなり不快な気分になっております。


いえ、違いますね。ここまで盛大に《悪者》を叩くほどに正義心の強い方々がいるのに、何故自分たちが第二の悲劇を生み出しかねない可能性を持った行動を取っていると気付かないのかが不思議なんです。


女優さんが、その相手に対して恨みつらみを書き綴り、どうか私の敵を討って。と頼まれたわけではないのであれば、今はむしろ、若くして亡くなってしまった方の悲劇を悲しみ、冥福を祈ってあげるべきなのではないかと思ったり。


人の心は思いのほか弱いです。

そう思っていても、結構強い時もありますが、基本的には意外なほどに脆い時があります。その瞬間、言葉の刃は容易く心臓を貫きます。


物語を作るにあたり、使ってはいけない言葉や配慮しなければならないことは沢山あると言います。それは、創作活動をしていない人たちにも当てはまると思うんです。


人の目に晒される以上、SNSも全て『書き物』『作品』だと私は思います。

それを踏まえて、どうかどうか、「皆がやってるから自分は悪くない。自分だけを責めるな」ではなく、今一度、自分の言動が、何をもたらすか、書き込むことに慣れ切った皆々様に考えてもらいたいなァと思います。


ええ。コロナが始まってから役者さんたちの自殺が目立ちます。自殺は他者を引きずります。多くの役者さんがいる中、いくら人気があるからと言っても、そのプレッシャーとストレスは相当なものがあります。それをやわらげ支えるのも、人であって、人の言葉と行動なんですよね。


どうかどうか。世界中に溢れる言葉が特定できないからと誹謗中傷で相手を攻撃するだけのものではなく、不幸を防ぐための優しい言葉が溢れる世界SNSになればいいなァ。という、説教したいわけではないのですが(そんな身分でもありませんので)、心の内をぶちまけさせていただきました。


明日から年末年始休みなしの10連勤。どうかどうか、皆々様の心に平穏が訪れますように。

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