第4話

「本当に、なんて素晴らしいのかしら。我が家の子供たちのうち、二人もが爵位を賜ることになるなんて」

 ルブリック伯爵夫人、ナラル・ゼアドゥは感極まった様子で大きなため息をついた。

 今シーズンのために改装を終えて、さまざまな濃淡のくすんだラベンダー色の織物ファブリックで壁紙から椅子の張地、クッション類を整えたゼアドゥ家の居間は、意図した通りの物憂げで退廃的な雰囲気を演出している。

 ただ残念ながら、一家の今のある種浮かれた、それでいて緊張感をはらんだ空気とはやや釣り合っていない。

「爵位を持つに至ったのはまだ一人だよ。君は知らないかもしれないが、当代のルブリック伯爵は今も健在なのでね」

 そのルブリック伯爵、リリンカの父であるヘーレン・ゼアドゥは部屋の反対側から妻に視線をやった。

「あら!皮肉はおよしになって。もちろんそんな意味で言ったのではないわ。一人はいつか遠い将来の話に決まっています。でも、もう一人は……リリンカの方は今のことなんですのよ!」


 遡ること数日前、兄のテオセンがリリンカを彼女の私邸まで訪ねてきていたとき。

 アコーレが息急き切って駆け込んできたのは、リリンカがいくさの褒賞として、とある領地とその爵位を与えられたとの知らせが届いたからなのだ。


 ヴァンスイール伯爵の領地は、王都からかなり離れた田舎でさして広くもない、エルサランドでは珍しい山がちな土地である。

 先代伯爵はこのあがりの少ない領地を維持するにはよほどの才覚か、または清貧の覚悟が必要だということを認めたくなかったようで、帝国との戦争下、安易極まりない手段に出た。

 なんと、戦地でそれなりの階級にいた次男が手紙で送ってよこす機密情報を、敵国である帝国ウールジュに売り渡したのだ。

 この王国へのとんでもない反逆行為が発覚し、伯爵と手を貸していた長男、そしてまぬけにも何も知らずに実家へ向けて情報漏洩していた次男は、揃って処刑された。敵国への亡命を企てた次男を逃走先で拘束したのは、何を隠そうリリンカその人であった。

 これが約半年前のことで、ヴァンスイール伯爵家は、爵位を継ぐべき直系男子を失い、ひどく遠い親戚までさかのぼって捜索するはめになった。

 長く困難な調査の末、まさか自分に爵位が転がり込むなど想像もしていなかったであろう、一人の若者が見つけ出された。

 その若い独身男性は幼くして両親を失い、自らを天涯孤独の境遇だと心得ていたので、生活のために一兵卒として戦場にいた。

 しかし彼は、停戦のわずか一日前に戦死していたのだ。


 ヴァンスイール伯爵位は廃絶かと思われた。

 だが、現在は停戦中で、戦争での褒賞や勲章の授与などが慌ただしく行われているところだ。

 廃絶するくらいならば――ならばって何だとリリンカは思ったものだが――、誰かに爵位と領地をそっくりそのまま与えてしまえばよいのでは?とは一体誰が言い出したのか。

 なんとも気まずい経緯を経て、それらは戦死した不幸な若者から、リリンカのもとに転がり込んできたのだ。

 なにしろリリンカとヴァンスイール伯爵家の縁といえば、逃亡した次男を追跡、発見して少々痛めつけたうえで連行した、というくらいである。


「お母上、私は手放しで喜べる話だとは到底思えません」

 久しぶりに実家に戻ったリリンカは、この居間で唯一、あきらかに浮かない顔をしている人物だ。

「まあ確かに、国庫から出す褒賞をケチっただけとも受け取れるもんね?」

 やや冷笑的シニカルに言ってのけたのは、リリンカのすぐ下の妹だ。彼女も当然、姉の立身出世を喜んではいた。しかし母親ほど楽観的には考えていないようだ。

「アンシェマ、そのようなことを言うものではありません。これがあなた自身の結婚に、どれだけ良い影響をもたらすか。まったく、社交期シーズン二年目ともなれば、もっと焦りを見せるものですよ、普通」

「あまり口うるさくしてやるな、伯爵夫人。アンシェマのお眼鏡にかなう若者が見つかる前におまえの小言に嫌気がさして、魔法連隊にまたしても娘が取られてしまってはどうする」

「別に私は小言がいやで軍に入ったわけではないのですが」

 知っているよ、と返す伯爵はむっつりした顔のリリンカに優しく笑いかけた。

「ただ私も、これがおまえたち二人の娘にとって良いことである、という点では、お母さんと意見が一致している。とくにリリンカ、先日おまえは中世の英雄物語もかくやという騎士道精神で、不幸な若い女性に婚約者を譲ったが」

