第14話
謀ったな、アコーレめ!
リリンカは無言で歯噛みする。
ここで知り合う予定の令嬢は、とある地主の娘で、三十代なかばの女性のはずだった。
しかし、その女性の今日の衣装の特徴としてあらかじめ教えられていた服装は、少し離れた場所で熱心に書棚を眺めているユランナと同じだ。
つまり、アコーレは先日与えた指示に従わず、ユランナの予定を調べた上で、リリンカをここに招いたのだ。
「あの方がお噂の……?」
その尋ね方から、ヤーラも今日出会うのが本当はユランナだと知っていたのを悟る。なんと、二人で結託してこの状況を企んだというのか。
今は通りで馬車の番をして店内にはいないアコーレに、内心で令嬢にあるまじき悪態をついた。軍隊などという男だらけの組織に身を置いていると、そういった語彙ばかり豊富になるのだ。
動揺し怒りながらも頭を回転させ、なにも見かけたからといって、必ず声をかけねばならないわけではないと思い至る。
そう、このまま回れ右して店を出て、アコーレの待つ馬車を探して文句を言ってやる。
「まあ、お嬢さま、あちらに私たちの恩人がいらっしゃいますわ」
ところがリリンカの決意むなしく、大きくはないのによく通る女性の声が耳に入った。
あくまでも
背を向けかけていたリリンカが振り向くと、往来で襲撃されていたとき以来の、断髪の侍女がユランナの腕をひいてこちらに向かってくるところだった。
「お、オルリーン……」
ユランナは明らかに腰が引けていて、引っ張られながら低く侍女の名を呼んだ。
こうなってしまってはお互い挨拶くらいはせねば失礼というもの。
「こんにちは、ミス・ユランナ。お買い物ですか」
予定外だし腹心の二人にはめられた点は業腹であったが、ユランナと会えたこと自体は嬉しく思う。
リリンカは複雑な内心を隠し、微笑んでユランナを迎えた。
「は、はい……こんにちは、リリンカさま」
いつも通り顔はレースに隠されていて、せいぜい薄氷の瞳がかろうじて見えるくらいなのだが、ユランナも微笑んだのがわかった。
「今日は何かお探しに?良ければ一緒に見て回ってもかまいませんか」
言いながらリリンカは肩の力を抜いた。
本来の目的が果たせない以上、ユランナの買い物に付き合って親交を深めるくらいはしなければ、気がおさまらない。
「あの、ええ……もちろん。たくさん買いますので、選ぶのをお手伝いしてくださいますか?」
ユランナが低い小さな声で言った。
その瞬間の、なんとも甘酸っぱい喜びをなんと表現したものか。
これまで知らなかったが、友人とはいいものだ。戦友とはまた違う。こんなささやかなことで気分が浮き立つとは。
リリンカ当人は、ただの友人に抱くにはずいぶん強い感情だと全く気づかぬまま、ユランナの手を取った。
「子爵が頼んだのですか、あなたに買い物を?」
口の重いユランナから、辛抱強く書店を訪れた経緯を聞き出したリリンカは、思わず声を上げていた。
他の客の視線が痛いが、それどころではない。
なんということだ。アコーレとヤーラの二人で画策したのだとばかり思っていたが、ともすればアグレシン子爵が関わっている可能性すらある!
