45 第二次有田合戦

 又打川はそんなに川幅がある川ではない。何となれば、ひと息に飛び越えることも可能だ。

 己斐こい宗瑞がまずは手本をと飛び越える。このあたり、さすがに戦国に生きる武者であり、少なくとも戦場においては、宗瑞は卑怯ではなく勇ある武者であった。


「殿につづけ!」


 己斐軍の兵が、次々に又打川を越える。

 その約半数の兵が川を越えた時。


「射よ!」


 第二撃。

 言葉と同時に雪は矢を放った。

 ねらいは己斐宗瑞ではなく、あくまでも己斐軍の集中している中心点だ。

 雪の矢に倣って、宮庄経友以下三〇〇騎も矢を射る。


「うぬっ」


 己斐宗瑞自身も、その身に矢を受け、渡河に成功した半数の己斐軍の動きが止まる。

 雪が、多治比元就の方を見る。

 元就は視線を返すと同時に叫んだ。


「かかれ!」


 元就の背後の茂みに隠れていた、相合元綱ら毛利本家の軍が飛び出す。

 元綱は猛獣のような咆哮を上げ、己斐軍にぶつかっていく。


「おのれ己斐宗瑞! わが毛利が血を流して貴様を救ってやったというに!」


 この有田中井手の戦いの直接のきっかけは、安芸武田軍が己斐宗瑞の居城・己斐城を囲んだところを、毛利家が中心となって、有田城を奪取し(第一次有田合戦)、己斐城の包囲を解除させたことに始まる。

