地盤を整える
ラスティルの熱く滾る思い1
鍛錬場に空気を斬り裂く音が鳴っている。
金髪を後ろに纏めた高耳。ラスティル一人の槍による音が。
彼女は突き、戻し、受けと、如何なる状況でも心の手綱を握りやすいよう、動きに荒れが無いかの確認作業をしている。
しかし、今は全てが小さく力んでいた。
それを消す為に振り続ける。が、中々落ち着かせられない。
「いかんな……これでは自分の体を傷つけてしまう」
最近は何時もこうであった。
理由は明らかで以前彼女が少々親切にした男、ライルからの便りにある。
曰く、
『ラスティル様、私はトーク領はレスターにて信じられない程に強い人を見つけました。
名をアイラ・ガン。カルマ・トーク様配下である獣人の将軍で、年齢はやはり信じがたい事に十六歳です。
彼女は歴戦の兵士三人同時の組手試合を三時間行い続け、その後ガーレとレイブンという二人の将軍を同時に相手して更に三時間の組手を行い、全勝しました。
しかも一試合毎に違う種類の武器を使用してです。
私の目には人外の強さと映りました。
ラスティル様が強くなりたいのであれば彼女と共に鍛錬をし、技を盗み続けるのが最良と思われます。
正直な所そうしようとも、人がアイラの強さを盗み切れるとは思えませんが。
もしご興味があればレスターまでお越しください。
次の春ごろから私は下級官吏として働いていると思われます。
ただ既に仕える相手を心に決めておられるのでしたら、紹介は難しいかもしれません。
こちらの領主であるトーク様も、他の領主に自軍の情報を漏らすのを躊躇われると思われますので。
追伸 この話と私という人物について、誰にも話さないで頂けると有り難く思います。私は自分の知らない所で名を知られたくないのです』
この便りを読んでからアイラという獣人を想わない日が無くなってしまった。
噂を調べても名を聞けなかったというのにだ。
しかしガーレとレイブンという将については話を聞けた。
特にレイブンという将軍については、騎馬隊を率いる人間として勇名を馳せており、武勇を証明する幾つもの逸話があった。
レイブン一人の為だけでも見に行きたいというのに、更に一人を加えて勝ち続けると聞いては。
今すぐにでも馬に乗って会いに行き自分の槍が届くのか試したい。しかし仮とは言え厚遇してくれている主君、ジョイ・サポナの恩義に報いきれておらず離れられない。そんな二つの想いに身を焦がされながら日々を送っている。
溜息を一つ吐きラスティルは今日の鍛錬を取りやめた。
―――あの文を目の届かない所に仕舞っておこう。
あれを読んでいては鍛錬で体を壊しかねない。
大体今はいけないと返事をしてしまったではないか。
そう思いを決めて、ラスティルは身を清めに向かう。
今日は主君から面白いやつを紹介してやる。と、呼ばれていた。
---
「ラスティル、紹介しよう。こいつはユリア・ケイ。アタイとは同じ先生の下で学んだ仲だ。そしてこいつはソウチロウ……サヌダだったか? こっちの二人と一緒で配下の人間なんだってさ」
そう紹介された女、ユリアは何か困ってるようにラスティルには見えた。
そして、少し抗議を含んだ声でジョイに、
「待ってジョイ先輩。二人は配下じゃなくて義理の姉弟。ソウ、イ! チロウ・サナダ様があたしたちの主君。間違えないでくださいね」
「お、おお。悪いね。いや、お前のような理想主義者が誰かの下に付くというのに違和感があったんだよ。すまんなソウイチロウ」
ジョイは大貴族の一員にあるまじき謙虚さで、ソウイチロウと呼ばれた短い黒髪と黒い瞳を持つ若い男に謝罪する。
確かに主君と配下の間違えは相当に失礼ではある。
ただ謝られた方の男は全く気にしていない。と、ラスティルには見えた。
―――ふむ……高慢になってもおかしくない面相なのに、少なくとも傲慢ではないようだ。
まぁ辺境伯であるジョイ閣下へ、服を見るに平民らしき身分で怒りを見せたらとてつもない愚か者だが。
