禁断の逢瀬

 にこやかな笑みを崩す事無く、こちらを見上げているリディルをじっと見下ろしたまま正直少し迷っていた。

 彼の言葉に初めて気持ちが搔き立てられた、そんな、自分自身驚いていると言ってもいい。その言葉はとても魅力的だけど、でもどうしても降りていく事が躊躇われる。


 こちらが躊躇っている様子を見ていたリディルは、痺れを切らしたかのように小さくため息を吐いて腰に手を当てて声をかけてくる。


「降りてこないの?」

「う……。だって……」

「じゃあ、僕がそっちに行ってもいい?」

「……っ!」


 その言葉にギョッとして思わず目を見開く。


 彼にとっては別に何とも無い台詞だっただろう。でも私にしてみたら、ただでさえ赤の他人とここまで話すのが初めてだと言うのに、そんな言葉をかけられたら激しく動揺してしまう。


「だ、駄目!」


 思わずそう叫んでいた。

 ここに上がってくるなんてとんでもない。それだけは絶対に阻止しなければ!


「じゃあ、やっぱり君が降りてきてよ」

「……ヤ、ヤダ」

「え~……」


 正直、間近で会って話をするのが怖かった。

 そもそも、話だけならこの距離でも十分じゃないか。なのになぜ、近くに行く必要があるのかわからない。


「は、話なら、この距離でもできるでしょ」

「そりゃそうだけど、僕は君の事もっと知りたいんだ」

「……嫌です」

「何でさ。そんなに警戒しなくても、手を出したりしないって。……まだ」


 まだ……? まだって事は先々「何か」をするつもりでいるんだろうか。

 そう思うとますます警戒心が強くなってしまう。


「あ、あなたにしたら、どうせ私なんて遊び相手の一人でしょ。そんな相手になるなんて、真っ平ごめんだわ!」

「そんな事ない。こんな危険な思いをしてまで会いに来たいと思ったのは君だけだ」

「誰にでもそう言うこと言ってるんでしょ。女性には事欠かないって定評あるものね」


 ついムキになってそう言い返すと、リディルは唖然とした表情を浮かべ、どこか気まずそうに視線を下げて後ろ頭を掻く。


「まぁ……否定はしない、けど……」

「だったら尚の事お断りです。お帰り下さい」


 ピシャリと言い放った瞬間に、もしかしたら新しい外の世界を見れるかもしれない機会を、自ら棒に振った、と思った。

 惜しい事をしてしまったと思う反面、どこかホッとした自分もいて複雑な心境に陥る。


「僕ってそんなに信用無いかな」

「無いです。女性に慰めて欲しいなら、他の方を当たってください」


 それじゃあ、と彼に背を向けて、内心惜しい気持ちが強くなっている自分を振り切るように部屋へ戻ろうとすると、リディルが再び声をかけてきた。


「他の王子には君をここから連れ出す事は出来ないと思う。でも、僕なら出来るよ。ただという肩書きしか持たない僕になら、君に色んなものを見せてあげられる」


 背中越しにかけられたその言葉に足が止まった。


 トルバトス王国の正統な血筋でありながら、彼は「王子」とはただの肩書きでしかないと言った。


 第一王子だと言うのに王位継承権を持たないと言う現実が彼にそれを言わせたのだろう。だが、妙にその言葉にひっかかりを感じてしまう。

 何か理由があって今の状況にあるのは何となく分かってはいたが、彼の言い方にはどこか深い闇があるような気がして、ゆっくりと後ろを振り返った。


 離れたバルコニーにもう一度近づいてリディルを見下ろすと、彼は先ほどとはまるで違う真剣な表情でこちらを見上げている。


「マーヴェラ。君が知らない事を僕が教えてあげるよ。君が見たいものを、僕が見せてあげる」

「……」


 そのあまりに真剣な表情と、自分の抱える望みが大きく心を揺さぶった。


 彼に背を向けて、ほんの僅かでも後悔していたのを見透かされた。

 これも、女性に手馴れてる彼の得意とする口説き文句の一つなのだとしたら、その口説き文句に載せられる女性ほど軽い女性はいないだろう。

 そう思っていても、私もその一人になりそうだった。何よりも、今の自分にとってその言葉はとても強く心が揺さぶられ、魅力を感じ心惹かれてしまう。


「……嘘じゃ、ないわよね」


 思わず口からついて出た言葉に、リディルはパッと表情を明るくさせニッコリと微笑んで力強く頷いて見せた。


「嘘じゃない。約束する」

「約束破ったら、どうするつもり?」

「僕を、デルフォス王の前に突き出して構わない」


 その言葉に余程の覚悟があると感じ、手をかけていたバルコニーの手摺をぎゅっと掴んだ。


 養父ムーに言ったら、きっと彼も何も言わずにいろいろな物を見せてくれるかもしれない。いろいろな場所へ連れて行ってくれるかもしれない。でもそれは、王族として見せられる範囲の場所であり物事にしか留まらないかもしれない。


 養母リーナに言ったら、きっと彼女も色々な事を教えてくれるかもしれない。17歳まで普通の村人と同じ生活をしてきたのだから、ムーには分からないような事も知っているだろう。だがやはり、それには限界があって然るべき事だった。


 今、この人の手を取って外に出たら、どんな世界を見せてくれるのか。どんな事を教えてくれるのか。不安と期待が入り混じる。それでも、自分の中の望みには抗えなかった。

 外へ出る事で、もしかしたら自分を知る手がかりが見つかる可能性だって、無いとは言えない。


「……分かったわ」


 ムー達に後ろめたさを感じながらも、そう答えると、リディルは心底嬉しそうに微笑んだ。


「マーヴェラ。おいでよ」


 誘われるままにバルコニーの端にあった階段から下に降りると、階段下まで迎えに来たリディルに手を差し伸べられた。


「手をとっても、いいかな?」

「……ち、調子に乗らないで。別に、今のであなたに心を許したわけじゃないんだから」


 眉間に皺を寄せてプイッとそっぽを向きながらそう言うと、リディルは苦笑いを浮かべて後ろ頭を掻いた。


「そっか……。ま、いいけど」


 全くの赤の他人であり噂話だけを聞いていた相手に対して、自分がここまで会話をすることができ、心を動かされてしまうのは初めてのことだった。

 しかも相手は注意しろと言われていたトルバトス王国の人間なのだ。


 罪悪感を感じながらも、目の前に差し出されたままの手を見つめる。


「ひとまず、よろしく。マーヴェラ」


 オレンジ色の瞳を細めて微笑む彼の屈託のない笑みに、私は初めて小さく笑みを見せた。

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