 ところがその己斐城の己斐宗瑞が、毛利興元の死によって安芸武田家に寝返って、こうしてその尖兵として毛利を攻撃しようとしている。

 第一次有田合戦にて、有田城を攻め落とした相合元綱にとって、己斐宗瑞の寝返りは許しがたい背信である。


「貴様を救うために、兄・興元がどれほど心を砕いたか!」


 元綱は吉田郡山城にいて、興元の苦衷を見ていた。

 そして、興元がつらいながらも有田城を奪い、安芸に平穏を取り戻そうとしたのかを見ていた。


「その貴様が、安芸武田家にだと! ふざけるな!」


 元綱の刀が宗瑞の首を狙う。

 対する宗瑞も抜刀し、元綱の刀をと受け止める。

 宗瑞は宗瑞で言い分がある。

 安芸武田家の勢力圏に接している己斐城は、毛利家らの支援が期待できなければ風前のともしびだ。


「……だったら、この大事なときに逝ったお前が悪いと興元に伝えておけ! 冥土でな!」


 宗瑞は周りに目配せすると、そばにいた侍二人が、相合元綱に襲いかかった。

 元綱は舌打ちしながら刀を引き、跳び退すさる。

 と同時に地を蹴り、襲いかかってきた侍二人に逆撃し、一瞬でその二人を斬り伏せる。


「今義経のおれを侮るな! 己斐宗瑞、貴様だけは逃がさん!」


 己斐宗瑞が逃げる。

 相合元綱が追う。

 その二人を中心に、又打川の川原は乱戦の様相を呈した。



 安芸武田家・武田元繁は、己斐宗瑞が相合元綱と激戦を繰り広げるのを見て、第二陣・香川行景に進軍を命じた。

 行景は、己斐宗瑞を助けるための、その進軍をいぶかしんだが、元繁はこともなげに言い放った。


「……あれでも厳島の神主に連なる家。救っておけば、使える。それゆえだ」


「承知つかまつりました」


 行景にも、武田元繁がゆくゆくは安芸を支配した時に、厳島神社に対して影響力を持っていた方が良いことは分かる。それには、己斐宗瑞という駒がいた方が良い。


「よし、香川軍、進軍! 己斐の衆を助けてやれ!」


 そう言いつつ、香川行景は、己斐宗瑞とその軍に攻撃を向けさせておく隙に、自身とその軍は渡河を始めた。


 これくらいは、裏切者相手にはやむを得まい。


 そう思う行景は、己斐宗瑞の内心には素知らぬふりをして、しかし素早く全軍の渡河を終える。


「よし、いいぞ」


 己斐宗瑞と相合元綱が乱戦しており、吉川家の軍は、矢を射れない。貴重な味方の兵を損なう恐れがあるからだ。


「かかれ!」


 香川行景の号令一下、香川家の衆が乱戦の中に飛び込む。

 たまらず、相合元綱と毛利本家の軍は退く。

 己斐宗瑞はうのていで行景のそばへ来た。


「た、助かった……」


「ここは我に任せよ。退かれよ」


 行景は冷めた目で宗瑞を見ながら、あごをしゃくった。

 こいつの先陣としての利用価値はここまでだな、と見切った行景は、宗瑞とその軍に退路に向かわせた。


 さて、熊谷元直の仇、取ってくれようか。


 そう思って振り向いた時だった。


はなて!」


 吉川家の三百騎から、矢の雨が降りそそぐ。


 しまった。

 今義経・相合元綱が退いたのはか。

 友軍を退却させる、その隙を。


「乗じたというのかッ」


 行景が吠え、相合元綱の退いた方へと突進する。香川軍も心得たもので、将である行景に、物も言わずに続いていく。

 矢の雨は、降りやまぬ。

 それならば。

 そう考えた行景の、矢による犠牲を覚悟の突撃である。


「……いかにとは言え、おいそれと百や千の兵が、のはできぬ!」


 行景の言うとおり、相合元綱とその軍は、態勢を立て直している最中である。

 その後背へ痛撃を与えるべく、行景は槍をかまえた。


「吉川は動けまいッ! 三陣、四陣が来るのを迎え撃たねばならぬッ! 勝機ッ!」


 行景が槍を投擲した瞬間、横合いから出てきた長柄の槍が、その宙を飛ぶ槍を叩き落とした。


「……確かに勝機だ。毛利こちらにとってはな」


 不敵な表情を浮かべた若者が、三ツ星の紋の旗印の一軍を率いて、香川軍の横っ腹ににぶつかってきた。


「美濃、土岐家中、長井新九郎! 義によって多治比どのに助太刀いたす!」


 新九郎が長柄の槍を突き入れ、突破口を作ると、つづくの軍が香川軍のに入り、そのはらわたを食い荒らす。


「長井新九郎? それに多治比だと?」


 行景は、この第二次有田合戦の主力は毛利本家、別動隊である射撃部隊の吉川家であり、多治比軍は連戦の疲れもあり、多治比元就の護衛にでもあたるのだろうと思っていた。

 何より、毛利・吉川連合軍の全体を指揮する元就自身が一部隊を率いては、統制が取れなくなり、軍の瓦解は必至だ。

 それに、多治比軍を率いる指揮官がいるのか。

 元就の腹心・井上光政なら可能だろうが、それこそ元就の護衛自体がいなくなる。


 ……その陥穽おとしあなを衝く。


 それが、多治比元就の考えた、この長井新九郎率いる多治比軍の攻撃である。


「かかれかかれ! 香川行景とやらは、多治比軍おれたちの勇名に恐れをなしているみたいだぞ!」


 円弧を描く長柄の槍が、血風を上げて香川軍の将兵らをなぎ倒していく。


「世迷言を!」


 行景が怒気を発して、新九郎に向かってくる。


 所詮は奇策。

 この長井新九郎とやらはようだが、つづく多治比の軍は疲弊している。こやつを斃してしまえば、終わる。


 行景は近くの兵から新たな槍を受け取り、新九郎と対峙する。


「美濃、土岐家中だと? 義によって助太刀だと? ふざけるな!」


「ふざけるのはお前の方だ。土岐頼芸よりなりさまの側室・深芳野みよしのさまの受けた屈辱、必ずそそげとの主命だ! 女の髪を引っ張る阿呆の、向こうずねに蹴りを入れてやれとな!」


 むろん口から出まかせである。だが、武田元繁が深芳野を粗暴に扱ったことは、安芸の国人であれば誰でも知っており、それは行景も例外ではない。


「うぬぅ……」


「ほれ? どうした? 来ぬのか? なら、こっちから行くぞ!」


 新九郎とて多治比軍の疲労は承知である。だからこその挑発である。

 行景と新九郎の槍が交差する。

 銀色の光が舞い踊る。


「小癪な青二才めが! みやこを、船岡山の激戦を知らぬ輩になど、負けぬ!」


 行景の槍が颶風ぐふうを生じる。


「ふん? 京? 船岡山?」


 対する新九郎は、柳に風とその槍を受け、流し、回転した槍ので行景の胴を突く。


「……うぐっ」


「ンな昔のことをいちいちぐだぐだと! お前が船岡山を勝利に導いたとでも? じゃあないのかッ」


 新九郎は、槍の柄を行景に向けたまま、連続して突き出して、行景の顔や体を滅多打ちにする。


「……がっ、ぐわっ、き、貴様!」


 あまりのの激しさに、行景は守る一方で、攻めに転じられない。


「下らねェんだよ! 船岡山を這いずり回った興元や拙僧おれからすると!」


「何ッ! 貴様も……あの魔境に!」


「応よ。だが忘れたい昔日よ。誇りなんかえ! あるのは、あんな魔境は二度と御免だという思いだけだ! この安芸だろうとなあ!」


 新九郎の槍が止まった。行景が、ようやく新九郎の息が止まったかと思った瞬間、新九郎の槍が、鋭く弧を描く。

 突風と共に、行景が顔に痛撃を受ける。


「……がッ」


「ふん、になっていたか。運のいい奴」


 新九郎の槍の穂先の平を顔面に受け、たまらず行景は落馬する。しかし近侍の者らに支えられながら、新九郎と多治比軍から遠ざかっていった。


「……行かせてやれ」


 新九郎は、多治比軍の余力のなさと、もう一つの理由から、香川行景を見逃がすことにした。

 というか、最初から行景の命を奪うつもりは、毛頭無かった。


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