「召しませ! 縄文クッキング・ガール!」

龍宝

召しませ! 縄文クッキング・ガール!




 白い光。


 遅れて、腹に響く轟音が聞こえてくる。


 高台に作った小屋テントの中で、黥面げいめんの少女――ククイは息を凝らしていた。




「――ククイ、外どうなってる? ムラの様子は……?」


「さァ――暗くてさっぱり」




 降りしきる雨音の彼方から、こうやって時々低い声が聞こえるのに、友人のニーネーはずっと小屋の奥で身を震わせている。


 風と雨が森をきしませるのは、山頂に住んでいるカモイが怒り狂っているからである、という長老たちの話を頭から信じ込んでいるのだ。




「カモイ、か」




 普段なら半信半疑だったククイにしても、何もかもを圧するような音と暗闇の恐怖に、異様なものを感じざるを得ない。


 腰元にいた黒曜石の短刀を握る手に、思わず力が入った。




「余所者が増えてきたと思えば、今度はカモイのお怒りか。山向こうのムラも東に移ったって話だし、最近どうなってんだろ」


「ククイ、もっとこっち来て。カモイに見つかっちゃうよ」


「ニーネーが怖いだけじゃん。しょうがないなァ」




 うさぎ狩りの帰りに、大雨で身動きが取れなくなって、そこらの木々で作った粗末な小屋だ。


 当然、中も狭い。


 自分よりも小柄なニーネーをさらに押し込めるようにして、ククイはその隣に腰を下ろした。


 抱きついてきたニーネーの体温が、雨に濡れた身体にじわりと染みてくる。


 風雨は、一向に弱まる気配を見せず、益々その烈々たる音を盛んにさせていた。


 このまま、ここで一夜を過ごすほかないだろう。


 ククイは、獣の皮で作った外套マントをニーネーと二人で被り、眼をつぶった。


 カモイの鳴き声。


 やがて、隣からの寝息を感じて、ククイもすぐにその後を追った。








 夜が明けて、ククイはニーネーを起こして外に出た。


 昨日の様子がうそのように、森と大地は静けさを取り戻している。


 朝日を照り返して輝く草木に、ニーネーが傍で感嘆の声を上げた。


 こちらも、あれだけ怯えていたというのに、何もなかったような調子である。


 荷物を背負いつつ、ククイは息を吐いた。


 小屋を建てた高台は、ムラからそう離れてはいない。


 まっすぐに下りれば、すぐにその有り様がうかがえた。




「うわ、水浸しだ」


「だから、小川沿いの低地にムラなんか作んない方がいいって言ったのに」


「ククイ。私が昨日作った器、大丈夫かな?」


「この水かさだ。運が良ければ、高床に避難させられてるかも」




 ムラのあちこちに、まだ水が残っていた。


 帰ってきた二人に気付いたムラ人が、水のき出し片手に声を掛けてくる。




「ククイ、ニーネー。生きとったか」


「狩りに出たまま戻らんで、流されたんじゃとみんな心配しとったのよ」


「ククイが、すぐに小屋を作ってくれたから。それより、みんなは無事だったの?」




 二人の家の隣に住んでいる大人たちだった。




「幸い、死んだ者はおらん。ただ、家の中にまで水が入ってきて、どこも台無しよ」


「それじゃ……わ、私の器は?」


「器? 馬鹿言え。みーんな割れるか流されるかしちまった。残ってるのは、俺たちより重いもんくらいだな」


「そんなァ……!」




 元々、器の文様を描くのが得意なニーネーだが、今回はいつも以上に上手くいったと喜んでいたのだ。


 初めては、ククイが狩った獲物をのに使おう、というニーネーの提案に乗った矢先のことだった。


 落ち込むニーネーを慰めて、自分たちの家に入る。


 原型こそ留めているが、やはり中は酷いものだった。


 愛用のシカ角で作った槍が水に浮いているのを見て、ククイは微かな安堵を覚えた。


 もっとも、ニーネーの手前、あからさまに喜べることでもないが――。




「――おい、みんな」




 しばらく片付けに追われていると、外から大声が聞こえてきた。




「アルルイのムラから、人手を貸してくれるってよ。日がてっぺんに昇るくらいには、こっちに着くそうだ」


「それは助かる。俺たちだけでは、とても夜までに終わらん」


「アルルイ姉が来てくれるの?」


「あァ。慰問も兼ねて、若衆を率いて直々に来てくれるそうだ」




 ニーネーが、ようやく明るい表情を浮かべた。


 アルルイは、北西に少し行ったところにある大きなムラを女だてらに仕切っている娘で、ククイたちも数代前にそこから分かれたばかりである。


 開拓のような形で移ったものの、二つのムラの関係は今も良好で、平時の往来も頻繁ひんぱんであり、こうしてどちらかが困った時は助け合うことが慣例になっているのだった。


 ククイたちも、聡明で勇敢なアルルイを、姉のように慕っていた。




「しかし、困ったな」


「カム爺?」


「アルルイが来てくれるとなれば、もてなしの一つでもせねばなるまいて。じゃが、ムラはこの有り様で――器が無いのでは煮炊きもままならぬ」


「あっ……!」




 高床に残っている備蓄は、木の実や野草の類ばかりだ。


 煮炊きするための器がなければ、とても返礼に出せるような代物ではない。




「どうすれば……ええい、みな考えろ! アルルイの気に入るものを用意できた奴には、あ奴の世話役を任せるぞ!」


「えっ、アルルイ姉の⁉」


「……へー、そりゃ、俄然やる気も出てくるね」