「はい……今朝、突然」
侍女だけ連れて書店に来るなど、先日の襲撃を思えばどうかというところだったが、どうやらユランナ自身も訝しみつつやって来たというわけだ。
「お屋敷に、バゼルの……甥も一緒に暮らしているのです。その子に新しい本をと」
ユランナは子爵を
「甥ごさんがいらっしゃるのですね。いくつになられるのですか」
問えば、今年で8歳になるという。
「やんちゃな盛りでしょう。私にも6歳の弟がいますが、屋敷中を駆け回っていますよ」
リリンカはメリエッド家の家族構成を頭の中で整理した。
家長がアグレシン子爵バゼル・メリエッド。それから子爵の8歳の甥と、養女ユランナだ。
以前の調査で、アコーレはユランナと子爵以外の成人の存在に言及しなかった。常に一緒に住んでいるのはこの三人ということだろうか。
甥、ならばつまりその子の両親のどちらかが子爵の兄弟姉妹にあたるわけだが、その人物はどうしているのだろう。
尋ねるにはあまりに立ち入った事柄に思えたので、リリンカは疑問を曖昧にしたまま、子供向けの書籍の集められた一角にユランナを案内した。
ユランナが言うには、そう遠くないうちに、甥のために住み込みの家庭教師を雇う予定があるらしい。
「なんとも子爵らしい、あたたかいアイデアですね。普通なら、執事か家庭教師に全て任せてもおかしくない」
「はい。前から話し合ってそう決めてはいたのです。でも急に、それを今日見立てに行くようになんて」
子爵のいきなりの発言の裏に、ユランナをリリンカと引き合わせる企みが隠されていた可能性は非常に高い。
やれやれと思いつつ、リリンカの腹は決まった。
「子爵のお考えはともかく……今日こそは、お屋敷まで送らせてください。また何かあってはいけませんし、以前と違って私たちはもう、その、友人なわけですから」
ユランナは断らなかった。
その後、二人は各々の好みを挙げて本を選んだ。
「教材として使うものは、大体これで揃ったでしょうか。あとはお楽しみの本も入れてあげねば」
「……はい」
店主を呼び、購入を決めたものを運ばせる算段を整えたリリンカが振り向くと、ユランナは棚の高い場所に長い腕を伸ばしている。
「気になるものがありましたか?」
手に取って見せられたのは、エルサランドでは有名な古い冒険物語の本だった。
「『魔女デルサと竜の山』か。懐かしい」
思わず口にしたリリンカを見下ろす薄氷の瞳は優しい。
「これ……子供のころ、とても好きだったお話なのです。バゼルのところへ預けられる前、私が持っていた唯一の本」
訥々と、低く話すユランナは記憶に想いを馳せるように、ゆっくりと挿絵の描かれた表紙をなぞる。
リリンカも子供の頃、読んだ覚えがあった。
『魔女デルサと竜の山』は、故郷を追われた孤独な魔女デルサが、拾った孤児の少年を供に、竜の住む山々を巡る旅の物語だ。
竜と魔女は時に敵対し、時には助け、あるいは助けられる。人の世界に居場所のなかったデルサと少年は、長い旅の末に、竜と人の間をつなぐ者としての生き方を見つける……そんな結末だ。
「養子になるまで、住まいを転々としていたんです。その状況がまるで、この物語の少年と同じように思えて。大変なこともあったけれど」
楽しかったな、と最後の言葉は独り言のようで、紛れもなくユランナの本音なのだろう。
もっと話してほしい、とリリンカはふいに切望した。
この人のことをもっと知りたい。
ユランナの子供時代の旅は、誰とともにあったのだろう。過去も、レースに未だ隠された顔も、今何を思うのかも。
話してもらえる対象に、自分がなれたなら。
「子爵は今日はご在宅なのですか?」
「そのはずです」
リリンカとヤーラ、ユランナと断髪の侍女オルリーンの四人は、リリンカの馬車に同乗してアグレシン子爵の屋敷へ向かっていた。
その日の馬車は幸い――というかこの状況を当然想定していたアコーレによって意図的に――
これがもし
「ぜひ、寄ってお茶など、飲んで行かれませんか」
アコーレに腹が立つやらありがたく思うやらで複雑な気持ちでいたところに、ユランナから遠慮がちに誘われ、リリンカは一も二もなく承諾した。
書店で充実した時間を一緒に過ごしたおかげか、ユランナが打ち解けた様子を見せ始めたのも嬉しい。
「今日は……予定外ではあったけれど、あなたに出会えて、楽しい日になりました。これからは、そう、お誘いしたり約束したりして、会いに行っても……?」
リリンカは普段の自分ではあり得ない、自信なさげな口調を恥じて、顔を赤らめた。ユランナの前ではどうも、いつもの調子が出ないのだ。
「……」
おそらくユランナは何か言おうと、首をかすかに動かした。そんな些細なこともわかるほど、リリンカは相手を注視していたのだけれど――
ガゥン!
突然、馬車が普通たてる騒音とは質の違う音……いやこれは明らかに銃声だ、一発目を皮切りに、二発、三発と響いた。
石畳を車輪が踏む揺れに紛れて、馬車の後部に同じ数だけの衝撃が加わるのもわかる。
「アコーレ!」
リリンカは進行方向、つまり自分が背を向けていた馬車の前側の小窓を叩き、大声で呼ばわる。
「お嬢さま、襲撃でございます」
御者台のアコーレからは、力強く冷静な言葉が返ってきた。
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