チロル

宮古 宗

第1話 進んでみよう

 八月の中旬、代々木体育館では全国中学校女子バスケットボール大会の第一回戦の試合行われている。まだ大会序盤ということもあり、勝ち上がれば対戦する可能性のある相手の視察に訪れている選手や関係者など多くの人々が会場に詰めかけている。

 「延岡第二の七番良いな」

 アリーナ席にいる北海道代表と名前が入ったジャージを来ている男性は目の前で行われている試合の一人の選手に注目していた。

 そんな男性の独り言を隣にいた今井汐里いまい しおりは聞き、親友であり目の前の試合で七番のユニフォームを着ている新原絵美にいはら えみを誇らしく思った。

 新原のリズミカルなドリブルを軸にラン&ガンスタイルで攻めていく延岡第二に対して、昨年度ベスト4の相手チームは堅い守備で上手く凌いでいた。試合は均衡した好ゲームとなっていたが、第3クウォータで延岡第二の攻撃を4分間無失点で乗り越えたことで相手チームが試合の主導権を握った。そこから最後まで相手が試合をコントロールした結果、延岡第二の挑戦は一回戦で終わることとなった。

 悔し涙を流す選手たちを見て応援席にいた今井もまるで自分のことのように涙を流し、最後まで戦い抜いた選手たちに励ましと感謝の言葉を送った。


 宮崎県延岡市に戻った今井の家にオフが与えられた新原が訪れたのはその三日後であった。

 「ねぇ汐里。これ一緒に受けようよ」

 新原はスマホを今井のほうに向けた。そこにはオーデションの文字とともに有名な芸能プロダクションの名前が記載されていた。

 「絵美ちゃん、オーデション受けるの」

 「うん、受けたい。でも一人だと心細いから汐里も一緒に受けてよ」

 「えぇ。絵美ちゃんは合格すると思うけど、私は引っ掛かりもしないよ」

 「何言っているの。私だって引っ掛かりもしない可能性が高いよ。でもこういうのは挑戦しないと分からないでしょ。それに小学生の頃、中学生になったらオーディション一緒に受けようって言ってたの汐里だよ」

 新原は今井の顔を少し見上げるかたちで、今井の部屋着のTシャツの右裾を伸ばしながらもう一度言った。

 「ね。汐里。一緒にオーディション受けようよ。お互いにアイドルになるのが夢だったでしょ。」

 今井と新原は小学二年生からの友人であり、その頃から今井が好きなアイドルの話をするのを新原は聞いていた。男子と校庭でスポーツをするのが好きな新原は最初は今井のような可愛いものが好きな女子を苦手としていたが、好きなものに夢中になる今井と接するうちに苦手意識は薄れていった。むしろ衣装の華やかさやダンスの魅力に気づき、小学校高学年になると二人で好きなアイドルの歌やダンスを真似るようになった。いつか二人でオーディションを受けようと話したのもその頃であった。

 「絵美ちゃん覚えてくれていたんだ」

 今井は新原が約束を忘れていなかったことを嬉しく思った。中学に入ると運動神経を買われた新原はバスケ部に入部し、一方で音楽が好きな今井は合唱部と吹奏楽部を掛け持ちした。お互いに部活が忙しくなると家を行き交う機会が減ってしまった。更に今井は思春期独特の恥ずかしさからアイドル好きを学校では公表しなくなっていた。

 「小学生の時、二人ともアイドル好きだったもんね」

 「そうだよ。二人でブリブリに可愛こぶってたでしょ」

 新原はわざとと分かるくらい甘い声を出して、今井の腹部に頭をグリグリと当てた。

 「絵美ちゃんと一緒なら挑戦してみようかな」

 今井が前向きな発言をすると、待ってましたとばかりに新原は左手でサムズアップをして満面の笑みを浮かべた。




 「今度うちでアイドルオーディションやるのって本当なの」

 中学生向けのファッション雑誌の撮影を終えタクシーで事務所に戻る車内で、高橋佳菜子たかはし かなこはマネージャーの松野智也まつの ともやに批難混じりな口調で問いただした。松野はそうだねと高橋とは逆に穏やかな口調で返した。

 二人が所属している近江プロダクション内でオーデションの企画が会議にかけられたのは1ヶ月半ほど前の2月である。発案者は社長の近江彦太おうみ ひこたであった。今年で喜寿を迎える近江は妻で歌手の幸枝さちえと今から50年前に近江プロダクションを立ち上げた。幸枝を筆頭に時代ごとに実力と人気を兼ね備えた歌手を世に送り出し、大手ほどの規模はないが実力者揃いの中堅プロダクションとして知られている。

 「うちはもうアイドルはやらないって思っていたのに」

 窓の外のアパレルブランドが立ち並ぶ光景に目をやりながら、高橋は拗ねた声で言った。主にソロの歌手が所属している近江プロダクションには、以前「チロル」という男女混合のダンスボーカルユニットがあり人気を得ていたが、そのグループが4年前に解散した後は1組も所属していない。

 「社長曰く、アイドルグループは今回が初めての企画であって、チロルはあくまでダンスボーカルグループという話だよ」

 「なにそのへりくつ」

 「確かに屁理屈だよな。でもチロルは確かに男女混合でボーカルにダンサーがいるって形だったから。今度は女の子だけで、皆で踊って、皆で歌うから、アイドルグループの定義には当てはまる。」

 「え、女の子だけなの」

 佳奈子の驚いた顔を見て、智也はそこまでの情報はまだ掴んでいなかったのかと後悔した。そして佳奈子は先ほどよりもより非難が強くなった目で智也を睨み、また外を眺め出した。

 「とにかく、後輩が増える可能性があるのだから増えたら仲良くしてくれよ」

 と高橋の複雑な心境を理解しつつも、松野はマネージャーとして当たり障りのない発言をせざるおえない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る