「気にしてませんジョイ様。主君と言っても、皆が俺の意見を重要視してくれるってだけですから。主従というよりは仲間くらいの関係かなと」
「仲間ねぇ、何にしろソウイチロウお前は大した奴だ。このユリアは単なる優しい奴に見えるけど実際は凄く頑固だろ? そう簡単には人の意見に従わないんだ。アタイも昔は苦労させられたよ……」
そのまま雑談に移りそうな雰囲気に、不作法と思いつつもラスティルは、
「少し宜しいか。ユリア・ケイ殿のその家名、帝室の血筋に連なる方だと仰るのか?」
国法としてケイの家名を名乗っていけないと定められてはいない。
しかし貴族は当然名乗るべき己の家名を持っている。
庶民が自分を大きく見せようと家名を名乗る時も、流石にケイを名乗る者はまず居ないのが実情。
失礼であっても当然の確認に対してユリアは、
「我が家ではウィン・ケイの末裔だと伝えられています。とは言え実証する物が在る訳でもありません。ウィン・ケイは多くの子を持ったので有名ですし、詐欺師がケイの名を使う時常に『ウィン・ケイの子孫である』と言うのも存じております。
ですが、ケイ帝国の現状と民の窮乏を助けようとの誓いを込めて、ケイの家名を名乗って行くと決めました」
本気であった。
真剣であった。
欠片も偽りは見えず、義姉弟に至っては二人を誇らしそうに、隣のソウイチロウも満足そうにユリアを見ている。
ラスティルとしても大した人物に思える。
庶民は当然貴族さえ自分の問題だけで精一杯の世の中で、国と民を想いしかも本当に戦うなど滅多に無い話だ。
実際、並みの人物では無かった。
ユリアと名乗るこの人間は、本来ならば常にイルヘルミと逆の行動を取り続け、庶人の立場から一国の王にまで成る。はずだった。
しかし今はもう分からない。
二人の人物によって歴史の先は見えなくなっている。
とはいえユリアを王にした力の一つ、人としての魅力はそのまま。
更にユリアの長い薄紫の髪とソウイチロウの黒髪は相性がよく、今のように二人が並ぶとお互いの美貌が引き立て合って唯一に思えるほどの魅力を放っていた。
「立派な志に感服致しました。拙者はラスティル。ジョイ閣下の下で客将として働かせて頂いている者。それでユリア殿はここへ何をしに?」
「えっと、それが……。あたし達は村々を守る為に義勇兵を率いて戦っていたのだけど、兵の規模に対して食料が乏しくなってしまって。そこにジョイ先輩が兵を集めていると聞いて兵の中から戦いたい人たちを連れ、御厄介になろうと思って来たのです。それに、ソウイチロウ様が一人でオラリオ・ケイ様の所へ人物を探しに行きたいと言ってて……。ジョイ先輩に色々教えて貰おうかなって」
「それだがね、オラリオ殿の領地に居る人物鑑定で有名だが、オラリオ殿に仕えてない人物と言ってもアタイが知るだけで何人もいるんだよ? 中々厳しくは無いかい?」
「俺もそれは分かってます。でも、俺達には世の流れと軍の動きを考えてくれる軍師が必要なんです」
「それは分かるさ。だが、何故オラリオ殿の所なのさね。ここからは遠いぞ。ランドを超え、更に旅をしなければならない」
「そ、それは。えーと、オラリオ領は場所的に劉表だから年齢は分からないけど孔明が……じゃダメか。その、旅をしていた時オラリオ領に賢人が居ると聞いたんです。もしかしたら会えないかもしれないけど、一度行って地理を知りツテを作っておきたくて。
……皆そんな心配そうな顔をしないでよ。俺の剣の腕は知ってるだろ? 出来るだけ安全な道を使うからさ」
怪しかった。
ラスティルとジョイにはいぶかしく思えたし、配下の三人には危険すぎるように感じた。
だが決意が硬いのは明らかだった。
どうして其処まで賢人が其処に居ると確信出来るのかは、誰にも分からなかったが。
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