 ほらきた。

 リリンカが両親と顔を合わせるのは、ソロー家での出来事以来だ。父がその件について何も言ってこない不自然さには、さすがに気づいていた。

「おまえはもしかすると、自分自身のろくを頼みに一生独身を貫くつもりでいたのかもしれないが、これでそうは言っていられなくなったのだ。爵位と領地を賜るにあたっての条件、もちろん覚えておろうな?」

 そう尋ねるルブリック伯爵は、今や完全なる笑顔だった。にやにやしている、と言い換えてもいい。

 リリンカは観念して、重々しく口を開いた。


「……今回の社交期シーズンの間に結婚し、私自身を当主とした家を興すこと、です」


◇◇◇


 一般に上流階級の若い女性が結婚相手を探す場合、一には財産。次に長男であるか。これが最重要だ。

 他のことはとりあえず、その後に待つ長い結婚生活で毒殺したくならない程度に好くことのできる相手であればよい。

 父親の全てをたった一人の男子に相続させる法律によって、世の次男以下の男性は、兄が子のないまま死なない限り、自力で身を立てねばならない。女性に至っては、親が持たせる持参金しか頼りとするものがないし、男子を産めなければそれすらも、自分のものではなくなることがある。

 そのような理不尽な法律がもたらす、さまざまな悲劇(時には喜劇)と無縁のところにいられるのが戦役魔女である――少なくとも、リリンカはそう思っていた。


 婚約者の裏切りを聞かされても、醜聞ではあるがこの社交界でさして珍しい話ではないし、そういうこともあるのだろうとしか感じなかった。むしろ怒りを覚えたのはエディアの扱いの方であったくらいだ。


 エディアとの出会いによって、リリンカは自らの結婚への意欲は、むしろなくなったと言っていい。

 兄にも伝えようとしたことである。

 助けを必要としている女性たちを差し置いて、己のような恵まれた者が条件の良い結婚を求めるなど、あまりにも勝手がすぎるのではないか?

 婚約解消以来ずっとそれを考えていたところだった。なのに、よりによって今年の社交期シーズンで結婚しなければならないとは……。

「お嬢さま、まあ、お鏡をご覧なさいませ。素晴らしい淑女が映っておられますわよ」

「ん、ああ……そうだな、おまえの好きに選ぶとよい」

 リリンカは支度のために甲斐甲斐しく手を動かすヤーラの感嘆にも生返事だ。

 今晩は先日とは別の家の主催する舞踏会である。

 実は王宮から使者が来た日に予定していた夜会は、支度どころではなくなったので、参加を見合わせたのだ。

 さすがに招待に応じた催しに連続で不参加となっては、いらぬ憶測を招きかねない。

「まったくもう、上の空ですのね」

 リリンカの本心を言えば、自らの方針が定まらない状態で、結婚相手を求める男女が集まる場に出るのは気が進まない……。

「……おや、支度が終わっている」

 ふわりと肩に光沢のある絹のショールが掛けられて、リリンカがそこでようやくヤーラの方を振り返った。

「ええ、終わりますとも。たっぷり一時間はされるがままで考え事に耽っておられましたもの。どんなお姿になったのか、せめて一目くらいは鏡をご覧になってからお出かけなさいませ」

 ヤーラが整えたのだから完璧に決まっている、と言いながらも、さすがに目の前に立てられている大鏡をあえて見ないというのも無理がある。

 鏡の中には文句のつけようのない美女がいた。

 金の髪は、巻毛を額の周りでたくさん作る今の流行よりも、自然な形で上品に結い上げられ、真珠を連ねたリボンで飾られている。

 すらりと長い首には髪飾りと同じ意匠の真珠の首飾り、それが引き立てる肌はしみひとつなく吸い付くようなきめ細かさだ。

 そして、仕立てと布地の良さで余計な飾りを必要としないサルビア色のドレスは、長身のリリンカをほっそりと姿よく見せた。

 これにはリリンカも機嫌を治さないわけにはいかなかった。

「ありがとう、ヤーラ。とてもよく仕上がっている」

 普段は質実剛健を是として、簡素で機能的であることを尊ぶリリンカだが、美しい装いが社交界の催しでどれだけ頼もしい武器となるのかは十分以上に知っていた。

「ご満足いただけて光栄ですわ。今夜はお楽しみになられませ。せっかく王都にご帰還なさったのですから」

 なるほど優秀な侍女は、戦地での参謀に匹敵する存在であるようだ。

 リリンカは軍人らしい切り替えの速さを発揮して、伏魔殿さながらの社交の場に出陣したのだった。

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