草原族統一族長決定

 草原族を二分しての戦いが始まる。

 地形の変化はオウラン軍の後方にあるなだらかな丘のみと言える広い平原に、両軍が馬を並べた。

 数はお互いに三万。装備も互角。当然である激戦の予感に、誰もが緊張し張りつめている。

 お互いの長による宣戦布告が成され、両軍が動き出した。


 通常獣人同士が全てを懸けて行ういくさは弓を射かけながら近づき、そのまま馬をぶつけて戦う激しい潰し合いとなる。

 馬も人も区別なく踏みつぶされる熾烈な戦だ。


 しかしこの時は違った。

 ジャムハの軍は通常通り突撃したが、オウランはそれを待ち、受け止めた。

 当然勢いに押されて陣形がへこみ上から見れば半円となっていく。

 オウランは必死に相手の突進をいなして損害を減らそうとするが、慣れない動きを強いられているのもあり不利なのは明らかであった。


 しかし丘の高所からジャムハの位置を確認したアイラの部隊が、オウラン達を壁とし隠れて馬を駆らせる。

 駆け続けジャムハ軍の側面後方にアイラの隊が出た。

 狩りで鍛え、戦いで磨き、作業同然になるまで殺し続けて得た冷静さと経験が、アイラに一瞬見渡すだけの時間でジャムハの位置と、優勢な自軍の状態に酔いしれた敵兵の中でも特に警戒が薄れている場所を教える。

 アイラは何の恐怖も無く敵兵の集団に突撃し、彼女にとっては当然の結果として簡単に内部への侵入を果たした。

 そのままジャムハの近衛兵をどかす為だけに戦い、只管ジャムハへ近づこうと馬を駆る。

 そして自身の決めた距離に到着したアイラは、方天画戟を大きく振って周りの敵兵の間に隙間を作ると、傍を走らせていた部下から巨大な弓を受け取って矢を引き絞りながら馬の背に飛びあがり、立った。

 弓を押える左腕と、矢を瞬時に引き絞りきった右腕に筋肉の筋がありありと浮き上がっていく。


 アイラに近いジャムハ近衛部隊の指揮者たちが皆、見るも恐ろし気な弓は自分を狙っていると思い必死に盾を構え、配下に女を狙えと叫ぼうとする。

 長が狙われているとは考えなかった。豪傑と言われる者で弓の射程は六十歩。アイラからジャムハまでは百歩以上あるのだ。

 その上今も自分達を盾にして距離を取り続けている。危険なのが自分達なのは明らかだ。


 アイラが矢を押えていた指を広げる。

 矢は両軍の誰もが思わず振り返る異音を纏って風を貫き、全員が現実かと疑う軌跡を目に残して飛び、

 距離を取ろうとアイラに背中を見せていたジャムハに突き刺さった。そして貫通した。


 ジャムハは馬から落ち、突然の事態に避けきれなかった後続の近衛が乗る馬に踏み潰されて死んだ。

 アイラとその配下が声を上げ、ジャムハの死を戦場全体に報せる。

 驚愕と疑いの喚き声が、事実の確認によりオウランを讃える声に変って行った。


 この草原族の覇権を決める戦いの短さは、日和見をしていた氏族長たちを震え上がらせる事になる。


---


 戦勝の宴が始まっている。

 オウランは祝いを述べる氏族長達に勝者の威厳をもって対応していた。

 しかしジョルグの眼には何かを悩んでいる風に見て取れた。

 この勝利で草原族は完全にオウランの支配下になるのに、何を悩むのか案じられ、周囲の注意をひかないよう静かに、

「オウラン様、今日ほど良い日を自分は知りません。それなのに―――何かお考えのように見えます。是非お話しください」


 問われたオウランは、複雑な笑みを浮かべ、

「四年前、側室の一人にしてもらい保護を受けようかと話あっていた男を殺したのですよ? 色々思うものはあります」


「ああ、確かにそういう話もありましたな。随分遠い昔に思えますが、そんなに近頃でしたか」


 言い終えてジョルグは黙る。しかし傍は離れない。それだけとは思えなかった。

 そんな最も信頼する相手の様子にオウランは苦笑してから、

「師範は十年で草原族を統一した者の話をご存じですか?」


「―――いえ。全く。大体統一という大業自体が、殆ど聞かぬ英雄譚でしょう」


「……わたしは三年前と比べて成長したと思いませんか? 人の上に立つのにもだいぶ慣れました。諍いがあれば公平に裁いてますし、殆どの氏族長達を心服させ、自分でも中々上手くやっていると感じてるのです」


 確かにここ三年のオウランには目を見張るものがあった。

 以前から氏族の長として仰ぐに足る物を直ぐ持つとは思っていたが、これだけ多くの人間を支配下に置いて尚変わらず謙虚なのは傑出している。

 

「はい。オウラン様は草原族全体を治めるに相応しい方と成られました。ずっとお傍に居た自分が驚く程です」


「わたしは十八歳で草原族を統一しました。このままならば史上最高の氏族長、いえ、族長であると子孫たちは言い伝説として語り継ぐでしょう。しかし今のわたしはそれ程の者ではありません」


「……それは、そうです。オウラン様は族長となってまだ四年程、当然学ぶ必要はお在りなのですから」


 オウランの直ぐ近くで言葉を交わしてやっとジョルグはオウランが考え込んでいたのではなく、怯えていたのに気づいた。

 そしてこの場合、誰に怯えているのかは彼にとって考えるまでも無い。


「彼に、ダン殿に不安をお持ちなのですか?」


「―――はい。ただ一氏族を治めるのに苦労していた小娘に、あの方は食料を買う方法と力を与えた。この戦いを行えるほど大きくなれたのは、飢えていた他の氏族に食料を与えられたからです。

