名探偵1+1

木林 森

第1話 直観

 万物の根源は数である。


 ピタゴラスはそういう言葉を残している。高校倫理でこれを学んだ時、感動したっけな。


 例えばこのコーヒー1つにしても、液体や香りは化学式で表すことができる。元素は全て自然数で順序づけられているし、量や位置、どの時間に入れたかも『たかだか有限の数』で示すことが可能だ。


 どんな物質も、どんな事象も全て数で表現できる。まさに万物の根源は数であるってわけだ。


「ちょっとぉ、コーヒーまだ~?」


 ダイニングから凛の声が鳴り響く。その性格とは裏腹に真っ直ぐ透き通る声だ。


「はい、どうぞ。いつものように角砂糖3つ、入れておいたよ」

「そんな当然の事は報告しなくていいのよ。何も言わず静かにコーヒーをさしだす。それがジェントルマンってやつよ」


「ミルクは? 気分次第なんでしょ。今の凛の気分なんてわからないし」

「人の話を聞いてないあんたに対して不愉快よ。もう、ミルク無しでいいわ」


「今日も学校お休みなんだね」

「あんただって大学の授業はずっとリモートなんだから、毎日休みのようなもんでしょ」


 確かにそうだ。大学1年生の僕は4月の入学式以降の半年間、1度も登校した事がない。なんなら、大学の行き方もすでに忘れてしまった。


「来週は体育祭だってのに、リハーサルが出来なくて困るわ」


 右手でコーヒーカップを持ち、左手でスマホを高速操作する。凛の器用さは僕も認める。なみなみと注いだコーヒーをほぼ水平に保たせるなんて、僕にはとうてい出来ない。


「凛の学校、あんな事件があっても体育祭やるの? 中止になる可能性もあるんじゃない?」

「……。肯定も否定できない質問ね」


 凛は中高一貫の私立高校に通っている、高校2年生の17歳だ。昨日は中高合同で行われる体育祭のリハーサルを予定していたが、突然休校の連絡が入った。


 夕方のニュースを見て僕も驚いたけど、野球部の顧問が殺された。容疑者だった警備員は、学校のトイレで首を吊って自殺。今日も朝からニュースやワイドショーは、その事件で持ちきりだ。


「ねぇ、優。ちょっといい?」


 低音で抑揚がない『ちょっといい?』。何か悪い事を僕に頼む時の定番セリフだ。


「真犯人を私達で突き止めましょう!」

「は?」


 目をキラキラさせる凛ほど、やっかいな相手はいない。


「真犯人?」

「そうよ。あの警備員さんは、きっと人を殺したりしない。真犯人がきっといるはずよ!」


「人を殺さないと思う根拠は何ですか? 凛お嬢様」

「直観よ!」


 皮肉を込める時に『お嬢様』と呼ぶのが僕のクセ。だが、凛はそう呼ばれる事が嬉しいようで、全くの逆効果だ。


「直観というのは自身の経験から導かれる論理的な根拠が存在するんだよ。僕が聴きたいのは真犯人がいると結論づける論……」

「女の直観!」


 僕は非論理的な事を言う相手と話すことは避けるように生きてきた。凛を除いて。


「僕にまた、何かさせようとしている……よね?」

「あなたの直観もなかなかのものね!」


 過去の経験に基づく論理展開から導ける高確率と思われる推測なので、ここで言う『直観』は定義通りだ。


「科捜研で死んだ2人に関するものを集めてきて」

「僕は普通の大学生。無理です」


「ママには私から連絡しておくから。必要ならパパにも」

「あ、ちょっと……」


 間髪入れず電話をかけた凛の父親は国家公安委員会の委員長、すなわち国務大臣の1人だ。内閣総理大臣によって任命され、天皇によって承認される内閣の構成員。つまり、凛は正真正銘のお嬢様なのだ。そして凛の母親は警察本部に設置されている科学捜査研究所―通称『科捜研』―に所属し、チームリーダーを任されている。


 テレビドラマだと科捜研に属する人間は、その分析力でドラマチックに犯人を特定したり追い詰めたりする。実際のところ彼らは捜査権もないし、分析結果を粛々とまとめて報告書を作るのが日々の仕事。ドラマチックな要素なんてどこにもない。少なくとも僕の目にはそう映っている。


「というわけでママ。家に忘れた書類を優君に届けさせるから。うん、そう、それじゃ」

「ちょっと、凛……」


「特に被害者や容疑者のスマホ情報をゲット出来れば、絶対に大きな手がかりにつながるわ。これも私の直観。頼むわよ!」

「だから、それは違法……」


「何も言わず静かに行動する。それがジェントルマンってものよ。さぁ、早く準備して、真犯人に繋がる手がかりを持ってらっしゃい!」


 まぁ、これは毎回お決まりのやりとりなんだけどね。


 ―3時間後。


 凛の横でノートパソコンを開いた僕は、カタカタとキーボードを打ち込み始める。スマホデータの解析を行うところだが、どのようにしてこのデータが僕の手元にあるのか、今は秘密だ。まずは被害者である殺された教師のスマホの中を覗いてみよう。


「何かあるかしら?」


 ディスプレイをのぞき込む凛から、すごくいい香が漂ってきた。ボディソープやコンディショナーなど、きっと高価でいいものを使っているのだろう。「特に何もないよ」と言うつもりだったが


「事件当日に削除されたデータがある……」

「ほらね! 私の直観は常に正しいのよ」


 勝ち誇ったように言うが、これが事件と関連があるとは思えない。例えば浮気相手とのやりとりメール、例えば卑猥な動画をダウンロードするための認証メールなど、人に知られたくない内容をすぐに削除したっていう可能性の方が高いのでは?


