魅力的な言葉
抜けるような空の青さと、心地よい風が大地を吹き抜けて行く中、大きく息を吸い込む。
草木の香り、お日様の香りが胸いっぱいに広がり、これまでの鬱々とした気持ちを取り払ってくれるかのようでとても心地よかった。
「姉上ぇ~! ちょっと、待って下さいぃ~!」
遥か後方で情けない声を上げているラディスが、まだ慣れていない馬の手綱を握り一生懸命に追いかけてくる。
朝食を終えてから乗馬レッスンに行くというラディスに付き合って、私も自分の愛馬のジェミニに跨り草原を駆けていた。
「ラディス! 早く! 置いてっちゃうよ!」
「ま、待ってぇ~!」
半べそ気味のその声に、思わず笑ってしまった。
将来はデルフォスの王様になろうと言う子が、そんな涙声の情けない声を上げているなんて情けない。
馬を止めて待っていると、ひぃひぃ言いながらようやく追いついてきたラディスは肩で大きな息を吐いていた。
気弱な性格もさながら、体力もないだなんて……将来心配だわ。
「ラディス。あなたちゃんと体力作りしてる?」
「し、してますよ。クルー叔父や、あと時々父上に剣術の稽古をつけて貰ってます」
「ふぅん。でももっと体力つけなきゃ駄目ね。心身ともに強くならないと」
その言葉に、ラディスは僅かに眉間の皺を寄せた。
そんなの言われなくたって分かってる、とでも言いたげなのに、絶対に口には出さない。
「でも、姉上を守る為だったら僕は頑張れます。姉上は僕の将来のお嫁さんになる人ですからね!」
むくれたように口を尖らせていたかと思うと、僅かに頬を染めてそっぽを向きながらラディスは一人前な事を口にする。
そんな台詞どこで覚えたの? それは好きな子に言ってあげれば効果覿面なのに。
「う~ん……。ラディスが結婚できるくらいの年齢になったら、私おばさんになっちゃうわ」
「いいんです! 姉上なら僕は気にしません!」
あんまりにも真剣に食い下がってくるラディスに、私は困ったような笑みを向けた。
どう言ったらいいのだろう。とても悩む……。
「お嫁さんになれるかどうかは分からないけど……でも、期待してるわ」
血の繋がりはなくても、一応姉弟と言う関係がある以上結婚する事は出来ないのを、ラディスはまだ分かっていない。
ただ、彼の花嫁にはなれないけれど強くなって私を守ってくれるというのなら、それは大いに期待しようと思う。
そんな言葉で納得してくれるかどうか怪しいとは思ったけれど、彼は「期待している」と言う言葉がよほど嬉しかったのか、満足そうに微笑んでいた。
こんな単純なところが、本当に可愛いと思う。だからこそ、少し苛めてみたくもなったりして……。
「じゃあ、ここからお城まで競争しましょ。先にお城に辿り付く事が出来たら……私のおやつをラディスにあげる」
「え! ほんとですか?」
先ほどよりもパッと花開いたように目を輝かせた彼の姿を見て、私は思わず笑ってしまった。
おやつに釣られるだなんて、まだまだ子供ね。
「よーし、じゃあ行くわよっ!」
私は馬の腹を蹴り、その場から真っ先に走り出す。すると出遅れたラディスも慌てふためきながら馬の腹を蹴り、一生懸命後ろから追いかけてくる。
「あ、姉上ぇーっ!」
ぐんぐん突き放されていく距離に、早くもラディスは情けない声を上げていた。
私が城に辿り着いた時、ラディスは遥か遠方にいて一生懸命手綱をさばきながら馬を走らせる姿が見えた。
いつも通っているルートだから、迷わずに帰って来られるはず。ただ問題は、彼の馬が言う事をきちんと聞いて、真っ直ぐに帰って来られるかと言う問題はあるけれど。
こちらから見ている限り相性が良くないのか、それとも信頼関係がまだ出来ていないのか、走ったかと思えば歩いたり止まったりを繰り返していた。その度にラディスは馬を宥めたり
「ほんと、下手ねぇ……」
私はそんな彼の様子を見守りながら、呆れたように苦笑いを浮かべた。
ラディスが馬に乗り始めてからもうしばらく経つと言うのに、相変わらずこの有様。もう一人前に乗りこなしても良いはずなのに……。
そう言うところは、リーナに似ているのかもしれない。
リーナも決して器用とは言えなくて、色々失敗をすることがある。それでも皆が笑って許してくれるのは、皆との信頼関係が出来ていて愛嬌があり、少しの事では挫けず前向きに善処しようとする彼女の特権だと思う。
城の裏門で悪戦苦闘しながら頑張っているラディスを見守っていると、ふいに後ろの茂みからガサリと音が聞こえ咄嗟に振り返った。
「……!」
「あれ?」
振り返った先には、頭に葉っぱをつけたリディルがいた。
彼もまさかここに私が居ると思わなかったのか、視線がかち合った瞬間驚いたように目を瞬いてその場に固まっていた。でもすぐに、パッと表情を明るくして心底嬉しそうに微笑みかけてくる。
「まさかここで君に会えるなんて! 凄いな、今運命を感じたよ!」
「……」
ガサガサと茂みを掻き分けながら出てきたリディルは、体中に付いた葉っぱを乱雑に叩き落としながら、いかにもな言葉をかけてきた。
運命を感じたって、どこにそんな容易い運命があると?
