「騙された花婿」序曲

尾木洛

「騙された花婿」序曲

「むっ、いかん。」

 その予感に僕は、あわてて指板上の指の力を緩め、音を霞ませる。


 今日は、久しぶりの合奏練習。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、大学でのオーケストラ活動が制限され、合奏練習も中止が続いていた。しかし、先日の緊急事態宣言の解除に伴い、十分な感染リスク対策をとりつつ、今日は、久しぶりに合奏練習が行われている。


 外出自粛要請で、家にこもらざるをえなかったおかげで、いつも以上に個人練習はできている。ほぼ暗譜同然に、指も入っている。


 ただ、それで、上手く合奏ができるわけではないのが難しいところだ。

 もともと演奏経験が少ないのに加えて、あまりに久しぶりの合奏練習で、合奏するという感覚がなかなか戻ってこない。



 僕は、大学に合格すると、すぐに管弦楽団のサークルに入部した。以前からの憧れで、なんとかチェロを弾けるようになり、オーケストラの一員として交響曲を演奏してみたいと考えていたからだ。

 当然、楽器は、意気込みだけで、弾けるようになるものではなく、最初のうちは、散々苦労した。何しろ、楽譜は読めないし、音感もないので調弦すらも手間取る。

 それに、チェロは、フレットレスの楽器なので、正確なピッチをとれるようになるのにも相当時間がかかった。


 それでも、四苦八苦あがいているうちに、それなりに上達していたようで、やがて、曲らしきものが弾けるようになってくると、がぜん苦しさよりも楽しさが増してきた。自然、僕は、チェロ演奏にのめりこんでいった。

 そして、今年になってすぐ、僕は一定以上の力量を認められ、オーケストラ合奏にも参加できるようになった。


 最初のうちは、合奏に参加する、それだけで緊張していて、ただ楽譜をにらみつけ、ひたすらに音を出しているだけという状態だった。それでも、何度か合奏練習に参加するうちに、周りの音が聞こえるようになってきて、様々な楽器が奏でるハーモニー、音の波に囲まれて演奏することの心地よさを感じられるようになってきた。


 こんなことをいうと怒られるかもしれないが、演奏者が複数いる合奏では、正しい演奏する必要はない。間違った演奏をしなければいいのだ。


 間違った演奏とは、例えば、ドの音を出さなければならないところで、間違ってレの音を出してしまったりすることだが、演奏上の間違いはそれだけでなく、音を出すタイミングも含まれる。演奏者は、指揮者の支持するタイミングで、しかるべき音を発する必要がある。その発音が、早かったり、遅かったりしてもダメなのだ。


 演奏者は、一発で合奏をダメにする、演奏を止めてしまうような間違いを犯さなければいいと、いまのところ、僕は考えている。これくらい割り切らないと、僕のような小心者の初心者は、到底、合奏で音など出せないのだ。

 「正しく演奏しなければならない」と「間違った音を出さなければいい」とでは、演奏時のプレッシャーが全然違う。


 十分個人練習ができていて、それなりに合奏の感覚が身についてくると、不思議なもので、自分の間違いが直前に分かるようになってくる。音を発しようとするその刹那、自分の犯す間違いを直感するのだ。

 その直感は、反射的にチェロの指板を押さえる僕の左手の指の力を緩ませ、弓を引く右手の力を緩めさせる。そうして、僕は、その間違いをミュートし、次のタイミングで正しく音を発することで、演奏に復帰する。


 この直感的な間違い回避を僕は「霞む」と表現している。


 霞んでばかりでは怒られるが、初心者の緊急避難なのだから、ある程度は仕方ないと僕は考えることにしている。


 今日の練習曲は、「モーツアルト作曲 KV 430 (424a/Anh109c) - Lo sposo deluso 「騙された花婿」Overture(序曲)」だ。


 個人練習は、十分できているとはいえ、所詮メトロノーム相手。指揮者の指示に従い合奏するのとでは、勝手が全然違う。


 知らず知らず指揮者の指示よりも走ってしまいそうになるし、走らないことに注意が行けば、運指が疎かになってしまう。


 たびたび僕は、いかん、いかんと霞みをうつた。


 こんなに間違えそうになるのは、曲の理解が足りていないからだと僕は考えた。なにしろ暗譜するくらい個人練習はできているのだから。


 ゆえに僕は、指揮をよく見て、周りの音を良く聴き、曲をより感じ取ろうと、全身を耳にして、演奏に集中する。


 それは、曲の序盤、1stバイオリンと2ndバイオリンの掛け合いがある部分あたりだったと思う。


 ん?

 なんだ?

 何が起こった?


 思わず、演奏する僕の手が止まった。


 僕は、あたりを見回す。

 でも、なにもかかわったところはない。


 合奏は、かわらず続いている。



 いったい、今のは何だったのだろう。

 合奏に復帰しながら、僕は考える。


 矛盾だらけであるのは承知で言うが、その刹那、とても澄んだ高い音で奏でられるアリアのようなメロディが自分の感覚の中で共鳴していった。それは、ほんの数秒程度の短いフレーズであったが、そのメロディは、刹那の瞬間に圧縮されていて、僕に時の流れを忘れさせた。そのメロディを奏でる澄んだ音は、僕の全てを忘れさせた。

 はっと、我に返ったとき、僕は、今、ここにいることすら忘れ去ってしまっていた。


 残念なことに、そのメロディを思い出すことができない。(念のため、あとでスコア(総譜)を確認したが、それらしい旋律は見当たらなかった。)奏でられていた澄んだ音の記憶もあいまいだ。


 これも、おこがましいのを承知の上で言うが、その刹那、僕は、この曲というかモーツアルトという神童の一端を直観、直覚できたのではないかしらと思っている。


 僕は、その後も、その不思議な体験を忘れることができず、またあの刹那に出会いたいと思ながら、今でも、チェロを弾き、オーケストラ合奏を続けている。


 あれから、15年。残念なことに、まだ、あの刹那には出会えていない。

 ただ、「霞む」技術だけが、数段上達したのみだ。

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