「消されたやつ、早く復元してよ」

「簡単に言うなよ」


 実際は簡単に復元出来る。そもそもデータを削除しただけでは、『それを記録していた箇所を見えなくしている』だけであって、データそのものは存在しているのだ。同じ場所に新しい内容が上書きされない限り、素人でも簡単に復元出来る。手順さえ知っていればね。


「警備員さん、いわゆる容疑者とのメッセージのやりとりだ……」


 被害者が受け取った後に削除されたメールの1つが復元出来た。


『貴様が生徒に暴力やセクハラをはたらいている動画を添付する。これをバラまかれたくなければ、今日の夜12時に学校グラウンドへ来い』 


「何、この文面? 絵に描いたような脅迫文じゃない。本当に警備員さんがこんなメールを送ったの? みんなが言うには優しい人って話だけど」


 すぐにもう1つのスマホデータも解析するが、間違いなくこのスマホからメッセージが送信されている。


「うわ、ひっどい!」


 教師が生徒の腹を思いっきり蹴り上げる動画を見て、凛の顔がゆがんだ。こんな動画が出回ったら、炎上どころの騒ぎじゃない。すぐに教育委員会が動き出し、懲戒免職処分もありうるはずだ。


 でも……。何だろう、この大きな違和感は。僕の脳は違和感の正体を探るべく、フル回転し始めた。


「遠隔操作だ」

「え?」


「この脅迫文、送信先のメールアドレスは電話帳に登録されていないってのが1つ。送信された時間の午後8時7分だけど、報告書によると『午後8時から警備員は約30分かけて校内の見回りに出る』とある。メッセージを送るなら、警備室で待機中の時にやるのが自然のはず」


 しかし、直接的な証拠がない。僕の直観は警備員のスマホを遠隔操作している第3者がいると確信している。なのにそれを証明できない。中学生の時、円周率が超越数である事を証明したこの僕が……。 


「優?」


 遠隔アプリがあったなら、例え自動アンインストールしたとしても『痕跡』が残っているはずだ。何故、それがない?


「優ってば!」


 いや、待て。まさか……。僕の脳が1つの可能性にたどり着く。


「ねぇ、優? また勝手に推理してるんでしょ! やっぱり警備員さんが犯人じゃない。その遠隔操作してる人が絶対真犯人よ!」


 その通りだ。でも、それを証明できなければ全く意味がない。残念だけど、僕が出来るのはここまで。あとは警察に頑張ってもらうしかない。


 科捜研なら削除されたデータを復元するのは朝飯前。だけど、遠隔操作された痕跡を見つける事は、遺品・証拠品の鑑定だけでは不可能だろう。この僕が出来なかったんだからね。


 なので僕はわざと『痕跡』を作り、それを調べた人が気づくよう細工をした。どんな細工をしたかは企業秘密。


「あとは警察の捜査次第。僕らが出来るのはここまでだ」

「本当は真犯人を突き止める事が理想だけど……。まぁ、優の頭脳を持ってしてもここまでっていうなら仕方ないわね」

 

 先生を殺したのは警備員じゃない。真犯人がいる確率は100%で間違いない。そして、凛には言えない事が1つある。


 真犯人が警察関係者である確率が95%以上という事だ。統計的にはほぼ正しいと言っていい数値。あわよくば、この確率算出の要素となったどれかに間違いがあって欲しいが……そんなものは見つからない。


 容疑者の自殺を止められなかった事で、世間から大きなバッシングを受けている警察。この上、犯人が実は警察の人間だと世間に知られたら……。凛の両親にも、何かしらの影響が及ぶ可能性がある。


「結局、優としても警備員さんが犯人じゃないって結論なんでしょ?」

「あぁ、そうだね……」


 まだ自分の推理を整理出来てない僕は、心ない返事しか出来なかった。


「ほらね。私の直観が正しいからこそ、導かれた真実よ」

「あぁ、そうだね……」


 悔しいがその通りだ。『凛の直観が正しいなら、警備員は犯人じゃない』という命題。前提である凛の直観が正しくても正しくなくても、結論にあたる『警備員が犯人じゃない』が正しい場合、命題としては真となる。論理学の基本だけど、そんな事を凛に説明しても理解できないだろう。


「さすが私の婚約者ね」

「あぁ、そうだね……え!?」

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