私が思う直観とは

司波和人

直観とは


私が思う「直観」とは、経験に依存したものであると考えています。


 まず、「直観」の意味を調べてみますと、「哲学で、推理を用いず、直接に対象をとらえること。また、その認識能力。直覚。」とあります。分かりやすく言えば、自分が熟知している分野において、物事の本質を見抜く際に、論理的な思考をせずに、物事の本質を見抜くことであるということです。しかし、「この物事の本質を見抜く」という行為は、いつの時代でも、様々論じられてきました。

 そして、現在のような、膨大に情報が飛び交い、情報が更新され続ける社会では、この行為は、より難しくなりました。

 原因としては、自分が取り扱う情報が圧倒的に増えたことや、情報の取捨選択並びに、それらを統合する能力が必要になったことが挙げられます。しかし、難しくなったと同時に、より多くの人々に、平等に情報が与えられることになったことで、誰もが、自分の力で、この物事の本質を見抜くことができるようになりました。

 なぜなら、物事の本質を見抜くために必要な情報が、様々な場所に存在しているからです。分野にもよるかもしれませんが、以前に比べ、自分が知りたい情報にアクセスしやすくなり、より知識を蓄え、熟知しやすくなりました。そうした中で、直観を前提として、他人に正しい言葉で、正しい論理で説明することがしやすくなりました。


 では、何もなしで、最初から直観することはできるのでしょうか。


 もちろん、できません。なぜなら、自分が知らない分野の物事の本質を最初から見抜くことができないからです。

 そこには、何度も、同じような事象を経験し、それらを考察することをしなければなりません。そして、それらを体系化して、自らの言葉で説明できるレベルにならなければ、物事の本質を見抜いたとは、言えません。物事の本質を見つめることは、かなり大変な作業ではありますが、多くの知識を手に入れることができると同時に、ここまで至るまでに使った方法は、ほかのことでも利用できます。これらを繰り返していくことで、自分の熟知している分野だけでなく、それらに複合している分野でも直観することができます。また時事ネタなど、やや世俗的なことでも、様々な経験や知識、理解を深めることで、直観することができます。


 つまり、「直観」とは、経験に依存したものであり、経験量に比例して、直観力も上昇していきます。



 ところで、直観と似たような意味を持つ「直感」も考えていきたいと思います。この「直感」のほうが、日常的に使われます。「直感」の意味は、「推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること」とあります。第六感は、こちらの部類に入ると思われます。

 区別するならば、直観は、「実際に物事の本質を見抜き、真理の一端をいっぺんに把握すること」であり、直感は、「明確なものではなく、勘や第六感に分類されるもの」と言えます。漢字の意味は、似ているように見えますが、実際は、かなり異なります。

 (もしかしてとは思いますが、今回のカクヨムのKAC20213のお題である「直観」は、「直感」の方をを言いたかったかもしれません。)


というわけで、かなり私の主観が入った文章となりましたが、私自身も多くの経験をしていくことで、直観するということをより深く学ぶとともに、直観したことを他人に正しく説明できるようにしていきたいと思います。



 

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