 少しだけ必要となった戦いでは、あの道具のお陰で圧倒的な強さを示せもした。そしてたった三年で伝説に残る族長が産まれたのです。

 だというのに、彼が求めたのはほんの少しの金銭と数回の護衛だけ。

 もしあの方がわたし達を見捨て、他の誰かに力を与えればどうなると思います? わたし達は直ぐに滅んでしまうように思えて仕方がないんです。

 今回の戦い、わたしはあの道具を使ってさえもっと多数の損害を考えていました。なのに、あの方はアイラ殿を向かわせて下さり、そしてこの結果です……」


「そのような、全てダン殿の成果であるかのようなお考えは間違っております。オウラン様の指揮は見事の一言に尽きる物でしたぞ。不利な状態でありながら、冷静に対処し粘り強く動かれていた。オウラン様の指揮あってこその大勝利なのは間違いございません」


「それは分かっています。ただ……今回の勝利で中立を保っていた者達も服従します。となればわたしは十万を優に超える兵を持つ事になる。これも想定を超えた数です。わたしは統一までにもっと多くの者が命を落とすと思っていたんです。

 しかし服従した者に逆らう気配が無く、何時も通り一族ごと殺し奴隷にしないで配下と出来ているのも、あの道具による強さのお陰でしょう?」


 ジョルグと全く同じ思いだった。それでも何とか若い長を励まそうと常に無い苦労をして口を動かし、

「確かに我々の強さは草原族に知れ渡っております。しかし、皆が心服してるのはオウラン様の慈悲深さと公平さ故ではないですか」


「……師範も分かっているでしょう。わたしの最も慈悲深い所は、赤子の死が減った事です。わたしの配下になれば子が死ななくなる。風と大地の祝福を受けた金色の狼だそうですよ、わたしは。

 愚かで、恐ろしくて笑えもしません。人を越えた者に祝福を願えば対価が必要なのは当然でしょう。わたしは……何を対価とすればいいのですか? 子を抱いてくれと親に懇願される度、わたしは子が育っている喜びと、親たちの無思慮への苛立ちでたまらなくなるのです」


 ジョルグが口を開き、何も言えず閉じる。その通りとしか言えない。己自身も、単純に精霊の祝福を受けたと喜ぶ者たちへ苦々しい感情がある。


「……一部族全てが纏まった我等に対して、山、雲、恐らくは水も今は氏族間がバラバラです。火の状態は分かりませんが……彼ら全てを支配下に置くのが現実的になってきました。何代も語り継がれる繁栄が我々の将来にはある。

 こんなの四年前には夢想してさえ居ません。彼が与えてくれなければ絶対にありえなかった。そうでしょう? わたしは、彼が何故これ程の物を与えてくれたのか分からないのです。

 わたしはあの時ダンさんを疑いました。何か我等に害ある考えを持ってるのではないかと。……幾度後悔したか分かりません。そのような考え、許される物では無かった。

 我等に与えられたのは銅ではなく金でした。いえ、それ以上の何かです。なのに、又わたしは疑っている。彼が何時か我等を見捨てるのではないかと。……まさか、自分がこれ程忘恩の輩だったなんて。……それに、以前言ってしまった疑いをダンさんは今もきっと覚えているでしょう。そう考えると……怖いのです」


 全て同じ苦悩だった。自分たちが勢力を伸ばすその度に、不安が少しずつ増えてもいる。

 しかし今は、何とかこの若い長を元気づけなければいけない。

 ジョルグは自分の持つ不安が伝わないよう細心の注意を払い、

「自分が彼を護衛した二度とも、我等を最後の命綱として扱っておられました。これは我々を強く信頼している証拠だと思われませんか? 直接話した際にも悪感情は何も感じていません。

 それに護衛に付ける者達には貴方様を守らせてる者と同等の者を使い、彼がどれ程重要な人間か教えもいます。これからはより一層敬意を払うよう指導もしましょう。

 少なくとも我々から彼を裏切らない限り問題は起こらないのではないでしょうか? それに我々も彼の行動は見ております。どうかご安心ください。そして不安でしたら直接お聞きになるのが一番でしょう」


「……そうですか。護衛に対してそこまで信頼して下さっていましたか。分かりました。何時かお会い出来た時に直接聞きます。まぁ、まずは遣わして下さったアイラ殿に返礼をしましょう。カルマと良い関係を持ちたいと思っているのを示して欲しいと文に書いてありましたし」


「はい。それが宜しいかと。彼女の働きは一騎当千。いえ、それ以上でしたから。それとご安心を。今も最も気が利く者を何人も付けて彼女の世話をさせております」


「ああ、そうなんですか。それは……良かった。では帰るまでにいっぱい食べて頂き、帰る際には多くの布を渡しましょう。そうダンさんからもお願いされました」


 そういった後、オウランはため息を一つ吐いて気分を切り替えると酒を飲み、集まっていた氏族長達との会話に入っていく。

 ジョルグが見たところ幾らかから元気も入っていたが、今はこの程度で満足するべきと思えた。


 ジョルグの感触では、現在ダンがこちらを頼りにしているのは間違いない。

 彼が敵対するような様子は全く無いし、ケイの情報を送ってくれる貴重な人間でもある。

 ならば彼を繋ぎ止め、オウランとの仲を取り持つのが自分の仕事なのだ。


 しかし。あのダンという人間の持つ考えは余りに不透明で、自分達に悪い物でないよう祈らずにいられないのも事実であった。

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