第2話
アコーレが御者をつとめる
幌はあっても屋根無しの馬車ゆえ、乗っている人物は一目瞭然。暗い赤の軍服の、しかも女性となれば、それは戦役魔女に他ならない。
リリンカはやれやれと車上でため息をつき、目の端を流れてゆく広大な敷地をもつ家々を眺めた。
久しぶりに見る王都の景色は、どこが変わったともわからぬ程度になじみが薄い。彼女には、なだらかな丘と森、石と煉瓦の城砦や基地が早くも懐かしく思えた。
なにしろ5年にも及ぶ従軍経験で、今や自分が貴族の令嬢だと、思い出すのも苦労するありさまなのだ。
と、前方で馬車が立ち往生しているのが目に入った。
小さいが高級な仕立ての馬車は、薄汚れた労働者風の男どもに囲まれている。
「爺、馬車を止めろ。助太刀に参るぞ」
「!……は、畏まりまして」
御者は引きずり下ろされ、馬の手綱も奪われていた。その中にたった一人、長身だが細身の、上等の外套をまとう白髪の人物が小剣を手に奮闘している。
「何をしているッ!馬車から離れるのだ!」
自分の
リリンカは恐るべき速さで魔法を練り上げ、無法者どもをかまいたちで切り裂いた。
男たちは腱をやられるもの、肩を裂かれたものと様々だが、一様に手にしていた武器を取り落とし、ばらばらと逃げ去ってゆく。
戦場で疾風とあだ名された腕は伊達ではない。馬を脅かすことも、最中で抵抗していた人物を巻き込むこともない、鮮やかなわざであった。
「ご無事ですか!」
駆け寄るリリンカとアコーレを振り向いたのは、見ればなんと壮年の女性であった。
白髪を肩までの断髪にし、纏う外套はどうやら貴族の家の使用人らしい、実際的でありながらも上品なお仕着せである。
「ああ、なんと……どんな救いの神が現れたのでしょう」
「お怪我はございませんか」
リリンカが女性を、アコーレが御者の老爺を助け起こしながら、それぞれ声をかける。
「わたくしはなんとも、お嬢さま、お嬢さまは?!」
女性は、納刀もそこそこに馬車のほうへよろめき歩く。
リリンカはその様子を見守るかたわら、逃げ出した男たちのうち一人が残していった拳銃を石畳に発見した。
十人ほどいた男たちは、負傷しながらも取り落とした武器をほとんど全員が拾い上げていったようだ。だとしたら、手際の良すぎる撤退といい、ただの物盗りのならず者とは思えない……。
「ああ、お嬢さま、良かった、大事ございませんか」
全ての窓が厳重にカーテンに覆われた
車中の人物からは何か小さな声で
「失礼、ご無事なようなら、ここから移動しませんか。私は王立魔法連隊の戦役魔女リリンカ・ゼアドゥと申す者。そちらさまのお屋敷まで護衛いたそう」
背後から声をかけると、女性はひどく慌てた様子で扉を閉め、馬車を守るように振り向いた。
「あ、これは……大変な失礼を。ご助力ありがとうございます。しかし、その」
言い淀む女性の後ろで、扉が内側から叩かれる音がした。
車中の貴人がそうやって使用人に合図するのは珍しくもない。しかし控えめで優しい叩き方は、中の人物の人柄を想像させるもので、リリンカは好ましく思った。
ぜひとも、このご令嬢を屋敷まで送り届け、知己になってみたいものだ――
「申し訳ございません、ご親切なお申し出、恐れ入ります。しかし、ええと」
だがリリンカの期待や思惑に反し、中からほそぼそと聞こえた声に耳を傾けた女性はそのように前置きして、ひどく恐縮しながらも断りの言葉を述べたのだった。
「いや、こちらも差し出がましい申し出をいたしました。どうかお気になさらず」
リリンカが落胆を顔に出さないように言うと、女性はますます恐縮し、今にもひれ伏さんばかりの様子だ。
すると再び馬車の扉がことことと優しく叩かれ、なんとゆっくりと開いたのだ。
「お、お嬢さま」
車中から現れたのは、いささか珍妙な装いの人物だった。
大きな
たしかに全体を見れば当世の流行に倣ってはいる。
しかし今の時期には厚着すぎるし、昨今は身につける何もかも全て、とにかく軽く薄くが尊ばれるところなのに、この令嬢の衣装は野暮ったく見えるほど重厚な生地で仕立てられていた。
とはいえリリンカは年がら年中軍服で娘盛りの5年間を過ごしたため、その人物の服装に違和感を覚えはしても、詳細な理由まではわからずじまいであった。
「……ご無礼をいたしました、魔女さま。お助け下さいまして、ありがとうございます」
令嬢はひどくゆっくりと話した。小さな声は低く、掠れている。
そして目の前に立てば、とても背が高いことがわかった。リリンカも女性としては身長の高い方であったが、背を丸めた令嬢の方が頭半分ほど大きい。姿勢良くすれば、アコーレと変わらぬほどの長身に違いない。
