非モテ童貞の夢が叶うと聞いて

赤部航大

非モテ童貞の夢が叶うと聞いて

「おはよう謙久かねひさ。俺は遂にやってしまった。俺たち非モテ童貞の夢を叶えてくれる、秘密道具の発明をな!」


 和豊かずとよから馬鹿みたいな耳打ちをいきなりされたのは、朝のHRまで残り5分、つまり割とギリギリでクラスに入ろうとした時だった。はあ? と問い返す間もなくあいつは隣のクラスへと帰って行った。


 その後昼休みに中庭で詳しく訊こうとしたが「誰がどこで聞いてるかわからないんだ。詳しくは、、だ」と聞いているこっちが恥ずかしくなる台詞ではぐらかされた。案の定その後の話題は、あいつが最近ハマっているアメリカンドラマの話だった。


 そして今。


「俺たちのいつもの場所、科学実験室には夕陽が射しこんでおり、実験用の机や椅子が朱く染まっていた。それは教壇に立つ我らが科学同好会会長、碧木和豊あおきかずとよ様の横顔も例外ではなく、彼の顔には陰影が」

「もういいもういい。モノローグお疲れ、状況説明ありがとう。じゃあ早速本題に」

「くっきりと現れていた……そう、まるで彼の心を表すかのように」

「無視かよ。ほんと人の話聞かねえ」


 実験室に到着して数十秒で疲れた。ちなみに和豊の状況説明は一応本当で、あいつの顔に陰と陽のコントラストが出来上がっているのも本当。そのコントラストもムカつくドヤ顔のためにすべて台無しであるが、もちろん本人に自覚はない。本気でキマっていると思っている可哀想なヤツだ。


「もっと可哀想なのは実質の会員が俺とこいつしかいないことか……」

「そこ、何か言った?」

「いやー夢の発明品って何なのか気になるなーって」


 危ない危ない。今のを聞き取られていたら話が無駄に長くなるところだった。機転の利いた返しができた自分を褒めたい。実際返事を聞いた和豊は気を良くしたようで、ニンマリとした表情だ。


「なるほど。そうだよな気になるよな。では前置きはここまでにして早速本題に入ろう。ズバリ、これだ」

 

 そして「テッテレ〜♪」とセルフBGMをかけながら教壇の裏から何かを取り出し、頭上へ掲げた。それは


「プラカード?」

「そう、表に書いてある通り『Let me see OPPAI!』プラカードだ!」


 顔の横に持ってきながら、自身満々に、目をキラキラさせてあいつは言い放った。


「お前朝、俺に何て言ったか覚えてる?」

「非モテ童貞の夢を叶える秘密の道具を発明したって」

「それがこれ?」

「うん、これ」


 なるほど、合点がいった。これは決して部外者にバレてはいけない。和豊があんなにも慎重になる訳だ。


「バレたら間違いなく全校生徒の笑い草だぞそれ」

「? これのどこが? いや、まあ確かに俺ら非モテ童貞の悲願、女性のおっぱいを直接観たい、は人からくだらないと笑い捨てられる夢だろうよ」

「違うわ。その夢自体は思春期あるあるだわ。かくいう俺だって素直に言うと気になる」

「だろ?」

「だけど」


 言い切る前に大きく溜め息をついてしまった。ここに来てから疲れっぱなしだよ、俺。しかし何かの縁で友人になってしまった仲だ。ここは俺が止めてやらんと。


「方法が馬鹿馬鹿し過ぎるんだよ。何だよ『Let me see OPPAI!』って。『FREE HUGS』じゃないんだぞ」

「さすが親友マイベストフレンド、分かっているじゃないか。まさにそこから着想を得た。ハグがありなら、観せてもらうのもありじゃないかと」

「ありじゃねえから! 街中でおっぱい見せて下さいって、頼む方も頼まれて応じる方も犯罪だわ!」


 気づけば手を机に叩きつけながら立ち上がり、激情が足を動かすままに教壇へと詰め寄っていた。


「そもそも応じる人なんている訳ないだろ! それこそハグじゃないんだぞ」

「『いない』は証明できない。悪魔の証明だ。だからいる!」

「やかましいわ!」


 和豊は和豊で微塵も引く気配を見せない。それどころか俺を宥めんと「まあまあ落ち着け」と片手で制しながら言ってきやがった。せめて両手を使え。そのプラカードを置け。


「あのなぁ謙久。流石に俺だって街中で観せて貰おうとは思わんさ」

「ならどういう……」

「まず最後まで聞けって。つまりだ。T駅前でこれを持って立つ。すると年下の、それもチェリーボーイ大好きなお姉さんが俺を見初めてさり気なく伝えてくれるのさ。『坊や、何時にどこどこで会いましょう』みたいな」