私は思い切り冷めた眼で彼を睨むようにして見ると、リディルは私の前に立ちすっと手を差し出してきた。
私が訝しみながらその手を見つめると、彼はこちらの警戒心剥き出しな様子など気にも留めずにっこりと微笑んだ。
「もう知っていると思うけれど、僕はリディル・トルバトスと言います。以後お見知りおきを」
そう言って私の手を取ると、手の甲にキスを落とす。
私は咄嗟にその手振り払い、キスされた手を握り締めて眉間に深い皺を刻む。
「何するんですか」
「何って、挨拶のキスだけど?」
「勝手にしないで下さい」
「何で? 普通会ったらするでしょ?」
ああ言えばこう言う……。
いや、別に彼の切り返しが間違っているわけじゃないのだけど……。
ぎゅっと口を引き結んで不機嫌に顔を顰めて睨みつけるのに、彼はそんなのまるで気にしてない。
不機嫌に黙り込んだ私を見て、リディルはあっと声を上げた。
「もしかしてこう言うの慣れてない? 今まで一度も人前に顔出さなかったもんね?」
「だったら何ですか。ほっといて下さい」
「ねぇ。何で今まで一度も人前に出てこなかったのさ? 噂通りの美人なお姫様なのに勿体無い」
ズケズケと色々踏み込んで聞いてくるのはこの人の癖なのだろうか?
あまり詮索されるのは好きじゃない。一刻も早くこの状況から逃げ出したくて仕方がなかった。
ふと視界の端にようやく帰って来れたラディスの姿を捉えて、リディルに背を向ける。
「何をしに来たのか知りませんけど、どうぞお帰り下さい」
そう言うと、私は彼の返事を待たずにラディスの元へと歩いていく。
一瞬、後を追いかけようとする足音が聞こえたけれど、ラディスの存在に気付いて諦めたようだった。
チラリと背後を盗み見ると、もうすでにそこには彼の姿はなかった。
良かった。素直に引き下がってくれたみたい……。
ホッと胸を撫で下ろし、ラディスの方を振り返ると彼はまたも半分泣きそうな顔をしてこちらを見つめていた。
「お疲れ様」
「今の、誰ですか?」
そう訊ね返されて、やはり見ていたかと思いつつもニッコリと笑って首を横に振った。
「さぁ? 何だか道に迷ってたみたいよ」
何となくそう言っておく。
別に彼の正体を言っても構わなかったのだろうけど、ラディスの事だ。きっとムーやリーナに報告をするに違いない。もしそこで彼の名が出たとしたら、何となくマズイような気がして伏せておこうと思ったのだ。
「そうですか……」
ラディスは道に迷っていたと言う言葉を、すんなりと受け入れてどこかホッしていたが、それでもやはりどこか落ち込んでいた。
そんな彼を、私は明るく笑って肩に手をかけた。
「また次に頑張りましょう。ね?」
「……はい」
馬を上手く扱えなくて、勝負に勝てずにしょげてしまっているラディスと共に馬を厩舎に預け、午後のレッスンが残っている彼と別れた私は、部屋へ戻ってくるなり盛大なため息を吐きソファに腰を下ろした。
「まさかあんな場所で会うと思わなかったからビックリした。すんなり引き下がってくれたから良かったけど」
やれやれ……と背もたれに背を預けた時、窓の外から聞いた事があるコツン、と言う音が聞こえてきた。
私はそれが誰の仕業なのか、もう分かっていただけにそのまま無視を決め込んでいた。それでも執拗にコツンコツンと響いてくる音に半ばうんざりして、苛立ちながらバルコニーへと出た。
「いい加減にしてください! 一体何なんですか!」
声を荒らげながら下を覗き込むと、リディルはへらっと笑いながら手を振ってくる。
「そんなに怒らないでよ。僕は君と話がしたいだけなんだから」
「だったら真っ当な手順を踏んでいらしたらどうですか」
「真っ当な手順を踏んだら、多分君には会えないよ。分かってると思うけど、僕はトルバトスの人間だからね」
にっこりと微笑んだまま言った彼の言葉にハッとなる。
そう言えば、トルバトス王国はかつてあった世界大戦を仕掛けてきたマージ王国に継いで注視されている国だと聞いた事がある。良い印象が持たれていない暴君が王座に着いていると。注意深く見ていないと何をしでかすか分からないから、気をつけるようにと前にムーが言っていたわ。
そう考えるとやはり、関わるべき相手ではない人物だ。
「じゃあ、聞きますけど。そのトルバトスの第一王子であるあなたが、無断でデルフォスの敷地に侵入して私に会っていると知れたら、問題があるんじゃないんですか」
「そりゃあまぁ、否定はしないけど……。でもこうでもしないと君は会ってくれないだろ?」
「人呼びますよ」
「ちょ、待ってよ! 何でそんなに人を遠ざけるんだよ。いつも同じ場所にいて、自分の見知った人間とだけ付き合っていくのは、つまらなくないのかい?」
そう言われて、思わず口を噤んでしまう。
私は誰よりも自由でいる事を望んで、外の世界にも興味がないわけじゃない。いつも同じ場所に留まって、気心の知れた相手とだけ付き合って、そのまま一生城の中だけで暮らすのは正直嫌だと思っていた。
誰にも言えない、私の本音。それを彼はずばり言い当ててきた。
黙って彼を見下ろすと、リディルはふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「話だけでもしようよ?」
なぜだろう。その一言が妙に魅力的に思えたのは、この時が初めてだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます