リディアが辺境に来た理由
「リディア、様? あ、いや、バルカ様、どうしてここに?」
リディアとの縁は近頃細くなっていた。
ここ二年程、コルノの乱で治安が乱れたのもありリディアと文のやり取りをしていない。
コルノの乱が終わった後、一応見舞いとこちらの無事を書いて出したが返事は来なかった。
行商人からバルカ家に大きな被害が無かったのを聞き、じゃあ良いかと思っていたのだ。
それだけに凄く不意を突かれたように感じる。
うーむ……巌のように不変な雰囲気が更に強固になっておられる。
身長も、伸びたな……女性にしては高い。
髪型や服装の好みは変わってないようだ。
今十六歳だっけ? 益々出来る女の雰囲気を持つようになった。
簡単に言うと、更にお近づきになり難い怖さを感じる……。
そして昔と変わらず読めない表情でこちらを真っすぐ見ておいでである。
子供だった頃も上目遣いを見た記憶がないんだよね……。
本当に何故ここに居るのだろうか。
「まずは許可無く家に入った謝罪を。余り何度も訪れて目立ちたく無かったのと、外で貴族が待ち目立つよりはお好みに合うかと考えてではありますが失礼をした。お許しを願う」
あ、なるほど。
もしも、彼女が外で何時間も待っていたら……。
今腹の中にある物を全部吐き散らしながら卒倒しかねん。
今夜は眠れず後悔に苛まれるのは確実です。助かりました。
「謝罪は私がすべきと思います。せめて家の中でお待ち下さり、書物で暇を潰して下さっていて心から安心しました。しかし……このような辺境までどうしておこしになったのですか?」
「逃げて参りました」
「は?」
……えーと……。
「な、何からでしょうか?」
「イルヘルミ・ローエン殿から」
……駄目だ。さっぱり分からん。
絶対わざとだろこの娘っ子。
「宜しければ、何故ここに居るのか詳しくお願いします。あ、でも貴族の女性が男の部屋で二人っきりというのは不味いのでは? 明日、適当な飯屋とかに場所を変えた方がよろしくありませんか?」
変な噂を立てた責任で首と胴が泣き別れなんて冗談じゃねーぞ。
「おお……久しぶりに聞く臆病な配慮。懐かしい。ですが最もご案じであろう我が父は、この程度でダン殿に責を問うような狭量でも暇でも御座いませんのでご安心を」
……相変わらず全部読まれとる。
臆病ですみませんね。
私、貴方に比べれば下の方なんですよ。多方面で。
「一応年頃のバルカ様の評判に問題があっては。と、心配しているのですが」
本当だよ? 二割程度だけど。
「そちらもご心配なく。問題が産まれるとすれば男関連でしょうが、意中の者が出来れば何とでも致します。しかし、バルカ様とは。益々臆びょ―――慎重さに磨きが掛かったようで重畳至極」
ちみ、絶対言い間違いするような人間じゃないよね? それ、わざとだよね?
態々からかいに来られたんですか貴方は。
等と表情には出しませんとも。
怖いから。
「有難うございます……バルカ様も益々大人物になられたようで」
本当益々何考えてるか分からなくなった。
胸尻が大な人物という事実を含んだ言葉だと、受け取られたりしませんように。
「適当に仰ってそうですが、お言葉通り成長しているでしょう。それなりに苦労しましたので。では、順を追って説明致します。まず、コルノの乱でイルヘルミ・ローエン殿は大層出世なされた。ご存じですか?」
「はい。聞いた話では伯爵だとか。男爵から伯爵とは凄まじいですね」
我が主君トーク様は子爵から伯爵。イルヘルミほどには増えてない。
それでも領地スゲー増えてグレースが過労死寸前らしいが。
僕は、倉庫番なので、仕事量大差ありません。
彼女には日々こう思ってます『glhf』と。
で、そのイルヘルミがどったの?
「誠に。当然彼女の王宮における力も大いに増し、その上で
『よい』? とは一体……。
あと、年頃の娘は男に言い寄られた程度でもそんな平坦に話せませんからね。
いや、えーと、何の話だった? ああ、イルヘルミの話だった。
三、四年程度では忘れてなかったというこっちゃね。
当然か、意思の強そうな人だったし。
イルヘルミさんマジ曹操。人材集めに凄まじい執念を持ってる。
強くなりたいのならまず人材だろうし彼女としても必死なんでしょう。
痩せた土地で頑張った方も仰った。人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり、と。
この言葉カッコイイやろ。どないやぁ……。って違うな。これは家臣達との輪を大事にしたお言葉だった。
テヘッ。
……これはオッサンが考えて良い振る舞いじゃ無いね。
いや、アイドルがやってもバンナッコーしたくなる。―――懐かしいなぁ。意外に覚えてるもんだ。ポニテ男なんかを。
…………。
状況のジェットコースターで我ながら錯乱してるな。
「請われた
仮病か。基本だな。
この国は医者の書状を幾らでも捏造出来る。科学的検査なんて無いも同然だしね。
それに全ては権力でどうとでもなる。
人類の歴史は
「しかし敵はさるもの引っ掻くもの。地方に行かせてなるものかと、即日見舞いの者を遣わしてくるのが予想されました。故に
貴族のお嬢さんなのに、自分自身に其処まで出来るんかい。
本当この国のお嬢さんって、貴族のイメージにあった深窓の令嬢じゃない。
コルノの乱でも凄かった。私より強い女性だらけ。精神的にも筋肉的にも。
力だか何だかのお陰かは知らないが、この世界は見た目だけでは強さを計れないと分からされた。
「実際、伝えて直ぐに見舞いという名目でダン殿もあの時見たジョリス姉弟、つまりは騎士が送られて来まして。
当然最初は病が篤いため会えないと拒否を。しかし斬り殺してでも通ると猛るありさま。仕方なく通すと
ああ、最後は
あのヤクザ以上の暴走男にそんな感じで迫られたら、私なら動揺してヤラかしそう。
しかし、ここに居るのなら騙し切ったのだこいつは。
十七歳の小娘が、疑心いっぱいの筋肉騎士二人を騙しとおす。
マジ仲達じゃねーのこいつ。
破凰のフェイスという演出にそーいう捏造する? と思っていたけど、岩のように変化の無い顔って意味だったんですね。知りませんでした。
それは冗談として、貴方、あのヤバイ男は絶対そんな棒読みじゃありませんでしたよね?
PTSD必至の経験をよくもまぁそこまで平坦な口調で言えるものだ。
「それは大変だ。あ、失礼しました。心より同情申し上げます」
胸に手を当てて頭を下げる。
実際同情する。あんな怖いのにこの若さで目を付けられるなんて哀れとしか言えない。
「ゼドは驚くほど簡単に騙せましたが、姉のラビは疑い深かった。やつれた様子だけでは騙されてくれず、最後には事前に用意しておいた血を口に含み、口から血を吐いて見せて何とか。
知識は身の守りとの言葉、至言ですな。殺されはしなかったでしょうが、仮病が漏れて周知となれば厄介極まりない事態になるは必定。故に今少し成したかった準備もそこそこにランドを離れ、ここに居ります」
偽の血なんて発想まであったんかい。
貴族恐ろしい。こいつの独創、ではないよな?
