43 又打川
多治比元就を大将とする、多治比、吉川(宮庄)、毛利本家の軍は移動を開始した。いわば毛利・吉川連合軍とも言うべきこの軍は、多治比元就、宮庄経友、相合元綱、志道広良らの
「又打川に陣取る」
志道広良から、進撃を開始した安芸武田家・武田元繁との会敵地点を、どこに想定しているかとの問いに、元就はそう答えた。
又打川。
有田城の南に流れる川であり、その川を挟んで、毛利・吉川連合軍は安芸武田家軍と対峙する――それが、多治比元就の作戦のひとつである。
「川を越えようとして来るところをしかける。また、渡河したところを攻める」
又打川を天然の柵として活用し、押し寄せて来る安芸武田軍を効率的に討ち取っていく。
おそらくは大兵力を使っての、波状攻撃をしかけてくるであろう安芸武田軍。
これに抗するには、敵を一か所に集中させての、その地点に対しての徹底的な反撃しかない。
そう多治比元就は思い、毛利・吉川連合軍の将兵も同意を示した。
「だが、これでは足りない」
善戦はできる。
だが、目的は、安芸武田軍の撃滅にある。
今この時、安芸武田家を壊滅に追い込んでおかなければ、まさに捲土重来、「項羽」武田元繁は、さらなる合戦を挑み、安芸は終わりなき戦乱の
そう考えた元就は、さらなる策を開陳した。
「それでは、元就さまが、また……」
多治比猿掛城での問いを忘れて、吉川雪は、元就の両肩をつかんで、やめろとまで言ってきた。
「これしかないんだ、雪どの……そしてこの策は、雪どのが
そのために、敢えて熊谷元直との緒戦で一騎打ちに挑み、中井手の戦いのあとに高祖の相があるとのひと芝居を演じた。
「武田元繁は言うであろう……多治比元就の首を取れ、と」
元就は片手で首を叩く。
雪はその手を抑えた。
手が震えている。
いや、これは、自分の手の震えだ。
多治比元就は、覚悟を決めている。
「皆も聞いてくれ……安芸武田軍は、この多治比元就を目指して押し寄せて来る。だから、私が陣頭に立ち、奴らを誘う。皆は、そこを叩いてくれ」
長井新九郎は笑い、宮庄経友はうなずき、相合元綱は任せろと腕を振るった。
志道広良は、井上光政に、元就のそばを離れるなと頼んでいた。
「……そして、先ほどの中井手の戦いと同じく、川岸あるいは渡河中の相手を倒すには、鬼吉川の妙弓の矢が必要だ」
川岸で、ある程度の兵を渡河を図れる地点となれば、大体の場所は限られてくる。そこを目指し、射手をならべて、
「御説、
戦理にかなったやり方であることは認めるが、雪にとっては穴がある。弓の名手である雪には、弓箭部隊を率いて戦うことの利と不利が分かる。
「矢とて限りがあるし、場合によっては、ひと呼吸、ふた呼吸が必要となるときが」
その呼吸のとき、毛利・吉川連合軍の息が切れた時、そこに相手が来た時、元就はどうするつもりなのか。
「……そのときは」
元就は雪の手を握る。
「私自身の手で、相手を
「……そこまでして!?」
「兄・興元は私に遺児、幸松丸を託した」
気がつくと、全軍の将兵が沈黙して、元就の話を聞いている。
合戦の前の、大将の演説に、聞き入っている。
「遺孤を託すという言葉がある。信頼の証だ。そして私は、兄上のおかげで、京に征かずに済んだ。今、それに報いようと思う」
故・毛利興元は、妻の父である高橋久光ではなく、弟である多治比元就に遺児・幸松丸を託した。これは興元から元就への絶大な信頼があったからだ。元就としては、兄が死んだとき、屈託はあったものの、この信頼に応えようと思った。
少なくとも、幸松丸を、「こじき若殿」と呼ばれた自分のような目には遭わすまい、という意趣返しの気持ちもあった。
「……まあ、そういうのも込みで、興元はお前がいいと考えたんだと思うぜ?」
長井新九郎が、遥か空のかなたを見ながら、言った。
この遠慮のない青年は、いつの間にやら、毛利・吉川連合軍に溶け込み、相合元綱からも年来の朋友であるかのような扱いを受けていた。不思議な魅力を持った青年は、毛利興元との京の思い出を軽く語った。
「京が、船岡山が、と安芸武田の奴らは自慢し、自負するだろうが……ただ征くだけだった奴らとは、興元は、ひと味ちがう! ……そういうことだ」
元就はうなずく。兄・興元が京において奮戦したおかげで、自分が京へ行かずに済んだということを知り、元就の兄への屈託は、そのまま兄への尊敬の念となった。
「……こじき若殿と呼ばれ、つらいときもあった。が、今はもう兄への恨みはない。そして今、兄の死に乗じて、安芸を盗ろうとする輩を、私は必ず斃す」
強い視線。
だが、ふと雪の手を握っていることに気づき、あわててそれを離すと「さ、出陣!」と言って、そそくさと馬を進めた。
おいおい……と長井新九郎が笑い、皆もどっと笑った。
雪は赤面した。
そして……よく考えたら、元就が、多治比猿掛城での問いに、今までまるで答えていないことを思い出した。
「あ、待って!」
だが、元就はあからさまに聞こえていないふりをして、前へ前へと進んでいく。
「……逃げた」
そこまでの覚悟ができるくせに、何で自分からは、はぐらかすように逃げるのか。
大勢が見ていることは分かるが、どうせもう皆にばれていることは、雪ですら知っている。
「……臆病者」
この
「ふむ」
いつの間にか隣に来ていた兄・宮庄経友は意味ありげにうなずいた。
その落ち着き払った態度に腹が立つ。
「……
「無理?」
「睨むなと言ってるだろう……だってお前、亡き兄・毛利興元のお子の幸松丸どのがいるから、多治比どの自身は、別に毛利の家督をと考えなくともよいし」
「…………」
女心に疎い(と思われる)兄だが、逆に男同士だからこそ、分かるものがあるかもしれない。雪が勝手にそう思っているところを、長井新九郎が追い打ちをかけた。
「そうだなぁ。そもそも、継母の杉大方という
たしかに元就の義母・杉大方は、女の自分から見ても妖艶で、いつ見ても若々しく、
「えっと……その……」
「おっと、多治比どのがもうあんなところに! 追わねば! のう、長井どの?」
「さようさよう、では行こうかの、宮庄どの!」
言いたいことだけ言って、宮庄経友と長井新九郎は、さっさと馬を進めて、行ってしまった。
……あとに残された雪は気づいた。
からかわれたのだ、と。
そして経友も新九郎が、もう元就の隣にいて、また彼をからかっているとおぼしき様子が、見えた。
「……本当にばか」
雪は舌打ちしながらも、やはり元就の口から、自分をどう思っているかを聞かねばなるまいと決意を新たにするのだった。
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