 いわば本家筋の代表であるアルルイに対するもてなしには、ムラの者から身の回りの世話をする役目の者を出すしきたりになっている。


 本来は年長の者が務めるのが慣習だが、アルルイを慕う二人にはこの上もない機会だ。




「ニーネー、やるよ」


「うん。でも、どうすれば……今から器を作っても間に合わないし」




 首を傾げるニーネーに、ククイも腕を組んで考え込む。




「アルルイ姉、汁物が好きなのに……」




 出来得るなら、それが一番良い。


 だが、こうなった以上、それにこだわっていても仕方ないだろう。


 とはいえ、代わりのものを用意するにしても、極力近付けたいものだが――。




「——あーあ、カモイもいじわるなんだから。なにも、全部ダメにしなくてもいいのにね」




 うなっていたククイの隣で、ふとニーネーがふて腐れたように呟いた。






「——カモイ?」






「ん? どうしたの、ククイ?」




 覗き込んできたニーネーを見返して、ククイは雑然としていた頭の中に、一筋の光が走ったような感覚に陥った。




「……ニーネー! 火だ! 火を準備しておいて!」


「火? でも、こんなに水浸しじゃ――」


「さっきまでいた高台の小屋に、火種が残ってるはず! 頼んだよ! 私は、他をやる!」


「あっ、ククイ! ……行っちゃった。なに思い付いたんだろ。火を起こしても、煮炊きできないのに……?」




 背に掛かるニーネーの声に構わず、ククイは角槍と弓矢をたずさえて駆け出していった。








 アルルイ、ムラの若衆二十余人を率いて来着。


 先駆けの報せが入ったのは、やはり日の登り切った頃であった。




「——カム爺。しばらく」


「アルルイ。此度の来援、痛み入る」




 一行の先頭を進んできた女が、ムラを代表して迎えたカム爺と相対した。




「かつての賢才が、耄碌もうろくしたか? 低地にムラを構えるのは、先祖伝来の在り方に反している。あなたらしくもない」


「返す言葉もない。道中、堰の跡を見ただろう? 人の手で自然に抗えると思い上がった結果がこれじゃ。わが身の恥ずかしいものよ」


「いや、言葉が過ぎたな。低地に出て何事もなく済んでいるムラはほかにもある。今回は、カモイの癇癪かんしゃくがやけに激しかったというだけだ」




 笑い飛ばしたアルルイの気遣いに、カム爺は黙して頭を下げた。


 離れたムラ同士とはいえ、全員が顔見知りだ。


 すぐにあちこちで交流が始まった。




「さて、押し掛けた以上、手伝いをせねばな――と、その前に、水を一杯もらえるか? 私もムラの者も、歩き通しで来たものでな」


「うむ……一応、もてなしの用意を頼んである。奥へ来てくれ」




 低地ムラの人口は三十人ほどで、最も川辺から遠いところに、その全員が入れる程度の大きさの家が建てられている。


 ここも浸水の被害は避けられなかったが、他の家よりはまだましだった。


 ムラの年長者数人と、アルルイの一団が座に就く。


 言葉通りに水だけを出すわけにもいかない。


 とはいえ、ろくなものが出せるわけもない。


 人格者のアルルイのことだ、まさか粗末なもてなしだとて怒りはしないだろうが、せっかく助けに来てくれた若者たちの意気を思えば、カム爺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。




「で、では。食いものをこれへ」




 傍に座っていた男が、ためらいがちに声を上げた。


 どんなものが出てくるか、ムラ人たちも気が気でないのだろう。


 しかし、ややあって場には香ばしい匂いが漂ってきた。




「おおっ! シカの肉焼きだぞ!」


「これは豪勢な。近頃は、肉も汁物にしてばかりだったからな」




 方々で、歓声が上がった。


 木の板に乗せられたシカ一頭丸ごとの焼きものに、カム爺たちは眼を見開いた。




「ククイ、ニーネー。見事なものだ」




 堂々と場に入ってきた若い少女二人を、アルルイが褒める。


 器がなければ、煮炊きをしなければよい。


 火種も、起こせないことはないのだ。


 その単純なことに、どうして気付かなかったのか。


 もてなしといえば煮炊きの汁物、という思い込みがあった。




「耄碌、したか。わしも」




 感じ入るカム爺たちを脇目に、アルルイが肉を石刀で切り分ける。




「——旨いな。焼き方が丁寧だ」


「やったァ!」




 ニーネーが諸手を挙げて喜んだ。


 アルルイが手を付けたことで、他の若衆も各々に食い始める。






「ね、ククイ。なんで、これを思い付いたの?」


「カモイ、だよ」




 カム爺たちの傍へ座った二人が、シカの腿肉を頬張りながら話し出した。




「ニーネーがそう言った時、ふっと「肉を焼け」って思い浮かんだんだ」


「え、なんで?」


「後で、シカを焼いてる時に、ぼんやりと理由が分かった気がする。昔、昨日みたいなカモイの癇癪の日に、白い光が落ちたシカが、焼け焦げて死んでるのを見たことがあった。それかな」


「ほえー、カモイの思し召しだね」




 あぶらでべとべとになった指先を舐め取って、二人が笑い合う。


 もてなしの後、誰がアルルイの世話役に選ばれるかは、もはや言うまでもなかった。




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