独創だなんて言われたら私は小鹿のように震える。
「つまり、イルヘルミに危害を加えられかねなかったと? それにしても何故このような僻地に」
距離的には都会に近いように見えて文化その他的に此処は長野県よ。
「ダン殿、一番肝心な話がまだ残っております。何故
「いえ、其処までは想像以上です。散々お世話になりましたし、感謝されるほどでは。ただ、将来的に私の命を気遣ってくだされば嬉しいです。……面倒をお掛けしない様に努力はしますよ勿論」
「それは無論。約束も忘れてはおりません。さて、此処に来たのは意見を伺いたかったからなのです。つまり、今後
えっ。リディア様に態々こんな辺境まで来て貰って、人生相談なんて恐れ怖いんだけど。
とはいえ、辺境まで来て貰ってダンマリ決め込むのは貴族様に対して不敬過ぎて無理。こ、困った。えーと、無難。彼女にとって無難な行動は―――。
「私如きに相談する内容とは思えませんが、お求めとあらば。イルヘルミの所でなければ、ビビアナ・ウェリアでしょう。現在最も力を持っているのは間違いありません。そこにバルカ様の知恵が入れば天下無双。恐れる物は何もなくなるでしょうから」
実際ビビアナは話を聞く限り圧倒的だ。
知恵が入れば天下無双、どんな時代が来ようとも他の貴族を蹂躙できるだろう。
知恵が入れば、だけど。
人類史の殆どでそうだが、この国でもトップが強行したら誰も逆らえないんだもん。
どれだけ良い知恵でもトップが却下しちゃったら全てパー。
専制君主体制が必須な以上仕方ないね。
この国で民主主義的議論は不可能だし。意思決定遅すぎて即滅よあんなん。どんな愚かな決定でも小田原評定よりはまずマシ。
更に言えば民衆の意見を取り入れるのは狂気の沙汰。民衆が二十一世紀のヤベーのさえ秀才に感じるくらい頭が悪い。
皆変化の無い狭い範囲で生きてるから仕方ないね。
僕ちんでさえご近所では地味に頭が良いと評判だったりする。
無駄な知恵を働かせてコケるとも言われてるが。
「おや、ご自分のトーク家はお勧めにならない?」
「……はい」
「ほほう。思ったよりも
分かってるなら聞かないで欲しい。
余計な事口走りそうだから。
「やはりご存知でしたか。ここはバルカ様が予想された通りになっており、トーク閣下の配下は現在博打です。とてもお勧めできません」
「ふむ、良くない所を勧めて
「……はい」
十七歳の女性にビビってるのを笑う人が居たら、一度圧倒的に上位の人間と会話する羽目になってからにしてもらいたい。
少なくともこの国に住む理性ある人ならば、私がリディアに取っている態度を笑わないという自信がある。
「確かに現状ビビアナ・ウェリアの所より良い所は無い。しかし、
そー言われましても―――って、は? え?
「今一度約束致します。
そう言いながら、リデイアは膝を付き、私に対して深く頭を下げた。
私が知る限りこれ以上は臣下の礼だけだ。
人によってはこの姿勢を大変な屈辱だと考える。
ああ、ついさっき便所に行って本当に良かった。
下手をすれば恐怖によって漏らしていた。
この国の人は総じてプライドを傷つけられるのを凄まじく嫌うのだ。
それだけじゃない。私は知ってる。
この娘が十歳の頃から高い自尊心を持っていたのを。
イルヘルミ相手に表情を変えずに対応した時には、在り得ない意思の強さを感じた。
司馬仲達と同じ事が出来そうだから、と言うのと関係無く私はこの娘が怖い。
そりゃこいつは好悪の感情だけで動いたりはしないだろうさ。
しかし、こちらをどう思ってるか察知できない無表情の裏で憎まれでもしたら……。
気づけない内にどれだけの害を被るか想像もできない。
『物のついで』で現世から排除されそうに思えて仕方がないんだよ。
しかもリディアとの間には、無礼討ちをしても許される身分差があるのだ。
そのリディアが私に膝を付いて頭を下げる?
これらの考えが一瞬で脳裏を巡り、つい先ほどまでの浮かれた気分との落差でお腹から重い物が込み上げて来て、
「バルカ様、お願いですからそんな真似は……ウグッ」
あ、もう駄目。
家の外までなんとか走り、そこで吐く。
腹いっぱいに食べた後でこれはキツかった。何とも勿体ねぇ。
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