「お役に立てて光栄です。何かご事情があるのでしょうから、お送りするのは控えますが……くれぐれも道中お気をつけて」
おずおずと差し出された、
◇◇◇
帝国との戦争の英雄、しかも騎士の称号を賜り、なおかつ伯爵家の第二子で、嫁ぐ際にはたっぷりの持参金が期待できるとなれば、社交界で引っ張りだこになるのは間違いない。
バルオンとの婚約を解消して数日、私邸に滞在するリリンカのもとにはあらゆる舞踏会、晩餐会、夜会の案内がひっきりなしに届いた。
リリンカは前年、騎士の称号を賜った際に王都に私邸――タウンハウスを構えた。
戦役魔女は上流階級の女性の場合、出征前に例外なく社交界デビューを済ませる。王立魔法連隊の魔女は全員が入隊時から佐官となるので、この時から成人扱いに変わると同時に、一般には男性にしか許されていないあらゆる権利が認められるようになるのだ。
すなわち、屋敷を持つ、財産を持つ、一家を構える、一人暮らしをする……などなど。
リリンカのタウンハウスは、アコーレが駐屯地からこまごました指示を手紙で出し、数ヶ月かかって準備された。
つまり主人たるリリンカも帰還してはじめて足を踏み入れたのだが、今のところ要望もわがままもなく、用意されたものに満足している。
「お嬢さま、急ぎ仕立てさせていたドレスが明日には出来上がりますわ。ホーララ夫人の夜会でお召しになりますでしょう?」
長椅子にゆったりと寄りかかり、魔道書を抱え読み耽っていたリリンカが顔を上げると、侍女のヤーラが帽子箱を抱えて入ってきたところだ。
「ああ、ほかに着るものがないからな」
「……事実ですけれど、そういうことではありません。ドレスにあわせるお帽子や装飾品なんかを選びましょうと申し上げているのですわ」
ヤーラは憮然として、後に続いて入ってきたメイドに、荷物を下ろす指示を出した。
「なんだなんだ、行商でもはじめたのか、ヤーラ」
昼下がりの居間は、あっという間に帽子や手袋、ショールに靴、宝石……そんなものを納めた箱でいっぱいになった。
「お館さまがお命じになって、奥様がご用意くだすっていたものです。リリンカさまときたら、まさか5年間、一度もお帰りにならないなんて。この5年で一体どれだけ流行が変わったか。その度に何度、帽子飾りを付け替えたとお思いになります?」
ヤーラが箱から取り出したつばなしの帽子は、リボンと羽と造花で飾られていた。リリンカにはその趣味の良し悪しはよくわからない。
「あぁー、その、衣装選びは、ヤーラ、おまえの良きに計らうがいい。信用している」
ンまあ!と叫び、ヤーラは目を吊り上げた。
「ただでさえ、いくさの間に背が高くおなりになって、お体の様子にも変化があったというのに!リリンカさまはお衣装の新調にちっとも真面目になってくださらない!」
ドレスだって最低でもあと20着は用意しなければ、というつぶやきが聞こえて、リリンカはうろたえる。
「ま、真面目といったって、おまえ」
ヤーラは、リリンカがまだ髪を結わぬ少女時代から面倒を見てくれている侍女で、彼女はまったく頭が上がらない。しかも、5年間戻らなかったことをまだ怒っているとあらば尚更だ。
だがリリンカにとって、夜会やドレス、社交の場での当たり障りない話題などは、興味を抱くのが難しいことがらであった。失礼にあたらぬ程度にきちんとしておれば良い、どんな装飾もそうしたマナーに勝るものなし、というのが持論である。
「私にはあまり、趣味の良さというのか?それが備わっておらぬ。しろうとの付け焼き刃の意見など、おまえの審美眼があれば必要なかろう」
「そんなことを仰って、本当は面倒なだけだって、わかっておりますのよ」
すべてお見通しなのであった。
仕方なく起き上がり、リリンカは箱から溢れる
「さあ、思い浮かべてごらんなさいませ、仕上がり予定のサルビア色のドレスを」
リリンカは採寸の時の窮屈さを思い出した。
今の
「お嬢さま、よろしいですか?」
リリンカが爪を引っかけるだけで穴でも開きそうな繊細なショールに辟易しているところ、片方だけ開け放してあった扉を叩き、アコーレがやってきた。
「おお、もちろん良いぞ!なんでも聞こう」
「先日、街で襲われて往生していた馬車の件でございます」
夜会のためのなんやかやは、リリンカの頭から綺麗さっぱり吹き飛んでいった。
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