 見るに堪えない小芝居を交えながら熱弁する和豊。ツッコミたくて仕方ないが、ここは「最後まで聞け」と言われた通りにしよう。少し休みたいし。


「そして言われた通りに落ち合ってさ。そんでもって『胸だけじゃなく、ここも直接観たいでしょう?』なんて言われて、夜の街に消えるって寸法よ」

「うん、キモい」


 我ながら驚くほど冷めた声だった。


「何でだよ!? そういう性癖の人だっているだろう? 謙久、人の性癖を馬鹿にするのか?」

「いやお前に対して言ってる。というか巡視の警察官に見つかって職質されるのがオチだろう。早く捕まれ」

「大丈夫。時間をかけて調査したから、警察の巡視パターンは把握している」


 親指を立てて歯を見せてドヤ顔をしてくる和豊に対し、もはや開いた口が塞がらなかった。その労力、別に使えばもう少し何かが違ったろうに。もう犯罪者街道まっしぐらだよ……。


「しかしだ、謙久。イレギュラーというのは起こり得る。だからお前に万が一のときのために見張りを頼みたい」

「共犯は嫌だ……」

「もちろん万が一が起こったってお前を売ったりしないさ。責任は全部俺が取る」


 そんな社会派ドラマの格好良い台詞をお前が真剣に言うな。やめろ、そんな真摯な目で、目の奥で邪な欲望を滾らせながら俺を見るんじゃない。


「そして上手くいった暁には今度は俺が見張りとしてお前のサポートをする。だから頼む! 協力してくれ! この通りだ!」


 やめろやめろ、お辞儀して右手を差し出してくるな。何だこの世界で最も受けたくない告白は。ギュッと目まで瞑ってやがる。改めて見るとこいつまつ毛長いな。


「2人で夢を叶えよう!」

「分かったからもうやめろ! 誰も見ていなくても俺が嫌だ!」


 そう悲鳴を上げると「わーいやったー」と小躍りを始めやがった。こいつ……痛い目見ても知らないからな……。


* * *


 時刻は夜8時を過ぎようとしている。空はすっかり暗いが地上はまだまだ明るい。駅の改札から出てくる人も、逆に改札へ向かう人もまだまだいる。


 ただこうして少し離れた位置から駅前を観察していると、人の波があからさまにある1点を避けているのがわかる。


 その1点とはT駅北口の看板の下辺りであり、例のプラカードを掲げた青年が死んだ瞳で立ち尽くしているところだ。


 ああして立ち始めて1時間は経過した。最初は元気満々であった彼だが、驚いた目や呆れた目、そして冷たい目で避けられ続け、挙げ句見なかったフリをされ始めた辺りで表情が強張ってきた。


 それで留まらず「何かキモいのいるー」と時折言われるようになり、またシャッター音がしたと思えば「何あれマジウケる。ツミッターに上げよ」と晒される始末だった。


 この辺りで和豊は涙目になっていた。流石に本気で可哀想になってLIMEで「もうやめよう」とメッセを送ったが「いや、この試練を耐えれば女神がきっと……」と返してきた。これは救えん。本人の目が覚めるのを待つしかなかった。


 少し前になるとツミッターを見て来た奴らの好奇の目に晒されていた。話しかける人は男女問わずにいたが、みな童貞イジリをするだけして去って行った。イジってきた女性相手にガッツこうとする場面もあったが、冷たくあしらわれて終わっていた。


 そんな地獄を乗り越えた今の和豊の表情に、感情という辞書はない。もう潮時だ。LIMEを開き「いい加減かえ


「おっぱい、観たいの?」


 るぞ」と打ち終える間に、そう問いが和豊に投げかけられたのが聞こえた。この手の問いは先の童貞イジリでも割と聞かれた。


 ただし先程までとの違いは、声にやたらと真剣味が篭っていること。そして、こちらに響くくらい声がハスキーであること。


 更に言えば格好が、コートしか着ていないように感じられること。


 直観が告げる。あれは——


「雄っぱい、観たい?」

「え、いや」

「うんうん、そうだよな」




「胸だけじゃなく、『ここ』も直接観たいのだろう?」




* * *


「俺、何か分かったわ」


 被害者というのと例のプラカードを持っていたということで、和豊は署までパトカーで連行されることになった。俺は通報者であり関係者でもあると主張して、今、こいつの隣に座って話をしている。


「何が分かったの?」

「人の裸を、それも生で観たいのなら、邪道なことはしないで、ちゃんと観たい相手と心通わせましょうって話」

「んだよそれ、当たり前じゃん。だから恋愛って大変だし、俺たち非モテ童貞には難易度高いんだろ」

「はは、違いねぇ」


 思わず俺たちは笑っていた。まさかパトカーの中で笑う日が来るとは。前にいる警官たちも内容が内容だから苦笑してしまっている。


「でもそうやって心通わせて見る裸だからこそ、きっと愛おしいし大切にしたいって思うんだよな」

「経験もないのによく言うぜ」

「直観だよ、直観」

「直観ねぇ」


 疲れたせいか溜め息も一緒に吐き出してしまった。ただそこに呆れとかはなくて。


「当たってると思うよ、その直観」

「だろ?」


 今度は否定せず、笑って返した。

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